Shit! Shit! 嫉妬!


「あら、お姉さま、髪を伸ばされましたのね」
 輿から飛び降りるなり抱きついたアレキサンドラが言った。
「うん、ちょっと伸ばしてみようかな・・・って、ヘンかな?」
「ヘンじゃありませんわ、とっても素敵!」
 きまじめに皇帝に挨拶をしている夫を振り返って、同意を求める。
「ね、殿下、お姉さまって長い髪もお似合いですわよね?」
 言われてジュダは顔をあげ、にっこり笑った。
「はい、とても良くお似合いです」
「本当?」
 肩口で遊ぶ毛先を引っぱってユーリは不安そうに首をかしげた。
「でもね、癖が強くてまとまらないの」
「今はまだその長さだからですわ。もう少し伸びれば綺麗な巻き髪になりますもの」
 ユーリの髪に触れながらアレキサンドラはうっとりと続けた。
「お姉さまの髪ってツヤツヤしてとっても綺麗。長くなったら真珠を編みこんだらどうかしら?」
「では、それまでに選りすぐりの真珠を取り寄せておかなくてはな」
 典礼通りの出迎えの挨拶をすませたカイルがさりげなく近寄って肩を抱き寄せた。
 指先で梳き上げた髪に口づける。見ている者が赤面するような動作だ。
「これに負けないものを、と考えるとなかなか難しいが」
「隊商が通るときに、ボクも気をつけておきます」
 妻の腕に手をかけながら、ジュダは言った。
 聡い皇弟は、兄が他の者が妻に触れるのを好まないのを知っている。たとえそれが皇妃を姉のように慕う皇族の妃の一人であっても。
「私も選びますわ、お姉さまが身につけられるモノですもの」
 こちらはまったく気づかぬように、アレキサンドラは瞳を輝かせた。すでにその姿を思い描いているのだろう、うっとりとした視線をユーリに注ぐ。
 いつのまにか当の本人を取り囲んだまま一堂が盛り上がる。
「やだ、そんな大げさに考えなくても」
 ユーリは顔を赤くして首筋を押さえた。
 もともと自分の容姿を話題にされるのは苦手だった。慌てて話題を変えようとする。
「それより、こんなところで立ち話をしているより、はやく中に入って。でないとみんな休めないよ」
 カルケミシュより到着したばかりの隊列を振り返る。彼らは律儀に直立不動で皇族たちが王宮に入るのを待っている。
「それに、ね、テリピヌ殿下もお待ちだし」
 肩に回されたカイルの腕をはずそうとしてより強く抱き寄せられる。
「兄上はもうお着きですか」
 ジュダは視線を王宮に向けた。
「昨日到着された」
 カイルは言うとユーリを抱えたまま歩き出した。自然に一行は移動を始める。
「すっかりおくつろぎだが、困ったことに息子をとられた」
「皇太子殿下を?」
 小走りに追いすがりながら、ジュダは首をかしげた。カイルの口調にはどこか面白そうな響きが混じる。実際に困っている訳ではないのだろう。
「伯父上にべったりなのだ。食事時でもなんでも」
「まあ、先を越されたわ!」
 アレキサンドラが悔しそうに頬をふくらませた。
「デイル殿下のためにオモチャをたくさん持ってきたのに。一緒に遊ぼうと思っていたんです。殿下ってお姉さまにそっくりなんでしょう?」
「そっくりかどうか分からないけど、黒い髪に黒い目なの」
 話題がそれたのに安堵して、ユーリが言った。
「でもカイルの小さい頃にも似てるって古い女官は言ってたり」
「ご両親のどちらにも似ていらっしゃるんですね」
「いいな、お姉さまと同じ髪! 私もそんな赤ちゃんがいいな」
 言ってから、アレキサンドラは頬を染めた。話題にするのが自分たちの子どものこととなるとまだ恥ずかしい。
「黒髪は・・・無理ではないでしょうか」
 自信がなさそうにジュダはつぶやいた。
「テリピヌ殿下の御子だって黒髪ですわ」
「兄上が黒髪ですから」
 どう説明していいのか分からず、ジュダは口ごもった。子どもは両親にしか似ないと言ってしまえば、違う例はいくらでもあると反論されるだろう。
「いっそ、私がお姉さまの御子を産めたらいいのに」
 あまり深く考えずにアレキサンドラは言う。
「そうねぇ」
 のんびりと答えるユーリの後ろで男二人の顔はそれぞれ違う思惑で強張った。



