おやじ−男の弱点
「@×△■〜〜〜!!」
大声で叫びたいにもかかわらず、声にはならなかった。苦悶、とはこのことを言うのだ。
「ご、ごめんカイル!大丈夫だった!?」
慌てて身を起こしたユーリが、おろおろと訊ねる。
大丈夫だとか、大丈夫ではないとか、なんとか答えたいのだが、私の喉から漏れるのはうめき声ばかり。
青ざめたユーリは人払いのしてあった回廊に向かって叫ぶ。
「ハディ! ハディ!! すぐに来てっ!!」
「ユーリさま、何ごとです!?」
忠実なハディが主のただならぬ様子に、血相を変えて飛んでくる。
「いったい、なにがございましたか!?」
説明しよう。
本日、私たち皇帝一家は、仲むつまじく団らんの時を過ごしていた。
日当たりの良い中庭で、二人の息子デイルとピアははしゃいで走り回り、バッタかウサギかはわからないが、四つんばいになってぴょんぴょん飛び跳ねていた。
私とユーリは木陰に敷いた敷物の上で寄り添い、それを微笑ましく眺めた。
私はユーリの肩を抱き寄せ、ワインのカップを片手に、ときどき、滑らかな頬に口づけたりしながら、この幸せを噛みしめていた。
「ユーリ、愛しているよ」
使い古しだとは思わないで欲しい。こんな一時に、我知れずあふれ出す言葉なのだ。
ユーリは少し頬を染め、私の首に腕をまわす。
「あたしも・・・カイル」
・・・嗚呼! 青春に! 美しい人生に乾杯!!
私はユーリを膝の上に抱きあげる。デイルもピアもウサギ跳び(あるいはバッタ飛び)に集中しているし、少しぐらいいちゃついたって構わないだろう。
私はユーリの肩を留めているブローチをいじった。
これをはずせば、肩からはらりと布が降りて真っ白な胸が露わになる。
胸のふくらみの上に少しぐらい口づけたって構わないんじゃないか?
「ダメ、カイル・・・」
私の意図に気づいてユーリは私の手を押さえた。
「子ども達がいるのよ?」
少し叱るような口調だ。でもまだ瞳が潤んでいる。これは今はダメだが、後でならいくらでもオッケーってことなんだな?
「では、二人っきりになろうか?」
私は冗談めかして、その実かなり本気の入った言葉を口にする。
ユーリは笑った。笑った拍子に、私の指から弾けたブローチがころころと転がった。
「あっ!」
はだけかけた胸元を抑えると、ユーリは急いでブローチを取ろうと手を伸ばした。
人生どんなところに落とし穴があるか分からないものだ。
この場合の落とし穴は私のスケベ心か?
ユーリは私の膝から滑り落ち、反対側のブローチに腕を伸ばそうとしていたために、ちょうど横倒しになりかけた。
私はユーリをもう一度抱き上げようか、それとも横になったところに覆いかぶさろうかと一瞬迷ったのだ。
で、手を伸ばしあぐねている間に、反射神経の良いユーリはさっと地面に手をついて身体が倒れるのを防いだ・・・つもりだった。
しかし、そこは地面ではなかった。私の身体だった。
もっと詳しく言うならば、ユーリを座らせるためにわずかに開いていた脚の間の・・・・左側の方だ。
ユーリの全体重(いや、上半身だけか?)が、その上に偶然置かれた手のひらに掛かった。
「@×△■〜〜〜!!」
「いったい何がっ!?」
半ば白目を剥きかけている私を見て、ハディは突っ立ったまま硬直した。
「つ・・・潰しちゃったかも知れないのっ!」
ユーリは涙ながらに、私の股間を指さした。
ハディは一瞬赤くなり、次の瞬間蒼白になった。
「お医者さまをっ!!」
待て、ハディ!!
ヒッタイト皇帝がこんなところを見られたら股間に・・いや沽券に関わる!!
しかし、私は言葉を出すことも出来ない。
ハディは足音も高く走り去って行く。見事な走りっぷりだ。
「陛下っっ!!」
ほどなくして、これも青ざめたキックリと、やはり青ざめたイル・バーニが走ってきた。
珍しい、お前が走るところなんて初めて見たぞ。
「ユーリさま、いったいどうして!?」
「ごめんなさい・・・あたし・・・うっかり」
「うっかりでは済みませんぞ!」
お願いだ、イル・・・ユーリにあまり酷くあたらないでくれ。
こんなにも震えているじゃないか。
「両陛下には今後も何人も御子をあげていただくご予定でしたのに」
なぜおまえが人の家庭の家族計画を立てているのだ?
