君といつまでも


 そのひらめきは突然やって来た。まさに天啓という感じだ。私は立ち上がり、机の上の粘土板を手に取った。
「陛下、見つかったのですか?」
 床にはいつくばって棚の下をのぞき込んでいたキックリが顔をあげた。
「いや、しかし思いついたのだ」
 思いつけば、すぐに書いておくに限る。ペンを走らせながら、うなずく。
 我ながら、良い出来だ。満足している私の横でキックリは派手にため息をつき、もう一度床に目を凝らした。
「しかし、みつかりませんね・・・」
 やはり這いつくばっていた書記官が、椅子を持ち上げながら言った。
「玉爾がないと、決裁がおろせません」
 確かにそうだ。いまや帝国の政治は暗礁に乗り上げている。
 ほんの少し前まで私の首にかかっていた印章は、いまやこの部屋のどこかの隅に転がっている。
「ひもが痛んでいたんですね」
「長い間使っていたからな」
 時の流れは、玉爾と吊すという名誉ある仕事に(?)ついていた革ひもを老化させた。 そう乱暴に扱ったつもりもないが、本日とうとう天命が訪れ、ひもはぷつりと切れ、玉爾は転がり現在捜索中となっている。
 いろいろ、教訓的だ。ひもは老化する。そして、帝国の経営に停滞をもたらす。人間もまた、然り。だからこそ、私は老いるわけにはいかない。
 老いて硬化した思考では、この国を導いてはゆけない。それに、妻のこともある。
「あ、ありました!!」
 若い書記が叫び、棚に載りきれずに積んであったタブレットの山の隙間に手を伸ばした。 なにがどうしてあのようなところに転がりこんだのか。派手な音を立てて崩れ始めたタブレットを見ながら、安堵の息をつく。
「お、おい大丈夫か?」
 キックリが新たに出来上がりつつある山に駆け寄り、印章を握りしめたまま突き出された片腕をひっぱり出そうとしていた。



 怪我人はでたが、午前中の政務はなんとか片づいた。遅れて後宮に戻ると、中庭の木陰で、ぼんやり座る姿を見つけた。
 ユーリ。私の妻で、この国の皇妃だ。黒髪、黒い瞳の小柄な姿は、すでに中年に達した私と並ぶと限りなく幼妻に見えるが、れっきとした「長年の連れ合い」である。
 足音を耳にしたのか、振り返った。その顔に笑顔が浮かぶ。
「カイル!!」
 呼びかける澄んだ声は弾んでいる。
 私は片手を挙げると、すでに昼食が並べられた木陰に近寄った。
「すまない、待たせたな」
「ううん、お仕事たいへんだったの?」
 黒い瞳が心配そうに曇ったのを見て、私は笑顔を作った。この、いつまでも若い妻の表情を翳らせることがあってはならない。
「いや、印章が行方不明になってな」
「印章って・・玉爾でしょ?」
「ああ」
 腰をおろす。寄ってきた白い肌をながめる。私は、いつだってお前にふさわしくありたいのだよ。
「随分さがしたよ」
 そう、いまこそ天啓を口にするときだ。
「なかなかみつからなくってね。ハンコのヤツ、ハンコウキかな」
「・・・」
 ユーリが、一瞬黙った。次の瞬間、笑い声。
「あはははは、カイル面白〜い!!」
「そうか、面白いか」
 言うと、細い身体を抱き寄せた。ユーリの笑い声がはじける。
 まるで、いくつもの光の粒が降りそそぐようだ。
 この愛しい者のためにも、私は柔軟な思考を失うわけにはゆかないのだ。
 お前の笑顔のためなら、なんでもするよ。



「ねえ、ハディ」
 どんより沈んだ声でユーリは言った。
「今日の陛下、どう思う?」
 食後に引き上げた自室で。ハディは小首をかしげた。
「いつもと、お変わりにならない御様子ですが?」
 相変わらず、ユーリに対して溺愛ぶりを見せているし、妙な駄洒落も口にしたし。
「あのね、最近おやじギャグ多くない?」
「まあ陛下もおやじ年齢におなりですから」
 それでも、腹は出ていないし、髪も後退していないし、中年としては良いレベルだ。
「それに、ユーリさま笑っておられました」
「あれはね!!」
 思い出したのか、ユーリは憤慨した。
「デイルやピアやマリエやシンがいつもしらけるから、誰にもウケないのはかわいそうだと思って、ムリに笑ってるのよ!!毎日、駄洒落聞かされている身にもなって!!」
「は、はあ」



「キックリ、良いネタを思いついたぞ!!」
 カイルは心底嬉しそうに言い、粘土板をキックリに差し出した。
 粘土板(じつはネタ帳)を見たキックリは吹き出した。彼も立派なおやじ年齢である。
「ぷぷぷ、陛下は本当にマメにメモをとられますね、感服します」
「当たり前だ、人間、努力を怠るようになってはおしまいだからな」
 自慢げにカイルは胸を張った。



               終わり  

   

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