Twilight

 あたしの国には”逢魔が時”って言葉があるのよ


 腕の中で固く強張った身体が小刻みに震えている。
「こういう時間には辻を魔物が通るんだって」
 言いながら、視線がさまよう。
 まるで、通り過ぎるなにかを透かし見ようとするかのように。
 つられて同じように視線を投げる。
 重なる山々はあかね色に染まり、濃い紫の影を長くひいている。
 夕闇がひたひたと息を潜めて忍び寄ろうとしている。
 ぞくりと悪寒が背筋を走り抜けた。
 こんな景色をいつか見たことがある。
 あれは、いつのころだったか。
 それは、こんな薄闇の中で嗤ったのだ。
 なにを馬鹿なことを。
 ラムセスは頭を振ると、いつもの軽い口調で話しかける。
「何を考えているんだ、ユーリ?」
「何だっていいでしょ、頭の中にまで干渉しないで!」
 いつもの強気な発言に、ほくそ笑む。
 物怖じせずに小気味よく返される言葉が心地よい。
 脅えるなど、彼女らしくもない。
「あいかわらず、立場を理解していない強気な発言」
 揶揄の言葉に、頬が薔薇色に染まる。
「立場って、なに?あたしは自由・・・」
 勢いよく振り向いた顔が間近すぎて唇が触れ合った。
 一瞬だけ感じた柔らかなそれは、夕闇の中、艶やかな光を放っていた。
 そうだ、あの時もこうだった。
 ラムセスは目を細める。
 女は、不自然に赤い唇をゆがめて嗤ったのだ。


 
お父様が、また。
 悔しそうにまぶたに布を押しあてて母が泣いた。
 しかも、こんどは身分もなにも無い女ですって。
 父親の女道楽のせいで母が嘆くのはすでに幼い頃よりの見慣れた風景だった。
 幼いながら義憤に駆られたのは、顧みられない母を守ろうとしてのことか。
 媚びた声を耳にして、部屋を飛び出したのは夕暮れ時だった。
 辻に長い影が落ちている。
 その女は、酷く背が高いように見えた。
 下層の女のようにだらりと髪を流して、薄い布で出来た衣装をまとっていた。
 おい、もう二度と来るな。
 そう言おうとして、声が詰まった。
 女が髪をかき上げる。
 覗くうなじの白さが、届かないはずのむせるような香りを運んだ。
 恐怖とは違うなにかを感じた。
 気配に気づいたように、女が振り向く。
 美しいと伝え聞いた顔は影になって見えない。
 ただ、艶やかな唇だけが笑いを形作った。
 ふふ。
 笑い声が聞こえた気がした。
 彼は立ちつくした。



 ユーリは素早く顔を背けた。
 伏せられた頬に、夕陽を浴びた産毛が光っている。
 とりあえず着せてみた上着は大きくて、思ったよりも細かった肩からずり落ちそうだ。
 細いうなじから続くなだらかな背中に視線が引きよせられる。
 落ちないようにとしっかりと掴んだ腰の線は華奢と言うよりは未熟な硬さだ。
 男の寵を独り占めにしているようには思えない、幼い体つき。
 それでも、ひきよせられる。
 かすかに震えている肌。そこに唇を這わせたらどんな心地がするのだろう。
 象牙色のそれが、熱く息づき汗に濡れるのは。
 すぐに反発する気の強い瞳が、すがりつくように揺れるのをのぞき込むのは。
 ふいに欲望が突き上げる。
 この身体を、心を、思う様に出来たらどんな気持ちだろう。
 手に入れたい。
 唐突に湧いた思いは震えを伴う。
「逢魔が時・・・人のこころをまどわせる時・・・か」
 あの時、目にしたのは”魔”だった。
 女の姿をした”魔物”は幼い彼を見て嗤ったのだ。
 おまえもいつか、つかまる時がくるよ。
 だからこそ、女などに入れ込まないようにしていたのに。
「たしかにそうかもな」
 闇がゆるゆると取り囲むように、それはラムセスを捕らえようとする。
 細いあごをつかみ口づける。
 柔らかくて、熱い。
 溺れるような眩暈が頭の芯を浸す。
 あいつがつかまったのは、これか。
「なにすんのよっ!」
 振り払ったまぶたに涙がにじんでいる。
 気の強さとは裏腹の、危なっかしさ。
 それすら愛おしいと思える。
「がまんもそろそろ限界かな」
 認めるしかない。
 軽口を叩く裏で、ユーリにどうしようもなく惹かれていることを。
 どんなことをしてでも奪いたいと感じていることを。
 おまえもいつか、つかまる時がくるよ。
 したり顔のあの女が嗤う。
 そうはいくか。
 暴れる身体を押さえながら、口の端をゆがめる。
 つかまりやしない。
 つかまえてやる。
 女に対して彼は常に優位に立ってきたのだから。
 必ず、手に入れてやるさ。
 ほんの少しの敗北の予感を感じながらも、馬の腹に強く蹴りを入れる。


 闇が迫りつつある。
 この闇を”逢魔が時”と呼ぶのだと言う。


                 おわり
   

     

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