勝手にしやがれ



「本当に、よろしいんですか?」
 私はたずねる。
 目の前には漆黒の髪の流れ。
「うん、ばっさりやって」
 髪の持ち主はなんの躊躇もなくそうおっしゃる。
 こんなに美しい黒い髪を持つお方は滅多にいないのに。
 いいえ、たとえ同じような髪を持つ者がいたところで、髪と同じくなめらかな象牙色の肌を持つ者はいない。そのきめの細かな肌に緩やかに黒髪がかかるさまは、見ていると息を飲むくらいに美しかった。
 毎朝、冷たく澄んだ空気のように指の間を流れる御髪を梳くたびに、私はその美しさに感嘆したものだった。
 あまりにもおそれおおくて口にはしないけれど、この美しい髪に存分に触れられるのはこの国には皇帝陛下と並んで私しかいないのだと、もったいなさに目頭が熱くなる。
 その髪を切ってしまわれるなんて。
 いえ、今までにもなんども、私が御髪を整えている間に切りたいと口にされたことはあった。
 けれど、そのつど、私は陛下の落胆を持ち出して思いとどまって頂いたものだ。
「では・・・切りますわ」
 ひとつ深呼吸すると、艶やかな一房を取り上げる。
 この髪に香油を塗り込んで、いくつもの真珠を編み込み、高く結い上げた様はどれだけ見事だったか。
 ユーリさまが広間に登場すると、その場にいた者がすべて息を飲み、その美しさに見とれた。人々の間から漏れる驚嘆と讃辞に、従う私たちは誇らしかった。
 研ぎ澄まされた刃が、ぷつりと髪を切断した。
 手の中に切り離された髪の重みがかかる。
 鼻の奥がつんと痛くなった。
 この髪はこっそり隠しておいて記念にしよう。小さなリースに編んで、寄せ木細工の小箱にしまっておくのだ。
 私は鼻をすすりあげながら、次の一房を手にした。
「まあ・・・」
「なんということでしょう」
 他の女官たちが涙ぐむ。
「どうして泣くの、大げさだよ?」
 ユーリさまは本当に理由が分からないと首をかしげた。
 私は触れそうになった小刀を慌ててひくと、女官たちに命じる。
「ここは私たちだけで充分ですから」
 両脇に立つ妹たちを見て言う。
 あまり騒がれると気が散ってしまう。
 リュイは用意していた盆の上に、うやうやしく切り離した髪を受け取っている。
 シャラは捧げ持った盆に櫛や髪を整えるための香油を並べている。
「でも・・・」
 口ごもる女官たちに、私はできるだけ安心させるように微笑んだ。
「短い御髪に似合うような髪飾りを選んで持ってきてくれるかしら?」
 そう、イヤリングだって大ぶりのものに換えた方がいいだろう。
「はい、承知しました」
 美しいユーリ・イシュタル皇后陛下付きであることをなによりも誇りに思っている女官たちは目元を押さえながらも気丈にもうなずいて部屋をあとにする。
「あたし、あんまり重いのつけたくないよ」
「そうですわね、あとでお好きなものを選んでいただきましょうね」
 私はそう言うと、もう一度ユーリさまの頭に向かう。
 こんなに艶やかな髪なのに、もったいない。
 また、目頭が熱くなった。


