乙女の謀反

by千代子さん


 それはまったく予想だにしなかった出来事でした。
 いつもと同じように平和な一日が始まろうとしていた時分のこと、王宮史上まれと思える乱暴さでわたくしども侍女の部屋を開け放ったのは、ヒッタイト帝国第一皇女マリエ姫さまでございました。
「ちょっと双子たちっ! 聞いてよ!!」
 母上さま譲りでじゃじゃ馬姫の異名を取るマリエ姫は、わたくしどもの胸に飛び込んでくるなり、
「デイル兄さまが怒るの!」
 と泣きじゃくられたのでございます。
 姫さまは男兄弟に挟まれたお方でございますから、姉妹の中で育った姫君と違い多少性格にお転婆なところもおありになって、まあそれは母上さまによく似てると父帝陛下はじめご兄弟がた揃ってお口に乗せることではございますし、例をあげれば後宮におたまじゃくしを持ち込んだり、ヘビの抜け殻を拾ってくることなど日常茶飯事でございます。
 それに兄君方にも負けず劣らず、なんでも張り合おうとなさいますので、喧嘩だってしょっちゅうなのです。
 このときも、わたくしたちはまたいつもの喧嘩だろうと思い、
「姫さま、皇太子殿下のお部屋にワナでもしかけましたの?」
 と申し上げますと、姫さま、首を横におふりになっておっしゃるには、
「母さまのお化粧品をわたしが勝手に使ったのが兄さまのお気に触ったみたいなの」
 とのこと。まぁ姫さまも先日十二の声を聞いたことですし、そろそろお化粧品に興味をもたれるのは喜ばしいこと、わたくしどもがそう申し上げますと、姫さまお首をおふりになるのです。
「ちがうの、なんかね、あの化粧道具は兄さまが母さまにプレゼントされたものらしくて。それをあたしが使ったから怒ってるのよ!」
 まったくこういうときの姫さまと申しましたら、鬼神もついつい微笑んでしまうほどの愛らしさ、ぷんと尖らした唇や、への字に結んだ眉などどこをとってもかわゆいのでございます。
「ほんっとにマザコンなんだから!」
 と、腕を組んでいらっしゃいますが、おそらく皇太子殿下にたてつくことがおできになるのは、帝国のどこを見渡しましてもマリエ姫さまくらいでしょう。
「ねぇ、ギュズ、バハル! 兄さまをぎゃふんと言わせるにはどうしたらいいと思う!?」
 さて、問題はここからなのでございます。ここでわたくしどもが姫さまに知恵をつけては、姫さま必ずやそのとおりに事をお運びになり、皇太子殿下に仕返しされるのは火を見るよりも明らかなこと、それもわたくしどもの知恵とおっしゃらないのが姫さまならば、あまりにもおかわいそうでございますゆえ申し上げることもなりません。
 かといって姫さまのご気性ではこのまま引き下がることもお出来にならないのです。
 わたくしども、しばらく考えましたのち、
「それならば、皇太子殿下に見つからないようになされたらいかがです?」
と言上しましたのは、見つからなければとくにお咎めもなし、とまあこれは、ご兄妹ならではの可愛らしいおふざけ程度のこと、いかに皇太子殿下でもただお一人の妹姫さまを目の中に入れても痛くないと可愛がられていることですし、わたくしども簡単な気持ちで申し上げたのでございます。
「……見つからないように?」
 しばらくお考えになられたあと、姫さまはにっこり、されどとてもいいことを思いつかれた時になさるいたずらっ子の微笑みで、
「わかった、ありがとう、双子たち!」
 と言われるなり、走り去って行かれたのでございました。
 このとき、わたくしどもはすっかり忘れておりました。
 姫さまはこの親にしてこの子ありの例えどおり、恐ろしく頭の切れる方でございます。
 いえ、こう申し上げましては不敬罪とまではいかずともお叱りを受けるよも知れませんが、母上さまが皇帝陛下のお目を盗んでお得意の脱走をなさるときの、あの皇后陛下らしからぬお転婆ぶり、陛下はこれをじゃじゃ馬と言っては嘆いてらっしゃいますが、そのときのお顔とあのマリエ姫さまのお顔はそっくり、まさに瓜二つなのでございました。
 このお転婆姫さまのおこしで朝のわたくしどもの順序はすっかり逆となりましたが、皇后陛下にお仕えする母とともに朝の挨拶へ向かう仕度をしておりますうち、わたくしどもはようやくそのことに気づきました。
 あの姫さまの微笑みの裏には必ず何かがある!
 手早く身支度を済ませますと、わたくしたちは姫さまのお姿を探しました。
 後宮は広く、されど地理は全てこの頭に入っております。おそらく姫さまの目的は皇太子殿下を驚かせること。題して「皇太子殿下ぎゃふん作戦」なのでございます。
 勝手に作った戒名を頭の中で転がしつつ、まずは皇太子殿下のお部屋の近くまで参りました。
 殿下はすでに別宮へお住まいでしたが、このときはお里帰りなさっていらしたのです。
 こっそり外から窺いましても、とくにこれと言って変化は見えません。
 思い過ごしだったのかしらん、と部屋へ戻ろうと踵を返したとき、
「そこでなにをしているんだ?」
 と背後で声がしました。
 あ、この声は皇太子殿下、と判り、わたくしども安堵して振り向きましたときの衝撃といったら!
