その理由
byきくえさん
風邪をひいてしまった。
7日熱にもかからなかったこのあたしが、よりにもよってうららかな春になって、風邪をひいちゃうなんて。
ぼそぼそとした低い話し声が耳に入って重い瞼をこじ開けると、閉じられた厚い帳に影が映っている。
「…だれ?」
掠れ声しか出なかったけど、聞こえたみたい。
影がだんだん濃くなってきて人が近づいてきたのが解る。
帳が揺れて、そっと開けられると同時に眩しくてまた目を閉じてしまった。
「気分はどうだ?」
慣れ親しんだ優しい声に、目を開く。
「カイル……だいぶ良くなったよ」
心配そうな顔で覗き込んでるカイルに、頬を緩ませながら言うと、カイルも少しだけ顔を緩ませた。
「陛下、御前失礼致します。皇妃様、ご気分は如何ですかな?」
その声にカイルが足元の方に下がると、後ろから白い髭を蓄えたお医者さまが顔を出した。
そして、あたしの腕を取って脈を調べたりする。
「朝よりだいぶ良いよ。でも、まだ喉が少し痛い…」
「ふむ…顔色も随分良くなられましたな。この分ですと、明日にはすっかりお元気に戻られるでしょう。喉の痛みも、薬湯をお飲みになれば収まりますよ」
そうだと良いんだけど。
カイルってばいつも大袈裟にして、病気が治っても何日も部屋から出してくれなかったりするんだもん。
今だって、疑わしそうな目でお医者さまを見てるし。
「本当だな?」
「はい、陛下。おそらく、ご政務などのお疲れが溜まっておられたのでしょう。今日明日お休みになれば完治致します」
「そうか…絶対安静だからな」
最後のセリフは、勿論あたしに向けられたもの。
カイルの厳しい視線を避けるように、あたしは上掛けを頭まですっぽりと被ってカイルに背を向けた。
しばらくして、人の気配が無いような気がして上掛けをほんの少しずらすと、脇に座っているカイルと目が合う。
「どうした。気分が悪くなったのか?」
「ううん…カイル1人だけ?」
「ああ。皆下がらせたよ」
「ありがとう」
カイルの心遣いが嬉しい。
看病してくれるのは本当にありがたいんだけど、いつも何人も側に居られると、どうしても気になっちゃうんだよね。我が侭だな。
額からずれたタオルが取られ、代りにカイルの手が当てられる。
「うわ……」
「なんだ?」
「カイルの手、冷たくて気持ち良い…」
額に置かれた掌は大きくて、目も覆われる。
瞳を閉じると、目頭が熱くなって涙が零れそうになった。
「…まだ少し熱いな…」
当てられていた掌が温くなるともう一方の掌に代えられ、じんわりと与えられる冷たい刺激がひどく心地良くて、その上に右手を重ねてみる。
「心配かけてごめんね、カイル。でも、明日には治ってるよ」
「そうだな。わたしの為にも早く治してもらわないと」
瞼を開けると、そこには、何かに怯えたような顔をしている身体の大きな子供がいた。
「ねぇ、あの子たちはどうしてる?」
寝室への出入り禁止を言い渡した子供たちの顔が浮かんだ。
「いつからかは判らないが、わたしが来るまでそこの扉の前で二人、座り込んでいたよ」
デイルとピア、二人を部屋に入れないようにするのに苦労した事だろう。ピアはまだまだワガママ盛りだし、一見聞き分けの良いデイルも、誰に似たのか結構頑固者だ。
可哀想なことしたな……。
「そう……今日は二人と遊ぶ約束をしてたのよ」
仕事ばかりの毎日の中で、なんとか捻り出した僅かな時間。
約束を破ったと、怒ってるだろうな….
