ピンチDEデンパ



「狼少年って話、ご存じですか?」
 おれは精一杯落ち着いて口にする。
「あら?狼に変身する男の子のお話?」
 母上は涙をぬぐいながら無邪気に訊ねる。
 おれはかろうじて踏みとどまり口元にどうにかこうにか笑顔らしきモノを作った。
「ある村で一人の男の子がイタズラで『狼が来た!』って叫ぶんです。それで村は大騒ぎになって大人たちが駆けつける。それが面白くて男の子はなんどもそれを繰り返していると、ある日とうとう本物の狼が現れた。男の子が『狼が来た!』と叫んでも、どうせまたイタズラだろうと誰もやってこなかったので、とうとう男の子は狼に食べられてしまったというお話ですよ」
「まあ、怖いのね」
 母上は悪びれもなく笑顔を浮かべた。
「なにか、この話から学ぶことはありませんか?」
 おれは頭痛を感じながら、たずねてみる。
「本当にあなたは物知りね。さすが我がラムセス家の当主ですよ」
 母上はまた感極まったのか目元に布を押しあてた。
「こんなに立派な息子に恵まれてわたくしも幸せです。あとは、孫の顔さえ見られたら」
「だれも孫を作らないなんて言ってません。ただ、仮病を使っておれを呼び寄せるのはやめて欲しいんです」
「仮病だなんて。本当に具合が悪かったのよ」
 心外だとばかりに眉を寄せた母上は、気をとりなおしたのかしゃんと背中を伸ばした。
 そうするとやはり威厳が見えてくるのだ、困ったことに。
「ちょうどよかったわ、あなたが帰ってきて」
「呼び寄せたんでしょう」
「あなたに会わせたい人がいるの」
 おれのことばをあっさりと無視して、母上はくるりと背中を向けると軽やかに回廊を歩いていく。
 まさか、またとんでもないことが起こるんじゃないだろうな?
 おれは不安になって後を追う。
「またヘンなの連れてきたんじゃないでしょうね?」
「ふふふ、会ってからのお楽しみ」
 お楽しみって!? 冗談じゃない!
 おれは仕事中だったんだぞ?
 思わず拳を握りしめるおれに気づかずに、母上は上機嫌に鼻歌など口ずさんでいるありさまだ。自分のペースなのは今に始まった事じゃないが。
 前回、おれの好みのタイプだとかなんだとか言って、巨人ゴーレムみたいな女を引っ張り出してきた。あの女・・・レテ姫だとか言ったか?
 あのとんでもない姫君は全力疾走する馬に追いすがり、恐怖にかられた馬がナイルに蹴飛ばすまでたてがみを握って笑ったやがった。あの歯をむき出した形相を夢に見て、なんど夜中に飛び起きたことか。
 まあ、あの体力は違った意味で認めない訳にはいかないけどな。女にしておくのは惜しい。おれの軍にいたら、どれだけの戦力になるか。いや、軍馬が脅える。やめておこう。
 やめよう、不吉なことを思い出すのは。
 おれはふと回廊の様子が違っているのに気がついて母上に声をかける。
「ここにはもう一本、柱がなかったですか?」
「レテ姫がぶつかって折れてしまったのよ」
 たいした力だ。今さらながら、あれから逃げ出せた幸運を思う。
 さらにおれは気づいた。
「庭にいたはずの守衛が減っているような」
「それもレテ姫が・・・ま、どうでいいでしょう?」
 ・・・・どうでもいいってことはないだろう?
 一体、なにがあったんだ!? 守衛のたどった道が頭に浮かび、思わず冷や汗が流れる。
「ウセルや」
 ふいに母上は沈んだ声で言った。
「わたくしは、あなたによかれと思ってあの姫を選んだのですよ。でも……母は間違っていたようですね」
 おれは思わず背中を伸ばした。母上の背中がなんとも淋しそうだったからだ。
 考えてみれば、おれは浮き名は流すがちっとも身を固める気配を見せなかった。
 さっさと嫁に行った妾腹の娘たちが我が物顔に屋敷に出入りしていて肝心のおれが身を固めないのだから、どんなにか心配されたのだろう。
 孫の顔だって見たかったはずだ。ユーリと結婚するといった時のあの喜びよう。
 なのにユーリは出て行った。仕方がなかったとはいえ、母上の落胆ぶりはいかばかりだったか・・・。
 おれの考えていることを読みとったかのように母上は続ける。
「わたくしはね、あなたがユーリ姫を連れてきた時、本当に嬉しかったんですよ。もちろん、あなたが結婚するということもですが、それよりなにより、決して女の方に心を許さなかったあなたがようやく愛することのできる方を見つけたのだと思って・・・」
「母上・・・」
 母上の涙声におれまでなんだか目頭が熱くなる気がした。
「だから、あなたのお相手にと少しでもユーリ姫に似た方を探そうと思ったの」
 そうだったのか・・・でも全然、全く似ていないぞ、あの姫は!