 なんと事もあろうに殿下のお顔は一面極彩色豊かに塗り付けられ、皇后陛下の宴会のお席でも滅多と見られぬほど厚化粧に覆われていたのでございます。
 掻い摘んで申し上げますと、まず凛々しく涼しげな眉はぼうぼうに描かれているばかりか、眉間で一本につながっております。母上譲りで黒曜石の煌きと囁かれる瞳の上には、まあなんとも下卑た真っ青な色が刷かれ、その刷き方も厚くぼってりと、これほど下手にするのも並大抵のことではないでしょう。
 さらには整った鼻梁を少々下げたところには、その……毛が三本、よく言えば可愛らしく描かれております。
 そしてなんと言っても驚異的なのは唇の周りに何倍にも大きく引かれた真っ赤な口紅でございまして、耳の近くまで引かれております。
 皇太子殿下の済ました表情からするに、殿下はこのご自分のお顔の豹変にお気づきではないと思われ、わたくしどももなんと申し上げてよいのかわからぬままに呆然としておりますと、殿下、なにか不思議そうに顔を抓られ、
「さっきから女官たちが怯えて逃げてゆくのだが、わたしの顔になにかついているのか?」
 といとも呑気におっしゃられます。
 これは間違いなくマリエ姫さまのお仕業、わたくしどもの「見つからなければ」の言葉で思いつかれたに違いございません。
 たしかに目が顔から離れない限り、ご自分の顔に描かれたものなどご覧にはなれないでしょうが、鏡という道具もございますのになんとも大胆不敵な行動でございましょう。
「殿下……あの……」
「ん?」
 そんなに眉をよせないでくださいませ!! 一本になったのがうねってミミズのようでございますぅ!!
 もはやこの上は、と切捨て覚悟で申し上げようとしたとき、
「デイルさま」
 と颯爽と現れた(注:わたくしどもにはそう見えました)のは、わが兄たちでございました。
「こちらにおいででしたか、探しました……」
 振り向いたデイル殿下のお顔を拝見した兄たちの様子と申しましたら!
 まあ、あの細い目がまん丸くなったと申せばおわかりになられましょうか、鳩が豆鉄砲喰らった顔で、口はまるで埴輪のよう。
「デイルさまっ! そのお顔、いかがなさいましたっっっ!?」
 やっとのことで片方が申しましたが、デイル殿下は何のことだかさっぱりわからぬご様子で頬のあたりを指でひと撫でなさいました。
 もちろんその指には口紅がべっとりとついて、まるで血のように指先が真っ赤になっておしまいです。
 デイル殿下、驚かれて兄の捧げ持った鏡を奪うようにしてごらんになられ、初めて我が顔におきた異変に気づかれたのでした。
 呆然となさったデイル殿下のところに、妙にあわただしくなった後宮のあちらこちらから侍女たちが集まって来、兄たちはそれを制すのに必死になっております。わたくしどももとりあえず殿下をお部屋へ入れ、お話を伺いますれば、どうやら殿下は起きぬけに愛馬であたりを駆けてきたとのこと、さぞかし馬も面食らったことでございましょう。
 とにかく殿下のお顔をお拭きしなければ、と湯やら布やら用意しているうち、なにやら扉の向こうがあわただしくなり、先触れがあってのち両陛下が血相を変えておいでになられました。
「デイル、疫病にかかったのか!?」
「一体どうして……」
「疫病?」
 疫病とはおそらく侍女たちの噂に尾ひれがついたものでしょう。
 真っ青になった両陛下と、歌舞伎顔の殿下との間に一瞬沈黙が流れ、すぐに皇后陛下の高らかな笑い声が響きました。
「やあだ、デイル、なにその顔!」
 皇后陛下は大笑いしながら殿下の側へ寄られ、
「化粧するにもほどがあるわよぉ」
 と油を使ってお顔を落として差し上げてらっしゃいます。
「んもお、マリエといいデイルといい、なんだって化粧ばかりしたがるのかしら」
「マリエが?」
「今朝早くに部屋に来て化粧道具一式借りてったぞ」
 陛下も必死に笑いをこらえておいでです。それほど、堅物といわれる冷静沈着なデイル殿下のこのお顔は落ち着いて眺めますと滑稽に見えてくるのでございました。
「ということは…これはマリエの仕業か!」
「あら、そうなの?」
 眉のあたりをきれいにふき取られた皇后陛下はのんびりとおっしゃいますが、デイル殿下はいますぐにでも飛び出していかんばかり。それでもご両親に宥められますと幾分落ち着くのか、ずるりと顔を拭ってからおっしゃいました。
「マリエはしばらく風邪のため部屋にて養生! 外へ出ることまかりならん」
 姫さまはおいたのあとご自分のお部屋で息を詰めてことの成り行きを見守っていたらしゅうございますが、この皇太子殿下の厳命をお聞きになって悔しがられたこと、言うまでもございません。
 なおこのこと、マリエ姫さまに関わる秘密のひとつとされておりますゆえ、なにとぞご他言なきように。



                      おわり

         

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