「仕方がないだろう。あの子達だってお前の心配をしている」
「でも……」
「これを、母さまに、と」
そう言ったカイルの手には、小振りの一輪挿しの中に入れられた、2本のレンゲの花。淡い紫色の花びらを持った小さな花がいくつも集まり、それを支える細い茎はなんとも心細そうだ。
カイルに手伝ってもらいながら体を起こし、それを受け取ると、それだけで春の香りが鼻をくすぐる。
「良い匂い。あの子たちが摘んできてくれたのね」
「ああ…いつの間にか咲いていたのだな」
「あたしも知らなかった……」
遠くを見すぎていて、足元が少し見えていなかったのかもしれない。この小さなレンゲの花は、色と香りでその存在を一生懸命訴えていたのに。
「ねぇ、カイル、お願いが……」
「治ったら、この花が咲いているところに遊びに行きたいとでも言うのだろう?」
うっ。バレてたか。
思いっきり図星を付かれて、ちょっとバツが悪い。
「ダメ?」
恐る恐る、お伺いをたててみる。
「そうだなぁ…わたしからの見舞いの品も受け取るのなら、許可しよう」
「は??」
どういうこと?
まさか、お見舞いの品がすけすけのドレスで、治った暁にはそれを着ろとか言ってくるんじゃないでしょうねぇ?
本人はわざとらしく威厳のある顔を作っているつもりだろうけど、その実、ニヤけてるのがバレバレなカイルに、あたしの第六感が危険信号を発している。
すると、おもいっきり不審がっているあたしの手の中に、花の代わりに小さなカップがおし込まれた。
中には、どす黒いとしか言いようのない、強烈な臭いを放った液体が入っている。
まさか……
「これって……」
「医者が、それを飲むように、と」
やっぱり!!
手の中のどろっとした薬から、目が離せない。
今朝飲んだ薬も苦かったけど、これはまたその上を行きそうな…水で薄めちゃダメかな……。
全身が固まったあたしを見て、カイルが肩を震わせながら笑っている。
「わたしからの見舞い品だ。受け取ってくれよ、ユーリ?」
「う〜〜〜謀ったわね?他人事だと思って・・・」
カイルが悪いわけじゃないのは分かるけど、あたしが嫌がるのを見越していたカイルを、つい恨みがましく見てしまう。
子供みたいに、嫌だって言えれば良いのに…。
「心外だな、こんなにもお前のためを思っているというのに。わたしが飲ませてやろうか?」
「いいっ!自分で飲めますっ!」
身を乗り出してきたカイルを慌てて制止して、覚悟を決める。
息を止めて、一気に飲む。
……不味い……。
せっかくの花の香りが、どこかに消えてしまったじゃない。
「ユーリ」
下を向いて、大きく息を吐いていたあたしは、名前を呼ばれて顔を上げる。
「んぐっ」
すると、突然何かを口の中に放り込まれた。
噛むと、今度は甘酸っぱい味が口の中いっぱいに広がって、薬の味が遠くに行く。
「イチゴ…?」
「何か口にしないとな」
そう言ってまた苺を口に運んでくれるカイルは、さっきとはまた違った優しい笑みを浮かべている。
そういえば、朝食も食べなかったんだっけ。
でも、わざわざあたしの好物を用意してくれているところが、なんだか……だ。
こういうの、なんて言うんだっけ。天国と地獄?アメとムチ?
「もう寝るね」
結局、カイルが用意してくれていた苺を全部食べ、再び横になる。
そうだ。
「カイルも早く政務に戻ってね。それと、もうカイルもここに入ってきちゃ駄目だからね!」
「なぜだ?」
あたしの額に濡らしたタオルを置こうとしてくれていたカイルは、あたしがそう言った理由が本気で判らないといったような顔をしている。
「なぜって、そんなの当たり前じゃない。カイルに風邪をうつすわけにはいかないでしょ」
そうよ。寝室への立ち入り禁止を言ってあったのは、デイルとピアにだけじゃなかったはず。あまりにも当たり前に居すぎて、そのことをすっかり忘れていた。
皇妃が皇帝を病に臥させる訳にはいかないじゃない。
「ああ、その事か。それなら大丈夫だよ」
「あのねぇ…」
何を根拠にそんな自信を持っているのか。
呆れ半分、怒り半分で反論しようとすると、真顔のカイルに遮られる。
「なぜなら、わたしはお前の顔を見られるだけで力がでる」
「!!」
耳元で囁かれると、何も言葉が出なくなってしまう。
病人からパワーを吸い取らないでよ、カイル……。
「もうっ!勝手にすれば?!」
反則技のような笑みを浮かべるカイルと視線を合わせないように、また上掛けを頭の先まで被って言う。
顔が熱いのは、きっと熱が上がったせい。
おわり
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