勉強が役に立つ時

                           by anaさん

 元はといえば今朝、私がいつまでも思い切り悪くユーリと寝台の中でベタベタしていたのがいけなかったのだ。


「あ。」
 私の耳元の飾りを玩んでいたユーリが小さく声をあげた。
「どうした。」
 私はゆっくり目を開けた。
 ユーリの手の中に、球型の黒曜石がある。
「・・・ごめん、カイル、とれちゃった。」
 なめらかなユーリの頚に腕を廻すと、同じくなめらかな頬に No Problem の返事代わりの口付けをした。
「気にすることは無い。随分古いものだからな。留め金が緩んでいたのだろう。」
 続けてキスの標的をユーリのくちびるへとすばやく移動させる。
「あっ。」
 ユーリが小さく恥じらいの言葉を発するとほんの少しだけ逃げようとした。
 私の大切な妃は何年たっても初々しく瑞々しい。

 逃がさないように片手で形良い後頭部を残った片手でほっそりした腰をそれぞれしっかり捕らえると深く口付ける。
 捕えられたユーリは抵抗するのをやめて逆にそのくちびるだけで私を虜にする。
 そうして変わらぬ愛を確かめた私達は言葉でもう一度念を押す。
「おはよう、ユーリ、愛しているよ。」
 あたしも。ユーリも眩しそうにそう答えると今日という幸せな日がまた始まる。
 筈だった。

 ところが。

「な、な、な、何っ、これっ!!」
 突然ユーリが突拍子もない大声で叫んだ。
「な、何とはいったい何の話だ?」
 キーンと鳴る耳をおさえながら訊き返すと、ユーリは憤懣やるかたなしという面持ちでさらに怒鳴った。
「なんでこんな所にこんな事が書いてあるのよっ!」
「掻いて?どこか痒いのか?」
「何寝ぼけた事言ってるのっ!アナっていったい誰よっ!」
 誰だっけと考える暇も無く、私の頬はバシッと派手な音を立てた。
「その女の人との大事な思い出の品ってわけ? ひどいっ! もう二度とあたしに触らないでっっ!!」
 ばたばたどしーんばたんっ、という騒音と共にユーリが出て行った後には件の壊れたイヤリングがポツンと取り残されていた。
 一体全体これがどうしたって?と突然の嵐のような騒ぎに唖然としながら手にとって見ると、何やら石に小さく文字が刻んである。
 たちまち腫れて来る頬を押さえながらその読み辛い文字を読んでみると、なんとそれは以下のとんでもない愛の言葉だった。

 『 アナの瞳の永遠の思い出に 』

 な、な、な、何だっ、これは?!?
 わ、わ、わ、私じゃないぞ?この文字を刻ませたのは?!?
 しかし、どうやらユーリは私が入れさせたと思ったようだ。
 思い起こせば遥か昔、私がまだ情けない遊び人であった頃、そんなような名前の恋人が居たかもしれない。
 そういえば、このイヤリングは貰い物だったかも・・・そういえば贈り主は女・・・だったか・・・?
 きっと、そいつがこっそりこの文字を入れたのだ!
 たらり、と額に脂汗が流れる。
 しかし、顔などとうの昔に忘れてしまった。
 さだめし、ユーリと同じ黒い眼だったのだろう。
 恐らく別れ際に哀れに思って受け取った品に、実はこっそり見えない箇所に勝手な愛の言葉が刻まれていたに違いない。
 そうだ!そうに違いない!私は悪くないんだ!
 ・・・いや、やはりこれは身から出た錆と言うべきか?
 しかし、昔の女の名前が入ったアクセサリを身に付けていたなんて、誰が考えても酷い話だ。
 ユーリじゃなくても怒るだろう。
 うーむ、これはいったいどうやって損なわれてしまったユーリの愛と信頼を回復すればいいのだろう?
 イル・バーニに相談してみようか?
 いや、『自業自得ですな。』と冷たくあしらわれるのが関の山だ。
 ハディに取り成しを頼もうか?
 いや、さらに怒りを買うのは必定だ。
 ああ、誰か私に良い知恵を貸してくれないか?!?
 ますます腫れてくる頬の痛みに耐えながら私は必死で善後策を考えた。


