最後の書簡

                  by anaさん


 はっとして暗がりの中、目を覚ます。
 口の中が苦い。
「夢か・・・。」
 額にまとわり付くべっとりした汗を手でぬぐう。
 ほっと安堵のため息をついて、隣で静かに横たわる愛しい女に口付ける・・・。
「愛してるよ・・・。」
 ・・・・・・?
 ユーリはいつからこのように髪を長く伸ばしていただろう?
「陛下・・・」
 寝台上ではついぞ聞き覚えの無い、しかし、よく知っている声が答える・・・?
「・・・わたくしは皇妃陛下に何と言ってお詫び申し上げたらよいのでございましょうッ・・・」
 は?何だって?
 あわてて、枕元の灯火を引き寄せる。
「かくなる上は貴方様を弑仕立てまつり、わたくしも冥府へ参るより他にございませぬ。
ご覚悟召されませッ・・・!!」

ザシュッ!!
 勢い良く振り下ろされた剣をすんでの所でかわすと、私の代わりに枕が犠牲になった。
「ユ、ユーリはどこだ?なぜ、お前がここにいるのだ、ハディ?」
 枕から吹き出す羽根を食べてしまい、慌てて吐き出しながら尋ねる。
「今更何を申されます!
 まさか陛下が閨の寂しさに皇妃陛下の最も信頼下さったわたくしに狼藉をなさろうとは、夢にも思いませなんだ!」
 ハディの目は般若のように吊り上っている。
 まさか私がお前に無理やり手をつけたって言うのか?
 そんなことは私だって夢にも思った事はないぞ?!
 いい訳する間も有らばこそ、ハッティ族一の剣の遣い手は狼狽する私の咽喉元にぴたりと剣の切っ先を突きつけて言う。
「名誉なことだと我が夫は許してくれるやも知れませぬ。
 けれど、わたくしが生涯の忠誠を誓ったのは、皇妃ユーリ・イシュタル様ただお一人でございます。
たとえ今はこの後宮にいらっしゃらないとしても!」
「ま、まて、ハディ、これは何かの間違いだ!」
 枕元にあるはずの私の剣は、いったいどこだ?!
「ご免ッッ!!」
 裂帛の気合と共に再び勢い良く振り下ろされた剣の前に、丸腰の私はなす術も無く思わず目をつぶった・・・・・。

***   ***

「どうなさいました?陛下!」
 いつものように冷静なイルの声が私を悪夢から呼び起こす。
 口の中が苦い。
「夢か・・・。」
 額にまとわり付くべっとりした汗を手でぬぐう。
「随分、うなされておいででしたが。」
 お前でも良い、とにかく起こしてくれて助かった。
 窓の周りがほの明るい。もう夜が明けるようだ。
 ・・・・・イル、お前、何故、髪を下ろしている?
 それより、何故、私の寝台の中にいる・・・?
 ・・・それに、着衣は・・・どうした?!

「うわっ、待て、寄るな!」
 私の汗をぬぐおうとした裸身のイル・バーニの手を思わず振り払う。
「陛下がご自身で仰ったのです。『ほかの女など欲しくは無い』と。
ですから、第一の臣のわたくしが自らこうして。」
 な、何をしれっとした顔で言ってる?!?
 大昔のセリフで揚げ足とるな〜っ!
 思わず背後の壁にへばりつく。
 本当はもっと後ろへ下がりたい気分である。
「ご安心下さい。全て心得ております。誓って他へもらしたりはいたしません。」
 そういう問題じゃないんだっ!
 たとえ、ユーリが居なくても、他の者など男も女も欲しく無い〜!
 私は、目の前が暗くなるのを感じた・・・・・。

***   ***

「カイル、カイル!どうしちゃったの?起きて?」
 今度こそ、私の可愛いユーリの声が私を起こす。
 いつのまにか陽が高く上がっている。
 口の中が苦い。
「夢か・・・。」
 額にまとわり付くべっとりした汗を手でぬぐう。
「ああ、ユーリ、今度こそ正真正銘、お前だな・・・。」
「何、寝惚けてんの?随分、汗かいてるよ。顔洗ってくれば。」
 ああ、そうしよう。
 いや、お前のその可愛い手で拭いてくれないか・・・。
「早くしないと、あたしもう出かける時間になっちゃうよ。」

 なんだって?
 どこへ行くのだ?
 私を置いて?!
「何ボーっとしてるの?
あたし今日から、ウガリットへ出張でしょ。
ラムセスと秘密条約を結ぶために、皇帝の名代として派遣するって決めたの、カイルじゃない。」
 らっ、ラムセス?!
 お前があのけしからん男と会いに行く事を、この私が決めたというのか?!
 あの男がお前に何もしないで私の元へ無事返すというのだろうか?
 秘密条約と言うのは口実で、再びユーリを奪おうと画策しているのではないか??
 だいたい、ユーリが名代となることを決めたのは、本当に私自身なのか???