「わたくしは外見ばかりにとらわれていたのね」
 いや、だから外見も大違いだって。
 母上は賓客用応接室として使っている部屋の前で立ち止まると、振り向いてにっこりと笑った。
「あなたがユーリ姫を選んだのは、もっと内面を見ていたからですね?」
「・・・そうです」
 そう、おれがそばに置きたいと思ったのは、ユーリがユーリの心を持っていたからだ。
 あの、気高い凛とした美しさ。
「聞けば、ユーリ姫はお国ではイシュタル……女神として讃えられているとか」
「まあ、そうだな。とんでもないお転婆だが」
 お転婆で何をしでかすか分からないので目が離せない。気がつけばまわりの人間みんなの目が吸い寄せられている。惹かれたのは、おれだけではなかった。
 おれはどんな表情をしたのだろう。母上は片手を俺の肩においた。
 真剣な、それでいて暖かみのある表情で語りかける。
「ユーリ姫の代わり、とは言いません。ただ、あなたは本当に分かりあえる相手を見つける必要がありますよ。孤独ほど辛いものはないのですから」
「はい、母上」
 俺はいつになく素直な気分になった。
 母上はおれによかれと思って仮病を使って呼び寄せたり化け物みたいな娘を連れてきたりしたんだろう。今回のことだって、行き過ぎの感はあるが、おれを思えばこそだ。
 今度の姫君はきっとそれなりなんだろう。まあ、あれほどの化け物はそうそういるもんじゃないからな。
 会わず嫌いってのも主義に反するし。おれは博愛主義者なんだ・・・女に対しては。
「マバヤ姫はその心の気高さからとても周囲の人々に慕われているお方です」
「マバヤ姫?」
 どこの貴族の姫君だろう? おれは記憶の箱をひっくり返しながら考える。
「物静かな方だから、王宮に出入りはされていなくてあなたは知らないと思うけど」
 母上はそう断って扉を開いた。
 部屋の中央にある噴水のかたわらのテーブルセットに、一人の若い女が腰をおろしていた。
 ・・・普通だった。
 おれはあからさまにほっとした。
 姫はゆっくりと立ち上がると、頭を下げた。
「はじめまして、ウセルさま」
 ・・・すごく普通じゃねぇか。
「ああ、初めまして、マバヤ姫」
 姫は目を惹くほどの美人というわけではなかったが、まあ、見苦しくない程度の器量だった。身体はちょっと痩せている。ユーリもガリガリだったな・・・。
 顔色は色白を通り越して青ざめている。緊張しているのだろうか?
 長い髪を結い上げずに肩の上に垂らしている。カツラを被っていないのは、ごくごく内輪の顔合わせのつもりだからか。
「ほほほ、あとはゆっくり若い人同士でね」
 母上は言うとさっさと部屋を出て行った。
 まあ、危害を加えるような女じゃなさそうだしな。おれはマバヤ姫のそばに寄って腰を下ろした。
「ワインでもいかがですか、姫?」
 ま、相手が普通の女ならそれなりに相手ができるんだ、おれは。
 姫は少し困った顔をした。
「わたくし、お酒は・・・」
「飲まれないのか?では他のものを持ってこさせよう」
 おれは手を叩きながら、ユーリを思った。ユーリも酒が飲めなかったよな。
 無理矢理飲ませるとすぐに真っ赤になった。真っ赤になりながらろれつの回らない口調でおれの無理強いをなじった。
「お手数を取らせて申し訳ありません、ウセルさま」
 姫は礼儀正しい。そういえば、おれの好みはしとやかな女だったな・・・
 シメっぽくなりそうで、頭を振る。無理矢理話題を作ることにした。
「ところで、姫はなにか趣味がありますか?」
 まあ、この辺りが妥当な会話だな。姫は悲しげに微笑んだ。
 どことなく薄幸という言葉が似合う女だ。
 もしかして、あまり裕福な家の出ではないのかも知れない。身につけている衣装はごくごくシンプルなものだった。
「わたくしの趣味でございますうか? これといって特に・・・・・・・・・」
 ふいにマバヤ姫が口をつぐんで顔を伏せた。
 おれは辛抱強く続きを待っていたがあまりに沈黙が長いので不安になって顔をのぞき込む。
「!?」
 姫は白目を剥いていた。いったい、どうしたんだ?