「ハディ、ユーリはどうしてる?」
 わざわざ皇妃のご機嫌伺いに訪れた皇帝に、皇妃の忠実な女官長は木で鼻を括った様な返答を返した。
「やはりお目にかかりたくないそうです。」
 私はここで負けてはならじ、と食い下がった。
「扉を開けてくれ。何度も言っている様に今朝の事は全くの誤解なんだ。」
「陛下が大切にされていたイヤリングにかつての恋人の女性のお名前が刻み込まれていた、というその明白な事実のどこに誤解が?」
 冷ややかなハディの視線が痛い。
「だから、あれが気に入ってたのはユーリの瞳に似ていたからであって、別に思い出の品とかそんな大層な理由じゃないんだ。
 そもそもあんなメッセージが入っていた事など私も全く知らなかったんだ。」
「左様でございますか。では皇妃陛下にそのようにお伝えいたします。」
 丁重な言葉遣いとは裏腹の取り付く島もない表情。こういうのを慇懃無礼と言うのだ。
 これは彼女の女主人がいかに怒り狂っているかを示すのだ、と考えると挫けそうになる私。
 しかし、このままユーリに会えなくてもいいのか?
 いいや、そんな事は断じて耐えられない!
「知らなかったとはいえ、私も実に迂闊だったと深く反省している。直接謝りたいからユーリに会わせてくれ。」
「本日、金細工師をお呼びになられたそうですが、多少の贈り物でユーリ様の痛められたお心が治るとでも?」
 ハディに鼻先でふふん、と笑われてこの国で一番偉いのはいったい誰なのか一瞬わからなくなりそうな私。
 いかん、いかん、ここで弱気になってしまっては解ける誤解も解けなくなってしまう。
「いや、そんな小細工はしない。私は私の誠意をユーリに示したいだけなんだ!。」
 えんえんと廊下で押し問答をしていたら、思いがけず中から扉が開いた。
「何?やかましいよ。他の臣下の手前もあるから入って。」
 天岩戸が再び閉じてしまう前に慌てて部屋の中にすべり込む。
「おお、ユーリ、あれが誤解だとわかってくれたのか?」
 両腕を広げてユーリを抱きしめようとした私を、後ろに下がりながらまるで汚らわしいもののように睨(ねめ)付けるユーリ。
「誤解であろうとなかろうと、気分が悪い事には変わりないよ。」
 返事もそっけない。
「今朝の事は本当に私が悪かった。あのイヤリングは即刻捨てさせたから。」
「捨てたからって無かった事にはならないでしょ。」
 拒絶の言葉を言い放ちながら、腕を組んで仁王立ちするユーリ。
 その視線がふと私の胸元に。
 そうだ、ユーリ、見てくれ!私の愛と誠実の証を!

 ユーリが目を丸くして訊いて来る。
「その胸飾り、いったいどうしたの?!?」
「さっき急いで作らせたんだ。」
「その格好で後宮を歩き回ってたの?!?」
「今朝のとんでもないイヤリングの代わりに新しく作らせたんだ。
 どうだ、イヤリングにはこそこそ卑怯に入れてあったが、私のはこれこのとおり天地神明に誓って、いや、ヒッタイト幾千の神々に誓ってこの世の誰にも恥じることは無い!」

 その頃、ハディは廊下で一人ごちていた。

 先程陛下がつけていらした新しい胸飾りには珍しい文様が入っていたわね。
 でもあの文様は見覚えがある。
 少なくともあれのうち半分は随分前に『えぷろん』とやらに刺繍したのと同じだわ。
 確か「誰にもナイショね。」と頬を染めたユーリ様にこっそり頼まれたのよ。
 残りの半分はわからないけど、何か意味あるのかしら?
 それにしても、私の刺した刺繍に比べたら陛下の胸飾りの文様はとんでもなく大きいわ。


「なんでカイルはそんなものをまだ覚えてるの?もう2年も前の話じゃない!」
 真っ赤になってユーリがうろたえている。
「私の記憶力は素晴らしいだろう?」
 私は胸を張って自慢した。
「ばかっ!見てるあたしの方が恥ずかしいよっっ!!」
 しかし、その抗議の声にさっきほどの棘も勢いもない。
「今日のところは間に合わなかったが、近いうちに揃いでお前の分も作らせよう。」
「『 ユーリ大好き 』だなんてそれだけで充分恥ずかしいのに、ペアルックなんて絶対にイヤッ!」
 ユーリが私の胸元に飛び込んできてポカポカとこぶしを叩きつける。
 でも、ぜんぜん痛くない。ははは。これは照れ隠しだ。
 私のユーリは本当に何時までたっても初々しく瑞々しいなぁ。
 満足した私は完了しなかった今朝の目覚めの儀式をやり直すべく、暴れるユーリを捕まえて入念にキスする事にした。


                        おわり

      

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