恋のバッド・チューニング



 後宮の居間には一杯に開け放した窓から爽やかな風が吹き込んでいる。
 外の日差しは強かったが、大理石の床はひんやりと冷たい。
 豪華な刺繍の施されたクッションに思い思いに身を預けて皇帝夫妻とカルケミシュ知事夫妻はひとしきり話に花を咲かせていた。
 そこに一人の女官がしずしずと進み出る。
 そっと皆の前に差し出したのは小さな銀の鉢によっつ盛られたイチジクだった。
「あれ?もう出たの?」
 めざとく見つけたユーリは訊ねた。
「はい、初物が市で売られていましたのを街にでた者が見つけて参りました」
 女官は頭を下げるとそう答えた。
「もうイチジクの季節か。おまえはこれが好きだったな」
 カイルは鉢に手を伸ばすと、小ぶりだがよく熟したそれを取り上げて二つに割った。
 白い果汁がにじみ出る。
「さあ、たんとお食べ」
 傍らのユーリの腰を抱き寄せると、口元にそれを運ぶ。
「カイルったら・・・」
 頬を染めながらユーリは微笑み、ふと気づいたように知事夫妻を振り返った。
「姫もジュダ殿下も遠慮せずに食べてね」
 言われてこれも頬を赤らめていたジュダとアレキサンドラは、慌てて鉢に手を伸ばした。
 甘い香りがあたりに満ちる。
 二つ目のイチジクを取り上げてユーリの口に運ぼうとしたカイルの手が押しとどめられる。
「だめよ、カイルの分がなくなっちゃう」
「気にしなくていい」
 カイルは耳元に唇を寄せて小声で続けた。
「あとでもっと美味なものをおまえから分けてもらうつもりだ」
 知事とその妻は耳まで真っ赤になって俯きながら、ひたすらもそもそとイチジクをほおばっていた。
 目の前にいても遠慮されないのは喜んでいいのか悲しんでいいのかよく分からない。
「あ、そうだ」
 ユーリが声をあげた。
「ねえ、カイル・・・考えたんだけど」
「うん?」
 愛妃の口元についた果汁を、顔を寄せて舐め取りながらカイルは相づちを打つ。
「ねえ・・・いいでしょ?」
 上目づかいでユーリが甘えるようにささやいた。
「今でないといけないのか?」
「だって・・・」
「・・・まったくおまえはいつもそうだな」
 カイルはため息をついてユーリの頬を指先でつつく。
「そのかわり、分かってるな?」
「うん、分かってるよ!」
 ユーリはカイルの首に腕をまわすとぎゅっと抱きついた。
「すぐ、だから」
 そしてさっと立ち上がると、廊下に向かって弾む足取りで歩き始めた。


「あれだけの言葉で分かるなんて」
 アレキサンドラは皇妃の姿を見送って感心したようにつぶやいた。
「さすが兄上ですね」
 ジュダもうなずく。
「ん?そうか?」
 目尻をだらしなく下げたまま、ユーリの消えた方角から顔を戻してカイルは言った。
「ごく普通の会話だと思うが」
「いえ、やっぱり兄上と義姉上でないと、ああは行きませんよ!」
「やっぱりお二人は深く愛し合っておられるからですのね!」
 ほう、とアレキサンドラはため息をついた。
「私たちも、お姉さまたちみたいになれるのかしら?」
 カイルは満足そうにワインカップを取り上げる。
「そんな大げさなものではないぞ? ただし、厨房係は驚くだろうがな」
「厨房係って?」
 訊ねたジュダに、カイルはイチジクの入っていた鉢を示した。
「ユーリは私の分のイチジクを厨房まで取りにいったのだよ。
 急に皇妃が現れると係の者が驚くからあまり出入りしないようにと普段から言い聞かせてはいるのだが。
 厨房係に驚かせて悪かったと謝罪するようにと言った。
 女官に命じるということをいつまでもしないやつだからな。
 もっとも私のために一刻も早く持ってきたいと思っているのだろうけど」
 うなずくと鼻の下をのばしたままカイルはカップを傾けた。
 ラブラブなのは自覚しているが、他人から言われるとなお嬉しい。
「すごい」
 アレキサンドラは頬に両手を当てると、うっとりと目を潤ませた。
「そんな複雑なことだったんですね・・・そうだ!」
 アレキサンドラもいそいそと立ち上がった。
「私もお姉さまと厨房に行きますわ!殿下のイチジクをもらってきます!」
「え?でも・・・」
「行かせてやれ」
 カイルは余裕たっぷりに腰を浮かせかけた弟を制した。
「そういう、ささいな事を愛する者のためにすることが、女性にとっては喜びなんだ」
 愛する者、をさりげなく強調してみせる。
「そうですか」
 やはり、兄上はすごいと、ジュダは尊敬のまなざしでカイルを見つめた。




 そして、途方に暮れたアレキサンドラが居間に戻ってくる頃にはユーリは後宮から姿を消していた。




「どうして勝手に出て行ったんだ!?」
「だって、カイル、いいって言ったじゃない!」
 怒号に近い大声が廊下にまで響いてくる。
 おろおろと廊下を行き来している女官達に混じって、ジュダとアレキサンドラも両手を取り合っていた。
「私がいつ許可した!?」
「あら、あたしが『市まで行っていい?』って訊いたら『そのかわり暗くなるまでに帰ってくるんだぞ、分かってるな?』って言ったじゃない!!」
「そんなことは言ってない!」
「言いました!」
 なにかが壊れる音がした。どちらかが腹立ち紛れになにか投げたのだろうか。
「殿下、あれって・・・」
 おそるおそるアレキサンドラが声をあげる。
「うん・・・みたいだね・・・」
 ジュダはため息をついた。
 言葉は、喋りすぎるほどに喋っても無駄ではない。
 そう、若い二人は思うのだった。


           おわり

    

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