「おい、ユーリ。遅いから迎えに来てやったぜ。」
 忘れもしないあの男のあの不敵な声が聞こえてくる!!
「あっ、ラムセス!わざわざありがとう!」
 やけに弾んで聞こえるユーリの声。
 まるであの野郎に会えるのを心待ちにしていたかのようではないか!?
「じゃ、一緒にウガリットへ行こうか。
 用件が済んだら、海まで足を伸ばして、ちょっと遊んでもいいね。」
 まさか、ラムセスと海で泳ごうなんて言うんじゃあるまいな?!
「じゃーん。ほらこれ。水着もハディに作ってもらっちゃったvv」
 なんだっ、その、小さな布キレは!
 まさかそれを着てあの野郎と海へ入ろうというのか?
 わっ、私と一緒のときでさえ、警護の者に見られては、との懸念から半ば禁じかけたものをっ!
 そんなものをお前がこいつの前で身に付けるかと思うと、眩暈がするぞ!
「じゃあなムルシリ、ユーリは預かったからな。」
 勝ち誇ったような笑みを浮かべると、あの野郎は図々しくもユーリの肩を引き寄せた。
「じゃ、カイル、いってきま〜す!!」
 嬉しそうにユーリが私に向って手を振る。
 あの野郎が肩越しににやりと笑う。
 ちくしょう、待てっ!私を置いてゆくな!
 目の前が真っ白になってぐるぐると回った・・・・・。

***   **

「陛下、お目覚めの時刻ですが。」
 突然のキックリの声に驚いて目を開く。
 斜めに差し込む朝の陽光が両の目を射る。
 寝台にいるのは、私一人だ。
 口の中が苦い。
「夢か・・・。」
 額にまとわり付くべっとりした汗を手の甲でぬぐう。
「・・・今度こそ、本当の朝だな?」
「どうかなさいましたか?」
「いや、何でもない。」
 そういえば、今はハディもハットゥサに居ないのだった。
 ましてや、ラムセスが来るはずも無い。
 なにしろ、ユーリは宮殿のどこをさがしても、いないのだから・・・。

 寂しく一人で朝食を摂った後は、味気ない通常のスケジュールに従って執務に入る。
 しかし今日はさっさと片付けてしまうぞ。
 もし片付かなくてもかまうものか。
 先ほど、早馬が着いたようで正門のあたりが騒がしい。
 まもなく、文官の一人が足早にやってくる。
「陛下宛に書簡が届いております。」
 おお、今日も届いたか。意外に筆まめだったな。
 ちょうど部屋へ入ってきたイル・バーニをさほど気にする様子もなく、まだ若い文官は言葉を続ける。
 もちろんいつもどおりイルはきっちり衣服を着込み、デコを出して髪を結っている。
「しかし、本当に午後はハットゥサ城外までわざわざお出ましに?」
 ちっ、よりによってそれを山ほど仕事を抱えて入ってきたイルの前で訊くなよ?
 まだまだ経験が足りん。
 もちろん行くに決まっているではないか!!!
 大声で答えたいのを押さえて、さりげなく返す。
「予定通りだ。」
 たちまちイルの眉間に深い縦ジワがよる。
 しかし、今日の私にはやつの小言など痛くも痒くもない。
 ようやく、今日!なのだからな!
 ・・・まさか、これもまた夢ではあるまいな?
 いや、今日になってまで余計なことを考える必要はない。
 いやはや、なんとまあ長い日々だったことか!
 書簡の封を切りながらもう一度心の中で叫ぶ。
 今日こそユーリが帰って来るのだ!


       
ユーリから最後の書簡


 天と地とヒッタイトを統べる我がムルシリ2世陛下に申し上げます。
 その後、陛下にはお変わりないですか。
 私も相変らず元気いっぱいです。
 子供たちもみんな元気でしょうか?
 先日の夕方はこっそり市へ出かけたのがバレて大騒ぎ、山ほどお小言を貰ってしまいました。
 せっかく地方へ来てるんだからちょっとぐらい、と思ったんだけどね。
 さて、今回の視察ではなかなか首都にいてはできない様々な経験ができました。
 ただ、残念だったのは今回カイルが一緒でなかった事。
 一緒だったらこの旅ももっと楽しかったんじゃなかなぁ、と思います。
 二人で市場に出かけたかったなー。(それともやっぱ止めた?)
 帰ったら、不在中の分もちゃんとお仕事するからね。
 この書簡が今回の視察旅行中の最後の書簡となるはずです。
 もうすぐ、あなたの元へ戻ります。
 もうちょっとだけ待っててね。

我が皇帝陛下へ          愛を込めて 皇妃ユーリ・イシュタル




     

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