「・・・もしかして、もうダメなの?」
ダメなんてことはないぞ!? ・・・いやダメかもしれない。
私は相変わらず収まろうとしない痛みについ気弱になった。
「そんなっ・・・次は女の子が欲しいって思ってたのに」
ユーリが涙声で言う。
おまえが望むなら、10人でも20人でも作ってやるさ、とその手を握りしめて言ってやりたかった。
しかし、相変わらず悶絶したままの私は、キックリの手によって敷物の上に寝かされ、クッションを首の下にあてがわれた。
そのころには息子たちも異変に気づいたのだろう。パタパタと走り寄ってくる音がする。
「とうさま、どうしたの?」
「おひるね?」
イルが重々しく呟く。
「このような立派な皇子をお二人も残されたのがせめてもの救いか」
ちょっと待て!? まるで私が死んだような言い方をするな!
私は呻いた。呻くことしかできなかった。
「ユーリさまっ!お医者さまです!!」
まるで救いの神のようにハディの声が飛び込んでくる。
「陛下、お気を確かに」
ふうふう言いながら典医の声がする。
「カイルはもう女の子が作れないって、本当?」
ユーリが真面目に訊ねている。
「おんなのこ? ボクたちのいもうと!」
デイルが弾む声で言った。
「いもうと、ほしい!」
「ほしいほしい!」
ピアの声もする。きっと飛び跳ねているのだろう。子どもは無邪気でいいな。
「かあさま、いもうとどこにいるの? かあさまのおなかのなか?」
ピアの生まれた頃のことを思い出したのか、デイルが訊ねている。
「かあさまのお腹の中にはまだいないのよ」
ユーリが涙ぐみながら言っている。そうこうしているあいだに、私の服の裾は持ち上げられ、典医がのぞき込んでいる。
・・・・屈辱だ。
しかし、多少なりとも風が当たると痛みが紛れる。
「じゃあ、どこにいるの?」
「う・・・ん・・・とおさまの中、かな?」
ユーリ、まるっきり間違ってもいないが、ちょっと違うぞ?
「わ〜い、とおさま、あかちゃんがいるんだ!」
「いるんだ!」
なぜか大喜びの子どもたちは、キックリがうやうやしく持ち上げ、典医が覗いている私の服に顔を突っ込んだ。
「どこ?」
「どこ?」
・・・誰か、やめさせてくれ・・・
「殿下がた、陛下は御子が出来られたのではありません」
冷静にイルが言った。
「お怪我をされたのです」
「いや、怪我と言うほどではありませんぞ、ほれこのとおり」
典医が、何の遠慮もなく私の服をまくり上げて負傷部をみんなの前にあからさまにした。
とりあえず、医者が大丈夫だというので、私はまだ私の身体が損なわれていないことを知った。てっきり潰れたと思ったんだがな・・・
「最初は痛むでしょうが、冷やしていればすぐに治まりますとも」
「本当?」
皆の視線が局所に突き刺さる・・・
「冷やした布を当てて、何度もマメに取り替えることですな」
「あたしがやるわ」
ユーリがきっぱりと言う。
そうだな、私もその方が気楽だ。キックリなら真面目に手当てしてくれそうだが、なんとなくイヤだ。
それにユーリは加害者だし、普段からひとかたならぬお世話になっているんだから当然だな。
ハディはさっさと立ち上がり、水の用意に行ったのだろう。キックリは私の身体を寝所へ運ぶように指示を出している。
イルは典医と打ち合わせを始めた。口止めをしているのかも知れない。
私のまわりには家族だけが残された。
「とうさまケガなの?」
「なの?」
デイルとピアが心配そうに私の顔をのぞき込む。私はようやく動くようになった手で、二人の頭を撫でた。
「大丈夫だよ、すぐに治るそうだ」
「あのね・・・」
デイルが半分べそをかきながら言う。
「かあさまにね、『はやくなおれ〜〜チュッv』っていたいところにしてもらったら、いたくなくなるよ」
「うん、そう」
ピアも涙をためてうなずいた。なんて健気で可愛い子どもたちなんだろう。
私は目頭が熱くなった。
「そうだな、母さまにはなんども『チュッ』をしてもらうよ。な、ユーリ?」
見上げた時、涙に暮れているはずのユーリの顔が怒っているように見えたのは気のせいだろうか?
おわり
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