夏の憂い

                    by 憂鬱屋マリリンさん

「じゃあね。父様」
 勢いよくピアが手を振る。『やっと開放された。』そんな思いがあるのか、いかにも嬉しそうだ。

「ああ、また明日な。」

 ピキッツ
 ピアのこめかみがひきつった音が聞こえた。

「ん? どうしたピア。待っているぞ。」
「ん・・・・・・・でも やっぱりぃ・・・・・・・わるいしぃ。」
 急に歯切れが悪くなる。
「まだ、終わらないのだろう? 遠慮しなくていいぞ。ここなら手伝ってくれる者もいるし。」

 ちらっと若い書記官に目をやる。
『ま、また明日もですかぁ。』
 声にならない叫びが聞こえたような気がする。
 が、それは黙殺することにした。
 ユーリのためなら、私はどれだけでも非情な皇帝になれる。

 今日一日ピアは執務室で宿題をしていた。
 そもそもこんなことになったのは、ベッドの中での私の不用意な一言のせいだ。

「今年は宿題を手伝うのはごめんだぞ。」
 いや正確には、宿題を手伝うのがいやというよりは、ピアにユーリを取られるのがいやというほうが正しいかもしれない。
 だって、そうではないか?
 やっと仕事を終えて、愛しい妻とゆっくりしようという時に宿題などというものに邪魔されるなんて・・・・・
 ああ、しかし
 まさか、この一言にユーリがあんなにも反応するとは・・・・・・
 藪をつついて蛇を出す。
 いや、蛇なら何も言わないがあれだけ吼えられると虎の尾を踏む。と言ったところか・・・・

「そんなこと、言ったってあの子はとと丸と遊んでばかりだし。」
「ピアはカイルの子でもあるんだもの。父親が宿題見てくれたっていいじゃない。」
 次から次へと繰り出される言葉はユーリの日ごろの鬱憤を顕わしていて口を挟めない。

 で、執務室でピアが宿題をするのを見守るはめになったわけだ。


※※※※※※

 いったい何日目になるのだろう。
 今日も執務室の片隅でピアは宿題をしている(させられている?)
 よくも溜め込んだものだ。

「あんっ、かぞえなおしぃ」
「いい、ちゃんとゆびろっぽんだしておいてね」
 朝からずっと相手をさせられている書記官。
 書記官の腕は震え顔は強張っている。気の毒だと思わないわけではないが、がんばってくれ。
 心の中で激励する。
「んっと、じゅういち」
 やっと答えがでたようだ。
 机の上の粘土版に書き込んでいる。
 じゅういちと

「えっとぉ つぎは なな たす ご」

 くるりと振り向くと書記官に告げる。

「ゆび ななほんね。」

 まだ終わらないのだろうか。そう言いたげな書記官。しかし、それを口にすることはない。目はピアの後ろの机の上にある粘土版をじっと睨み付けている。
 粘土版はまだ解かれていない問題で埋まっている。まだまだ 終わりそうもない。
 ため息が聞こえた。

「いち・ にぃ さん・・・・・・・・・・・んっと、じゅうに」
 また、ため息が聞こえる。
 ピアのため息かそれとも書記官のため息か。

 ちらっと眼を上げるとイル・バーニと視線が合った。
 私はあわてて書簡に視線をおとす。
 私の目の前には書簡が山積みになっている。

 なにしろピアの様子に気を取られ、いつものように仕事が進んでいない。
 おかげで、イル・バーニの視線がやたら突き刺さる、今日この頃だ。

 そのうち、『陛下、これは宿題です。明日までにしてくるように』とイル・バーニに言われてしまうような気がする。
 それだけは、避けたい。避けたいのだが、書簡の山はなかなか低くならない。

 知らず知らずのうちにため息をついてしまう。

 私とピアと書記官 この三重奏のため息が奏でる音楽に満ちた執務室は、いまや、帝国で一番憂いに満ちた空間となっている。(らしい)


               おわり

     

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