「姫、どうした?」
 おれが揺するとがくがくと頭が振れた。なんだか知らないが、気を失っている?
 持病持ちだったのか、この姫は?
「おい、誰か医者を!」
 叫んだおれの耳に、不可解な音が聞こえた。ごろごろと・・・猫が喉を鳴らしているような。あまりにも不吉すぎるが、その音はマバヤ姫から発せられていた。
「ひ・・・め・・・?」
「・・・ぺ・・・」
「ぺ?」
 繰り返したおれの腕がいきなり振り払われる。
「まきゃぺ―――っ!!」
 姫は白目を剥いたまま叫ぶと、テーブルにすごい勢いで飛び乗った。
「うわっ!?」
 長いドレスの裾が跳ね上がり、やせ細った足が激しく踏みならされるのが見えた。
 いつの間に握りしめたのか、細長い杖の先に色とりどりの布を結びつけた棒を振り回し始める。
「あんがばぎらあ―――っ!! はらまんやぁっ!!」
 意味不明の言葉を叫びながら髪を振り乱す。口角から激しく泡が飛び散った。
「あんぎらあんぎらっ!! うんしゅこぬ――んっ!!」
 いったい、なにが起こったんだっ!?
 度肝を抜かれているおれに、姫の視線が向けられる。
「ぬがっ! ばんびりえんやっ!!」
 杖の先をおれにピタリと向けて姫は叫んだ。その目は、白目ばかりが異様に光り、まるで青い光線を放っているようだった。
 背筋が寒くなった。まるで呪いを向けられたような気がした。
「まあ、ウセルどうしたの?」
 その時、扉が開いて母上が現れた。
「ははっ・・・母上っ!」
「まあ!」
 母上は泡を食っているおれには目をくれずに、テーブルの上で踊り叫んでいるマバヤ姫を見た。
「もう、そんな時間だったのね」
「そんな時間ってなんだっ!?」
 なんだ、何を知っているんだ!? いったい、姫は何をやっているんだ!?
「宇宙神との交信の時間ですよ」
 母上はとんでもないセリフをさらりと吐いた。
「いつもマバヤ姫は一日に5回、宇宙神と交信するんですって」
「するんですってって、それって普通のことなのか!?」
 おれは半分よろめきながら、母上に近寄った。ちなみに姫は相変わらずテーブルの上で叫び続けている。
 母上はどういう神経をしているのかにこにことうなずいた。
「マバヤ姫は、最近評判のマバンヤ教との教祖さまなんですよ。信者の間では『生き神さま』と崇められているとか。あなたにぴったりでしょう?」
 なにがぴったりだ!? どこでこんなのを見つけてくるんだ?
「ユーリ姫は女神さま、マバヤ姫は生き神さま、ね?」
「ね? 、じゃありません!」
 叫んだ時、ふいマバヤ姫の声が聞こえなくなった。
 おそるおそる振り返ったおれの目に、しずしずとテーブルから降りる姫の姿が映った。
 若干髪は乱れていたが、姫は落ち着き払った表情でおれの前に進んでくる。
 おれは金縛りにあったように動けなかった。
「ウセルさま」
 姫が静かに笑う。ものすごく普通の声だが、それがなおさら怖い。黒目の部分が、ぽっかり空いた穴のようにうつろに光った。
 おれは背筋を冷気がはいのぼるのを感じた。
 この女、ものすごくヤバイ。こんな女に関わり合いになるのか?
 もし、気に入られたりしたら、一生つきまとわれるのか?
「ただいま、宇宙神からの神託がありました」
 神々しい透き通った声でマバヤ姫は朗々と告げる。
「うちゅうしん・・・」
 マバヤ姫はきらきらと目を輝かせている。なにかに憑かれているようだ。
「お義母さま、残念ですが、わたくしとウセルさまは決して結ばれない運命です。
神が・・・わたくしにはまだ使命があると!!」
「可哀想な、ウセルっ!」
 泣き崩れる母上の声を背中に聞きながら、情けないことにおれの膝は安堵で崩れそうになっていた。


          おわり

      

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