「お姉さま、よろしくて?」
 扉から顔を出して、訊ねる。
 ちょうど衣装を身体にあてていたユーリは振り返った。
「姫、もうしたくは整えられたのですか?」
「はい」
 ぴょこんと部屋に飛び込んだアレキサンドラは両腕を広げてくるりと回って見せた。
 艶のある布がさらりと音を立てて舞った。従う女官達がくすくす笑う。
「まあ、素敵!」
「殿下のお見立てなんです」
 頬を染めてアレキサンドラは言うと、まだ衣装箱から取りだした衣装をためつすがめつしているユーリに不思議そうに訊ねた。
「お姉さまはまだお決まりにならないの?」
 もうすぐ、歓迎の宴の時刻だ。皇帝夫妻が着席しないと開宴できないからユーリが遅刻するはずはない。
「陛下も選んで下さったんだけど」
 椅子の背に投げだされた衣装をちらりと見るとユーリは頭を振った。
「あら、とても素敵ではありませんか!」
 アレキサンドラは駆け寄ると、薄布を重ねたそれを取り上げた。淡い色の重なりはユーリの肌の色を何よりも際だたせそうに見える。
「これをお召しになりませんの?」
「それはちょっと、ダメなの」
 もそもそとユーリは口ごもった。
「お似合いですのにっ!」
 弾む足どりでユーリに近寄ると、胸元に衣装を掲げた。
 これも見立てなのだろう、盆の上にきっちり並べられたアクセサリーを飾るとなおいっそう引き立つだろう。
「ね、これをお召しになったら? 髪も結い上げて!」
 素早く後ろに回ると、ユーリの髪をまとめて持ち上げた。
「こうやって・・・」
 言葉の途中でアレキサンドラは黙り込んだ。
「えっと・・・ダメ、なのよ、ね?」
 消え入りそうな声でユーリは言った。
「そ・・・そうですわね・・・」
 慌てて髪から手を抜くと真っ赤になって俯いた。
 露わになったうなじから、なだらかに続く背中にまで、それと知れる赤い痕がいくつもちりばめられていた。
 近くで見れば、それは子どもを生んだためかふくらみを増した胸元にまでしっかりと張りついていた。
「髪、あげると目立つの、あげられなくて・・・それに衣装も胸が開きすぎていて」
「こ、困りましたわね」
 言いながら、慣れているのだろうか平然としている女官達に視線をさまよわせる。
 彼女たちはテキパキと衣装を取りだしアクセサリーを並べている。
「やめて、って言ってるんだけどね。カイルってスケベだから」
 思わず早口になるユーリにアレキサンドラは目を丸くした。
「スケベなんですか、陛下って?」
「ええっ!? いや、そうじゃない・・・こともないけど」
「スケベなんですね」
「・・・・・・・・・うん、髪の伸ばせって言ったのもカイルだし。こんなことするためなのかな」
 アレキサンドラは真っ赤になった頬に手を当てた。
「ムルシリ二世陛下のご寵愛はお深いのですね」
「え? そうかも知んないけど、それとこれとは」
「だって、こんなに」
 アレキサンドラはおずおずと髪に触れると、もう一度赤い痕を眺めた。
 そっと指でなぞってみる。滑らかな肌は触れるだけで痕を残しそうだった。
「きっとそうですわ、こんな場所に、その、お印をつけたのは他の方に見せようと」
「そんなっ! 恥ずかしいじゃない!?」
「でも、そうなんですわ」
 女の自分でも引きよせられる肌だ、ましてそれが男なら。
 そこに触れた皇帝の姿を思い描きながら、アレキサンドラは自然に唇を寄せようとした。
「ユーリ、準備は・・・っ!?」
 突然前触れもなく扉が開いた。
 アレキサンドラが入ってきたのとは別の、皇帝の私室に続く扉だった。
 両手でドアを開いたまま、カイルは硬直した。
 ちょうどユーリのうなじに口づけようとしていたアレキサンドラは飛び上がった。
「わ、わたくし、これで!」
「え? え? 姫っ?」
 何が起こったのか分からないユーリは体当たりするように扉を開け脱兎のごとく駆け出したアレキサンドラを呆然と見送った。
「どうしたの? なにがあったの?」
 ちょうど別の方向を向いていて事の次第を見ていなかったハディを筆頭とする女官達は首をかしげた。
「なにか急用を思い出されたのでは?」
「そうなの?」
 思いついたように、ユーリはまだ立ちつくしたままのカイルに眉を吊り上げた。
「カイル、入ってくるときはノックしてよね、驚くじゃない! いつもはあたしだけだけど、今日みたいに・・・」
「今日みたいに・・・なんなのだ?」
 カイルはようやく絞り出した声でたずねた。
「姫が驚いてしまったじゃない」
「驚くようなことをしていたのか?」
「えっ?」
 ユーリは口ごもった。話題はカイルがスケベだということだったので、さすがに言えない。
「まあ、いろいろと。 いいじゃない、どうでも!」
「良くない!」
 いきなりの大声をあげると、状況を把握できずに目を白黒させているユーリに、カイルは大股で歩み寄った。



「ユーリさまのおしたくを手伝いに行ったんじゃなかったの?」
 ジュダがそっとアレキサンドラの袖を引いて訊ねた。
 先帝、先々帝の周忌の行事のために集まった知事たちの到着をねぎらう宴は予定した時刻より遅れて始まった。
 玉座に上機嫌に収まった皇帝の隣で、皇妃はどこか放心した表情で腰を下ろしている。
「えっと、いろいろあったんです」
 挨拶をしているハレブ知事の後に続きながら、アレキサンドラはささやき返した。
 皇妃の衣装は、先刻皇帝が選んだと言っていたものだった。
 さすがにユーリが抵抗したのか、露わになるはずの胸元には薄い紗布が巻きつけられている。
「・・・どうしましょう」
 その胸元を眺めて、アレキサンドラはため息をついた。
「なにがです?」
 ジュダの声に、当惑したまま両手で頬を包んだ。
 薄い布の下には肌が透けて見える。そこには、先ほど見かけた痕がかすかに見て取れる。
「だって、増えてるんですもの」
 覚えのないものがちらりほらり。
 やっぱり、お姉さまのおっしゃったことは本当だったんだわ。
 アレキサンドラは『スケベ』な皇帝の顔を盗み見た。


                     おわり
  

     

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