Close your eyes



「大丈夫ですよ」
 その言葉に疑わしげに眉をひそめる。
「しかし、苦しんでいた」
「お体はすっかりよろしいようです」
 医者は手早く助手に指示を与えながら帰り支度をする。
 食い下がる病人の家族には慣れているのか、憎らしいほど落ち着きはらっている。
「もし、まだ痛みを訴えられるのでしたら、原因は心の方にあるのでは?」
 いまだ眉を寄せたままの、この街で一番浮き名を流している男の顔を面白そうにのぞきこんだ。
「御子を失われたことはそうそう簡単には忘れることはできません。ですがご主人がそばにおられるのですから、必ず元通りになられます」
 戸口まで行くと満面の笑顔を浮かべる。彼が慌てふためく様子を微笑ましいとでも考えているのだろう。
「焦らずゆっくり時間をかけることです」
 では、と会釈すると、次の患者宅へ助手をせき立てる。
 ラムセスは腕組みをしたまま、その姿を見送った。
「ゆっくり時間を、だと?」
 あの医者は、ユーリがどれほど悲哀に暮れていたのか知らないのだ。すべての感情を殺し、生きる努力さえ放棄しようとしていたあの姿を。
 強引に抱き寄せた腕を押し返そうともせず、ただ投げやりに横たわっていた姿を。
 どんな拒絶よりもこたえた。
 だから、面白くもないあの男の名を出したのだ。あの男の窮地を思いやらせることで、その瞳にもう一度輝きを取り戻そうとした。
 そして、その方法は間違っていなかった。自分が惹かれたあのまっすぐな目は、子細もらさずにこの国を見渡し、その小さな頭の中でめまぐるしく分析する。他のどんな女とも違う、聡明な瞳。
 王の前に伺候した時の凛とした横顔に思わず目を奪われた。
 さすが、俺の見込んだ女だ。
 その気高さに気圧される周囲に、秘かに胸を張った。
 これが、俺の選んだ女だ。俺とともに並び立つ女だ。
 その誇らしさとは裏腹に、小さな棘が胸を突く。
 ユーリが見ているのは、遙か彼方にいるあの男だ。
「原因は心の方にある、か」
 分かってはいても、どうしようもない。
 彼の差し出した腕をユーリは拒んだ。彼女が望むのなら、いくらでもこの胸を貸そうと言うのに。
 小さな拳をふるって泣き叫んでもいい。理不尽な天の仕打ちに呪いの言葉を吐いてもいい。
 すべてを受け止めるつもりでいるのに。
「ざまぁねえな」
 自嘲する。この気弱さはどうしてだろう。いつだって女に対しては優位に立ってきたというのに。
 寝所の扉を押し開く。この部屋が、この屋敷の女主人に与えられる部屋だと言うことをユーリは知らない。
 王妃のものにも匹敵する高脚寝台の上で、慌てて起きあがろうとする姿。
 ユーリはいつのまにか花嫁衣装は脱いで、白い亜麻の夜着を身につけている。
 極上の布は薄く透けるようで、そのことに気づいたのか掛布を引き上げる。
「寝たままでいい」
 投げられる疑わしげな視線に苦笑する。
「なにもしやしねぇよ……具合はどうだ?」
 掛布を握りしめたまま、ユーリは顔をそらした。
 医者を呼ぶことになった原因は、彼が押し倒したことにあるのだからそれも仕方ないだろう。
 寝台に近づくと身を竦める。
「あたしは……」
「すぐに元気になるそうだ」
 精一杯安心させるように言う。腕を伸ばせばその身体はすっぽり収まってしまうのだろう。
 けれど、ラムセスは寝台の端に腰をおろして背を向けた。
「いろいろ忙しかったからな、疲れが出たんだろう」
 その忙しさに紛れて、心の痛みを少しの間だけでも忘れてくれればいいのだが。
「でも、まだやらないといけないことがあるんだよね」
 低めた声が応える。
「王太后には会ったから、その周囲を探らないといけないし、なんとかそばに潜り込みたいんだけど、ラムセスとは対立しているらしいし・・・」
 振り向けば、指を折りながら真剣な顔で呟く姿。
 知らずにのびた手が、顎を捉えた。
「ラムセスッ!? なにもしないって言ったじゃない!?」
 たちまち非難の声が上がる。怒りを含んだ黒い瞳が強い力を放っている。
 その輝きから目がそらせない。
「知ってるか、ユーリ?」
 余裕など無いのに、余裕たっぷりに振る舞うのは負けたと認めるのが面白くないからだ。
「キスするときには、目を閉じた方がかわいげがあるぞ?」
 頬を打つ音が響いた。
「最低っ! 出ていってよ!」
 赤くなった頬を押さえながら、笑う。
「もう充分に元気そうだが、よく休めよ?」
 冗談に紛らわせて本気の気遣いを口にした。
「馬鹿っ!!」
 突き出された舌に、軽く手を挙げると、笑い声をあげた。
 ゆっくり時間をかければ心が癒されるのなら、いつかはその心を振り向かせることもできるのだろうか。
 睨みつけるだけの瞳が静かにまつげの陰に閉ざされる日がやがては訪れるのだろうか。
 力ずくで奪えばいいものを。さらに傷つけることを恐れはじめている。
 普段の自信が吹き飛ぶほど情けないくらいに惚れているのだ。
 相変わらず、怒った顔のユーリに片目をつぶる。
 ほんの軽口の応酬すら快く感じられる。
「続きはあとでな」
 背中で閉じた扉越しに、なにかが投げつけられる音がした。
 怒りに紅潮した顔が敷布の中に潜り込む様子が思い浮かぶ。
 その方が、おまえらしい。
 そして、俺も俺らしく振る舞うしかないな。
 苦い笑いをかみ殺しながら、ようやく顔をあげた。
 ―――焦らずゆっくり時間をかけて。
 時間をかけても、必ず手に入れよう。
 たった一人のなにものにも代えられない女を。 

                         おわり

    

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