春恋歌
by 琴那さん
「ねぇ、お願い?」
相変わらずである。この言葉は幾度今まで繰り返されたであろう。
私は自分が近い未来「ヒッタイト史」を記すその時は、皇妃の名言として必ずこの台詞を入れるべきだと思っている。
・・・皇室の為には記さないほうが良いとも思うが。
「イルバーニ、本当にお願い!!だから今日は午前中でお仕事終わらせたでしょ??ねっ??」
「本当に、本日はご政務に励まれておりましたね」
本日「は」に力を込めてしまうのは当然としてお許しいただこう。
「うんっ!!」
脇目もふらず政務に励む皇妃のその理由を「もしかして、ユーリは早く仕事を終わらせて今夜は・・」と、勝手に妄想を膨らませていた皇帝にもお気づきではなかったのでしょうね。
「最近忙しくて遠乗りに行って無いの・・・1週間もよ?」
以前ハディに連れられて遠乗りに行きましたが、私は1年に一度で十分です。
「ね?1人で行くわけでもないのよ?ハディと一緒に行って野イチゴを摘んでくるだけ」
「ハディと?」
思わず聞き返した私の声色に皇妃は小さく表情を変えた。
「だめ?」
表情の変化を、本来と違う意味で取ったらしく、瞳に涙を溜めたアップが10cm近づいた。
「陛下はすぐお気づきになります」
1歩後ずさりしながら、これまた幾度と無く繰り返された言葉を出す。
「だから、すぐに帰って来るから、それまで、ね?お願い?」
私に注意をそらせろという訳ですね。
「だって、カイルにばれたら政務を放ってすぐに追いかけてくるわ。そうしたら一緒に野イチゴを摘んで、帰って来るのはきっと夜よ?
でもイルバーニが注意を逸らしてくれれば、う〜ん・・夕方には戻ってこれる♪」
そして皇妃様は陛下に怒られることも無いと。
なぜ帰って来るのが夜なのかは、日中の暖かい日差しの中で口に出すのは止めておきますが。
【ですが、本日の問題はそこではありません。】
出掛かった言葉を飲み込んだのは、皇妃の後ろで控えている女官長が必死の形相で懇願しているから。
昨夜、子が出来たか知れないと妻は言った。
医師からきちんとした答えを言われるまでは公言しないようにとも。
【もし違った場合は周りの者に心配をかけますし、気を使われると仕事に支障が出ます】
私が明言してはなるまい。
女性とは繊細な心を持った生き物であるから、流れで言葉に出してしまっては万が一の時に心身共に傷つく恐れがある。
物事を言葉にする時は、それを裏付ける事実が無ければ。
朝からバタバタと仕事をしていたのは知っている。
医師にはまだ見てもらっていないのだろう。
私は咳払いを一つすると、ため息をつきながら懇願している瞳から視線を外す。
ダメだといえば、黙っていなくなるだろう。そのような事は百も承知。
それは困る。だが、ここでOKする事も、やはり・・・
「双子は?」
「市へ出かけております」
双子と市へ出かけるよりも、午後の遠乗りを取ったという訳ですか。
「どちらへ野イチゴを摘みに?」
「西の山の森でございます。険しい道も特にございません」
用意していたかのように即答する女官長に、また一つため息が出る。
どうしたものか・・・・
険しい道が無いといっても、やはり落馬する可能性を考えると気が進まない。
「ねぇ、お願い?」
はい、皇妃様のおねだりポーズはもう十分承知しております。
むしろその後ろで控えている女官長の表情が気になるのは仕方が無いこと。
身体を思えば、遠乗りには行かせたくはない。だがここで制止しても無駄な事。
公言してしまえば、妻の気持ちを傷つけてしまうし。。。。
ふむ。。。。
当然帝国の繁栄も大切だが、家庭の繁栄も大切である。
私はゆっくりと息を吐くと、首を振りながら呟いた。
「夕方までにはお戻りくださいね」
笑顔が2つ、春の日差しの中咲き誇った。
執務室へ入ると、途端に皇帝の口元が開きかけた。
わかっております。
「ユーリは何処だ?」ですね。
山となった書簡をちらりと見ながら呟く。
「イシュタル様が遠乗りに出かけたと女官が噂しておりましたが」
「なに?遠乗りだと?」
飛び出す勢いの皇帝を、私は静かに一歩後ずさりして入り口を空けた。
「イルバーニ様!?」
驚いた表情で私と皇帝の後姿を見比べる書記官を手で止める。
「後から分かって軍を派遣するよりはマシであろう」
今ならまだ王宮を出る前のはず。
そのまま勢いで後宮へ向かわれても今日ばかりは諦めましょう。
皇帝の皇妃に対する溺愛もこのように役に立つとは。
大切な妻の為である。政務の一つや二つ、喜んでお受けしようではないか。
帝国の繁栄も大切だが、今日だけは家庭の繁栄を優先させていただこう。
私はため息をつきながら午前中に増して山の高くなった書簡を一つ手に取った。
我ながら驚く速さで書簡を片付け、自室へ戻るとハディが小さくなって私の元へ飛び出してきた。
「本日はワガママを申し上げて・・」
「謝らなくても良い」
2人の視線がぴたりと止まった。
噛み締めた唇は暫くの間、何も言葉を紡ぎ出さない。
「・・・もしかしてご心配を・・・」
「ん?」
「いえ・・」
口ごもる妻の言いたい事は分かっていた。
いつも以上に早い皇帝の制止に作為を感じたのは当然であろう。
彼女の顎先に指を絡めると私はその顔をゆっくりと見つめた。
「それで、医師は何と?」
妻の唇が笑顔の形になった時、私は自然と妻の肩を抱きしめていた。
私は自分が近い未来「ヒッタイト史」を記すその時は皇統のみならず元老院の家系図も加えてしまおうか?
おわり
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