りこさん奥座敷にて57000番のキリ番ゲットのリクエストは 「ラムセスが原因で(もちろん嫉妬で!!)フキゲンなカイル」です。わりとありがちなネタかもしれない・・・。


憎みきれないロクデナシ


 連日の炎天続きで、例年なら旱魃の報告が届けられる頃、今年は冬期に行った治水工事のおかげでどうにかやり過ごせようと胸をなで下ろしていたある日、広大なヒッタイト帝国の統治者にして最高神官であらせられる我らがムルシリ二世は・・・昏倒された。

 だれがどう見ても、帝国の一大事に違いない重大な出来事は、大方の側近が心得ているとおり、至極しょうもない事が発端となっていた。


「どうして勝手にするのよっ!?」
 慌てて飛び出した書記官たちが扉の外でおろおろとのぞき込む。
「どうしてって、迷惑そうだったのはおまえだろう?」
 皇帝の椅子に腰掛けたまま、ムルシリ二世は心外だという顔をした。
 その前で腰に手をあてて仁王立ちになっているのはこの国の皇妃ユーリ・イシュタルさまだ。
「迷惑かどうかは、あ・た・し・がっ! 決めます!」
 ユーリさまは親指でトンとご自分の胸を突かれると、肩をそびやかした。
 身体は小さくていらっしゃるが、ユーリさまの度胸は並の武人をはるかにしのぐ。
 たとえ相手がこの国の最高権力者であろうとも、正しいと信じたことを口にするのに躊躇されることはない。
「だいたい、いくら皇帝とはいえ、他人宛の書簡を勝手に読んでいいってことはないわ!
ましてや、それを棄てるなんて!」
「他人じゃないぞ、夫婦だ」
 ムルシリ二世はあきらかにむっとした。
 公明正大、文武両道、勤勉実直、冷静沈着、ほかに陛下を形容する褒め言葉はあるだろうか?
 この国の、いや、オリエント中の者が言葉を尽くして褒めそやす名君であらせられる陛下は、唯一ユーリさまの前では少年のように振る舞われる。
 要するにガキになってしまわれるわけだ。大人げがない。
 陛下はすっくと立ち上がると、ユーリさまを見下ろされた。視線的に優位に立ち、威嚇しようと言うせこい手だ。
 陛下とてもご自分に非があることは分かっておられるのだ。だから、こんな姑息な手段に訴えられたってわけだろう。
「夫婦というのは一心同体だ」
 そして、この場合はまったく関係のないへりくつをさも仰々しくのたもうた。
 当然ユーリさまはキリキリと眉を吊り上げられた。
「一心同体っていうのは、相手のプライバシーを無視するってことなの?」
 どん、と、かたわらのテーブルを拳で叩く。
「ネフェルトからの書簡がなければ、気がつかないところだったわ!」
「おまえは・・・」
 ムルシリ二世陛下は険悪な表情になる。これを世間では逆切れと言う。
「私があの男の書簡を棄てていたことが、そんなに気にいらないのか?」
「ラムセスからの書簡、って問題じゃないの、あたしの言いたいのは」
「いや、おまえがそんなに感情的になるのは、相手がラムセスだからだ。
 確かに私はあの男からの書簡を読んだ。つまらない口説き文句の羅列だった。
 おまえはあんな書簡を待ちわびていたと言うのだな?」
 嫉妬というものは見苦しい。見苦しいが、やめられないものらしい。
「・・・なに言ってんのよ?」
「残念だったな、私に隠れてこそこそしようとしても無駄だ」
 陛下は見苦しさにもう一押しの言葉を吐かれた。
 ユーリさまの頬がさっと紅潮した。
「本気で言ってるの、カイル? あたしが、隠れてラムセスと文通しようとしてたって?」
「そうだ」
 すでに引っ込みはつかない。
 パン、と音が鳴った。
 のぞき込んでいた書記官たちがいっせいに息を飲んだ。
 おそれおおくも、至高の皇帝陛下に平手打ちをお見舞いした皇妃ユーリ・イシュタルは、さっと背を向けると、書記官たちが鈴なりの戸口に突進した。
 道をあけるために飛びのいた書記官のうちの幾人かは、皇妃の目に光るものを確かに見たという。
「お気の毒に」
 皇妃付きの書記官が、走り去る後ろ姿を見送りながらたまらずつぶやく。
 なにもあんなに酷いことは言われなくても。
 ユーリさまが皇帝陛下一筋なのは、なによりも当の陛下ご自身が一番ご存じなはずなのに。
「陛下のお仕打ちはあんまりですな」
 皇帝付きの書記官もうなずく。
 いっせいに皇妃派に傾く書記官たちの間を、これもまた風を巻き上げながら駆け抜けるのは、皇帝その人だった。
「ユーリっ!!」
 回廊に呼び声だけがこだまする。
 後悔先に立たず。先に立ったら後悔とは言わないな。先悔か?
 以上が、一部始終を見聞きしていた書記官からの報告である。



