朝までふたりで



 まどろみから覚めると、月の光が満ちていた。
 隣で眠る人を起こさないように、そっと床の上に足をおろす。脱いだままの衣装を手に取ると、息を殺して袖をとおす。
 ふりむいて眠る額に口づけようとする。
「お帰りになりますの?」
 小さな声。
「ごめんなさい、起こしてしまいましたね」
 ささやくように掛布を引き上げて詫びると、彼女はおずおずと袖をつかんだ。
「ご存じですか?陛下はお帰りにはなられないそうです」
「兄上が?」
 ジュダは寝台に腰を下ろすと、枕の上に散らばる長い髪に指をからめた。
 普段結い上げている髪は、ほどくと白布の上に豊かな流れを作る。
「ええ、ムルシリ陛下は毎夜お姉さまを御寝所にお召しになるのではなく、後宮に足をお運びになり朝までご一緒に過ごされるんですって」
「それはユーリさまからお聞きになったのですか?」
 ジュダは微笑んだ。
「・・・いいえ、女官達の噂ですわ」
 アレキサンドラは頬を染めると、掛布を額まで引き上げた。くぐもったか細い声が布の下から言う。
「殿下は、お帰りになるのね?」
「姫がお許し下さるのなら」
 ジュダはそっと布をめくった。真っ赤な顔が現れる。
「ぼくもここで朝を迎えてもよろしいでしょうか?」
 アレキサンドラは紅潮したままうなずいた。
「いてくださるのね?」
 恥ずかしげにのぞく胸元を隠して隣をしめす。
「殿下、腕枕もしていただけますか?」
「もちろんですよ」










「遅いのう、待ちくたびれるわ」
 言いながらナキアはパンをつかんだ。待つ気はさらさらないらしい。
「だって、新婚さんですもの・・・ぐふふふ」
 ワイン壺を傾けながら、侍女が含み笑いをする。
「なんじゃ、すけべな笑いかたをするな。なにを知っておる」
 ナキアは憮然と言いながら、朝も早くからこってりした山鳥のローストにかぶりつく。
「ジュダ殿下もなかなかですわよ、童顔のくせに!」
「童顔はよけいじゃ」
 侍女は興奮して口から泡を飛ばしながら喋った。食事の用意中に仕入れた情報だろう。
「ジュダ殿下は高貴なお方なのに、夜に妃殿下をお召しではなく訪ねられましたのよっ!」
「ムルシリのヤツの始めた、なげかわしい習慣だな」
「それだけではありませんわ、姫さまっ!」
 侍女はナキアの耳に口を寄せた。ひそひそ話のつもりなのだろうが、声は大きかった。
「ジュダ殿下ったら、朝まで妃殿下のもとで過ごされたとかっ!?」
 ナキアは迷惑そうに侍女の顔を払った。それにひるむ様子もなく、侍女は胸の前で指を組み合わせると、天井のどこかを見上げてうっとりと叫んだ。
「朝まで、ですわ!さすが新婚!さすが若い方は体力がありますわっ!」
「おまえ、欲求不満かえ?」
 ナキアはふんと鼻を鳴らすと、二つ目のパンに手を伸ばした。
「しぃぃぃっ!!ナキアさまっ!殿下方がお見えですわ!」
 叫んでいたのは自分なのに、侍女はナキアに向かって顔をしかめて見せた。
 朝食の間に、噂の新婚夫婦が数人の侍女を従えて入ってくる。
 二人の動きはどこかぎこちなかった。
「ほら、やっぱり!」
 なにがやっぱりなのか分からないが、侍女が小声でナキアに耳打ちする。
「おはようございます、お義母さま」
 首をおかしな風に曲げたまま、アレキサンドラが挨拶した。
 はっと侍女が息を飲む音がする。
「おはようございます、母さま」
 右肩をぎこちなくつりあげたジュダも挨拶した。
「どうしたのじゃ?」
 大して気もなさそうにナキアは口に食べ物を運びながら訊ねる。
「姫さまったら!」
 侍女が真っ赤になってたしなめる。そんなことを訊ねるなんて無粋だというのだ。
「なんだか、朝起きたら、右腕が動かなくて・・・」
「わたくしは首が・・・」
「ほう・・・なにか奇病が流行っているのかのう?」
 ナキアは振り向いて鼻から真っ赤な血を滴らせている侍女を眺めてつぶやいた。
「ひめひゃま、おひゃしたにゃひでしゅわよっ(姫さま、おはしたないですわよ)」
 侍女は鼻血を押さえて注意しながらも「一体、殿下がたはどんなアクロバティックなことをなさったのかしら?」と考えるのだった。


              おわり


ハネムーン・パラリシス(Honeymoon Paralysis)「腕のつけね」「肱」の2ヵ所は神経が筋肉の浅いところを走っているので、長時間、上から圧迫するような事をすると、麻痺が起こる。新婚のころ、新郎の右に新婦が休み、右手を腕枕にしていて起こることが多いのでこの名がある。

     

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