 さくさくと髪を切りそろえていくと、やがて柔らかい髪が波打つ、懐かしい形になった。
「さ、出来上がりましたわ」
 私は言うと、シャラの持ち物の中から鏡を取り上げてユーリさまにお渡しする。
「まるで以前のお姿ですわね」
 私は違った意味で涙を浮かべながら、そっと羽根箒でユーリさまの肩の辺りを払った。
 お会いした頃、非礼を働いた私たちを許したばかりでなく、こうやって女官に取り立ててくださった。そのお心の広さに、私たちはただただ頭を下げるしかなかった。
 あの日以来、私たちはどんなことがあろうとも、ユーリさまのために尽くそうと誓ったのだった。
 ユーリさまは鏡をのぞき込んで短い髪に指をからめたり引っぱったりされていた。
「う〜ん、いいんじゃない?ありがとう、ハディ!」
 ユーリさまが弾む声で応えられた時、乱暴に扉が開いた。
「ユーリ・・・」
 この部屋の扉をなんの先触れもなく開くことのできる唯一のお方が、呆然と立ちすくんでおられた。
「あら、カイル」
 ユーリさまは屈託なく、目と口を開いて立ったままの皇帝陛下に笑いかけられた。
「こんなの、どう?」
 あらわになったうなじのあたりに手を当てて肩をすくめて見せた。
 なんというかわいらしい仕草。
 ユーリさまがくるりと一回転されたころに、ようやく皇帝陛下は我を取り戻され、大股に部屋を横切ってこられる。
 真一文字に結んだ唇に、どんなお叱りが来るのかと私たちは硬直した。
 いくら、ユーリさまが強く希望されたとはいえ、皇帝陛下のお許しなしに髪をお切りしてしまったのだ。
 けれど、いかなるお叱りを受けようとも、私たちは常にユーリさまのお望みを叶えようと心に誓っていた。
 陛下は平伏する私たちを無視すると、いきなりユーリさまを抱きしめられた。
「・・・かわいいっ!!」
 おそるおそるあげた目の前で、抱き上げられたユーリさまのつま先が見えた。
「やだ、カイルっ!」
「なんというかわいさだ、まるで出会った時のようだな!」
 くすぐったがるユーリさまの顔や髪に、陛下はめちゃめちゃにキスの雨を降らせているところだった。
 どっと肩の力が抜ける。陛下のお怒りへの特効薬はどんなときにでもユーリさまなのだ。
「ああ、最初の頃を思い出すよ、ユーリ」
「そうかな?あのころよりは短いけれど」
 ユーリさまは跳ねる毛先を押さえながら笑われた。
 おそらく初めてユーリさまをご覧になった陛下も、この笑顔に魅了されたのだ。
「なんだか、さっぱりしちゃった、似合うかな?」
「ああ、もちろん似合うとも。おまえはどのような姿をしても似合うぞ。長くても美しかったが、短くてもかわいい」
 そして、愛おしげにユーリさまの髪を撫でつけられると、何度もうなずかれた。
 私たちも、ユーリさまを褒めるのにぴったりの言葉に、秘かにうなずく。
「髪を短くしたのだから、髪飾りはこれまでのではよくないな、さっそく作らせよう」
「でも前のがあるよ」
「あれではデザインが古いだろう」
 陛下はすでに頭の中でいくつもの形を思い描いておられるようだった。
「耳飾りもチョーカーも、誂えさせた方がいいだろう」
 すでにご自分の命じた形がそこを飾るのを想像したのか、ユーリさまの鎖骨のあたりをなでられる。
 以前あつらえた物の中にも、まだ一度もユーリさまをお飾りしたことのない宝石もあったのだけど、皇帝陛下は今持っているのと同じだけ、いやそれ以上の素晴らしい宝石を贈られるおつもりなのだ。
「おまえの肌は滑らかだからな、これを際だたせるものを作るのは宝飾職人にも喜びなのだ」
 確かめるように胸元に手をするりとすべり込ませる。
 滅多にないことなのだけれど、時々湯浴みの後に香油をお塗りすることがある。
 その時、手のひらに吸いつくようなユーリさまの肌のなめらかさにいつも感嘆させられた。
 もっと触れたい。触れ続けていたい。
 女の私でもそう思うのだから、殿方である陛下ならなおさらのことだろう。
 私たちはあわてて退出することにする。
 その時、私は思いついて、髪を切る間ユーリさまの肩におかけしていた布をそっとリュイの持つ盆にかけた。
 盆の上には切り落とされてもなお輝く黒髪が載っていた。それを隠す。
「それでは、これで」
 どうせお二人の耳には届くことはないだろうけど、小声で告げる。
 しかし。
「待て、ハディ」
 陛下はユーリさまを抱いたまま声をかけられた。
「はっ」
 なんとなく嫌な予感があたる気がしながら頭を下げる。
 そんな私に、陛下は冷たく言い放った。
「切った髪は置いていけ。ユーリは髪の毛一筋に至るまで私のものだからな」
 ユーリさまの肌に自由に触れられる陛下は、切り落とした髪すら私たちに許してくださる気はないのか。
「カイルってば、髪の毛なんてどうするの?」
 すでに陛下によって声をうわずらせたユーリさまが訊ねた。
「決まっているだろう?」
 陛下の残酷すぎる言葉が耳に届く。
「リースに編んで、とっておくのだ。宝石細工の箱を作らせてな」


 三度目に目頭が熱くなったのは、悔しさのためだったのだろうか。


                     おわり

     

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