 一方、後宮ではいきなり泣きながら戻ってきた女主人ユーリさまを迎えて大騒ぎが持ち上がっていた。
 ユーリさまは後宮での最高位のお人だ。
 そこが後宮である以上、たとえ皇帝陛下であろうともユーリさまのご意向を無視したりは出来ない。
「カイルは絶対に入れないで!」
 と、でも仰られたのだろうか?
 ともあれ、ムルシリ二世陛下は、後宮入り口で衛兵に押し戻されることになった。
「通せ!」
「イシュタル様より陛下はお通しするなとの御命令です」
「なんだと? 私はこの国の皇帝だ!」
 だだっ子のように叫ばれる陛下は、とうとう大声で近衛兵を呼びつけた。
「この無礼な衛兵を捕らえよ!」
 たかが夫婦げんかである。そのケンカのために忠実な兵士を捕らえ獄につないでいいものなのか。
 いや、「たかが」と言うのは間違っているな。
 対立しているのは、この国の最高権力者のタバルナとタワナアンナである。
 過去にも、タバルナとタワナアンナが対立していたことはあった。ために国内が乱れたこともある。
 ムルシリ二世陛下の治世のはじめにも、この国はいくつかの争乱を抱えた。
 いくつの尊い命が犠牲になったのだろう。
 ふたたび、あの悲劇が繰り返されるのか?
 皇帝の声に駆け付けた近衛兵は、青ざめた衛兵が「イシュタルさまの御命令で」と言うと、あっさりと矛先を納めた。
 なぜなら、近衛兵にとっての最高司令官は近衛長官であるユーリさまだったからだ。
 もちろん、皇帝陛下だって尊敬されてはいるが、兵士達のユーリ・イシュタルへの心酔っぷりと言ったら、比ではないのだ。
 目を伏せて立ち止まる近衛兵の姿に皇帝陛下は地団駄を踏んで悔しがったはずだ。
 そこに、足音も高らかに、ユーリ・イシュタル付き女官が登場した。
 彼女たち(双子なのだ)は、皇帝陛下に向かって、いささかの気後れもなく、言った。
「ユーリさまは陛下にはお会いしたくないと仰られてます」
 その方のためなら命を投げだすのだって厭わないほどの女主人の願いなのだ。
 双子はすでに「敵」認定した皇帝相手に一歩も退くつもりはなかった。
「ここに書簡をお預かりしております」
 陛下は女官の手から書簡をひったくられた。
 旗色の悪さは、ひしひしと伝わった。
 本来なら居心地が良いはずの後宮の空気の悪さを、陛下は肌にしみて感じられたのだろう。
「ユーリはなんと言っている!?」
 そして素早く文面に目を走らせ・・・「うむ」と唸って・・・昏倒した。



「で、書簡にはなにが書かれていたのだ?」
 私は額にあてられた布を押さえながら、まだ重く感じる身体をどうにか起こした。
 さっと、妻が腕を伸ばして支えてくれる。
「結婚してから今まで一緒にいた自分を、そんな風に疑うのはあんまりだ」
「信じてもらえない人と、これからも一緒に暮らしていく自信はない、と」
 双子は交互に喋った。
 彼女たちがユーリさまの傍を離れたのは、おそらく一番の「敵」である陛下が伏せってしまわれたからだ。
 この一大事に、私の看護のため現場を離れていた女官長にことの次第を報告するためもある。
「だから、もう陛下とはお会いする気はないと、別居されるご決心なんです」
「別居ですって?」
 妻が驚いて、声を上げる。
「別に宮を構えられるというおつもりか?」
 あの二人が?ご冗談だろう。
 結婚されてからこの方、よほどのご事情がない限り、離れて休まれたことがないお二人なのに。
「たしかに別の宮ですけど」
「アリンナの離宮にお移りになられるそうです。そして、出来ることなら離婚を」
 双子は困った顔を見合わせた。
「ってことは、キックリはもちろんハットウサに残るでしょうし、私たちも別居ね」
「今回みたいに一日いないだけでも不便なのにね」
「そういうレベルの問題ではない」
 私は熱のためだけではない頭痛に、顔をしかめた。
 ちなみに、彼女たちの夫であり、陛下の一番お側に仕えているはずの侍従兼馬事総監キックリは、新人の厩舎係たちを連れて名馬の産地へ旅立っていた。後進の育成なくして、帝国の輝かしい未来はありえない。
 しかし、今回の一件がそれぞれの最側近たちの不在も一因だとしたら、未来もナニもあったものではない。
「タバルナとタワナアンナが別の都市に住んでいては帝国が機能しない。大体、皇帝夫妻が離婚だなんて先例がないぞ」
「そうですけど、ユーリさまのお気持ちを考えると」
 双子はしょんぼりと肩を落とした。
 妻もすでに涙を浮かべている。
「ユーリさまは、この国に来られてから陛下お一人のみに頼ってこられた。
 そして陛下におこたえするため右も左も分からぬ中、ただ懸命に尽くしてこられた。
 陛下はそのお気持ちを踏みにじるようなことを仰られたのだ」
 私は、この場にいる誰もが分かり切っていることをあえて口に出してみた。
 口に出してみたら、陛下の言動の幼稚さがますます際だつ。
 妻と双子は真剣な顔で何度もうなずいた。
「いっそ、ここはしばらく離れて暮らした方がよいのではないかしら?」
「ユーリさまだって、やがては淋しく思われて陛下を許そうとされるかも」
「そう悠長なことも言っておれないのだ」
 私はため息をついた。
 ムルシリ二世陛下が倒れたことは、今は伏せられている。
 だが、なにしろおしゃべり好きな女官たちの巣窟である後宮前での出来事だ。
 やがては国中に噂が広がるだろう。
 帝国の頂点に立つ皇帝が倒れた。しかも、それを補佐するはずの皇妃とは不仲だ。
「陛下のご様子はどうだ?」
「なにかうわごとを繰り返されるとか」
 冷ややかに、双子が言う。
 相手が皇帝だろうと、大切なユーリさまを傷つけた人間に容赦はない。
「ユーリさまに離縁されかけているのが、よっぽど効いたんでしょうね」
「離縁などと軽々しく口にするんじゃない」
 私は、双子を睨んだ。
「ムルシリ二世の不調が知れれば、諸外国がどのようなことを仕掛けてくるやもしれん。
 その上、皇妃との不和が知れれば、他国と通じてよからぬことを企む者も出てこよう。
 陛下には、変わらずご健在であることを示すためにも、皇妃陛下と揃って皆の前に姿をお見せいただかなくてはならない」
 そう、ことはタダの夫婦げんかではないのだ。
「ユーリさまがご承諾されるかしら?」
 妻は首をかしげた。
 なにしろ、陛下倒れるとの報にも、かわらず後宮に閉じこもったままのユーリさまだ。
 ご立腹、あるいはご悲嘆の度合いはいつもと比ぶべくもない。
 なんという軽はずみなことを陛下はされたのだ。
 私はただ、ため息をつくしかなかった。



「陛下のお見舞いになんて行かないわ」
 ユーリさまは、つんと顔を背けられた。気丈に振る舞っておられるが、泣きはらした目が痛々しい。
「はい、それは結構です」
 先ほど私が見てきたところでは、陛下はショックのために伏せっておられるだけだ。
 私のように熱が出ている訳ではない。
 たまには良い薬だ。
「しかし、陛下がご病気の今、元老院会議にはご出席して頂かないと」
 私は、重々しくうなずくと妻を振り返った。
 妻は、タワナアンナのための冠を捧げ持っていた。
「会議?」
 ユーリさまは不思議そうに振り向くと、用意された正装を見て目を見張られた。
「この時期に会議なの?どうして?」
「陛下が倒れられたからです」
 私は言うと、従う腹心の書記官から巻物を受け取った。
「法典に定められています。皇帝陛下がご不在の折りには、代わって皇妃が政務を執ること」
「それはそうだけど、わざわざ元老院を招集しなくても」
「ことは帝国の皇位継承問題にかかわることです」
 さらりとパピルスを広げると、病身をおして仕上げた法案をユーリさまに差し出した。
「ムルシリ二世陛下には、退位していただくことになりますから」
「退位ですって!?」
 ユーリさまは椅子から飛び上がられた。
 私はいささかの動揺すら見せずに、重々しく頷いた。
「国を乱れさせないためにはこれが一番良い方法です。
 もし、ご夫妻が離婚されましたら、現在の皇太子殿下は嫡出としての権利を失います。
 後継者不在にして、皇帝が不調。これからのヒッタイトはそのような状態になります。
 陛下が今後新しい御正妃を迎えられましても、次の皇子を望むには時間がかかります。
 また、皇子が誕生されましても、成人されるまで陛下がご存命であるかどうかは保障できません。
 そこに、タワナアンナを母に持つ前皇太子殿下がいらっしゃるのですから、国が乱れるのは必至でしょう」
「タワナアンナって・・・」
「タワナアンナは皇帝の正妃に与えられる称号ではないのですよ?たとえ離婚されてもユーリさまは変わらずその地位にあります」
 私は続けた。
「ですから、この際、ムルシリ二世陛下には退位していただいて、デイル殿下が皇帝に即位し、それをタワナアンナであり母君であるユーリさまが補佐するという形にしたいのです」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「デイル様ご即位後でしたら、お二方は離婚されても問題はないでしょう」
 私は公文書の体裁を整えた粘土板も差し出した。
 一生のうちで目にすることはないだろうと思っていた、皇帝の譲位宣言文書だった。
「さ、ここに御印章を。あとは元老院会議で議決されるだけです。このとおり、陛下のものはすでに頂いております」
 陛下はユーリさまと離婚しなくて済むのなら、退位でも何でもすると仰られたのだった。
 そこまで覚悟するのなら、最初から考えて発言されればいいのに。
 ユーリさまはまじまじと陛下の印影を見つめて、それからはっと顔を上げた。
「もしかして・・・カイルの体調って本当にすごく悪いの?」
 すでに怒りと悲しみより、その顔には心配の表情があった。
「いえ、精神的にショックを受けておられるだけですよ」
「でも、イル・バーニ、あなたが退位を言い出すなんて・・・よほどのことだわ。もしかして、カイルは本当に病気なの?」
 私はヒッタイト幾千の神々の前で誓うように、正直に言った。
「陛下におかれましては、いささかも重篤な状態ではあらせられません、どうかユーリさまはご心配なきよう」
 必要以上に丁寧なのは、やはりその方が疑念をかき立てるのに都合が良いからだ。
 陛下はたっぷりと反省されている。あとは、ユーリさまが折れて下さるだけ。そして、ユーリさまはこの上なく素直な方だときている。
「ハディ!」
 ユーリさまは困惑の表情で私の後ろに並ぶ女官たちを見た。
 嘘のつけない優しい妻は、精一杯穏やかに言った。
「ユーリさまがお気になさることなど、なにもないのです」
 だめ押しだった。
 言葉を尽くして説得されるより、あっさりと希望が通されるほうが人は不安になるものらしい。
 ユーリさまはきりっと口元をひき結ぶと、モノも言わずに戸口へ向かった。
 陛下の所へ行かれるおつもりなのだ。
「ユーリさま!」
 女官たちが慌てて後を追う。
 伏せっている陛下は、ユーリさまのお姿を見ると、きっと泣かんばかりに抱きついて、自分が悪かったとか、棄てないでくれとか、お前がいないと生きていけないとか、ありとあらゆる情けない言葉を吐かれることだろう。
 退位まで決意したオオゴトに、ユーリさまは陛下を許して下さるだろうか。
 やれやれ。なんども言うが、謝るぐらいなら、最初から言動に気をつければいいのだ。
 それを子どもっぽい嫉妬で行動するから、病人の私が引っ張り出されて、ご自身も半病人の状態になるのだ。
「お二人は仲直りされますかね?」
 取り残された書記官が尋ねる。
「ああ、されるだろうよ。まったく、馬鹿馬鹿しい」
 私としたことが、ちと口が滑ったようだ。
 なにしろ、熱があって本調子ではないのだ。ほら、目が回る・・・。
「イル・バーニ書記長!」
 書記官の声が遠くなっていく。
 

 ムルシリ二世が諸事情あって昏倒し、どうにか持ち直した、夏の日。
 こんどは皇帝随一の側近が昏倒するはめになった。

 まったく、この国も平和になったものだ。


                         おわり
 

    

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