魅せられた夜



「あのね、お願いがあるの」
 ユーリがうつむいて顔を赤くしながら言った。
「まあ、なんでしょうか?」
 ハディは微笑む。この、ものにあまり執着しない女主人が頼み事をするのは珍しいことなので。
「うん・・・あのね」
 少し上目づかいにはにかんで。
「あたしね・・・イエスノー枕が欲しいの」
「はぁぁぁぁぁぁっ!?」
 ハディは思わず大声をあげて、慌てて口を塞いだ。
 人の多い室内ではなく、所用に立ったハディを廊下まで追いかけてきたのだから、なにか他には聞かれたくない話なのだとは思っていたが。
「イエスノー枕、ですか?」
「知ってる?」
 皇帝陛下の愛情を一身に受けている、年中新婚生活のこの国の皇后陛下はちょこんと首をかしげた。
「まあ・・・それはもちろん・・・」
 口ごもる。
 イエスノー枕と言えば、うれし恥ずかし新婚さんの必需アイテムだ。
 新妻が夫にこっそり送るサイン、今夜は早く帰ってきてね、だって・・・枕で伝えるメッセージ。家内安全、夫婦円満。枕万歳。
 もちろん、皇帝夫妻はいまだに新婚気分の抜けていない評判の熱々カップルだ。新婚アイテムを持っていてもおかしくはない、はず。
 しかしいったい、なんだって急にこんなことを言い出されたのか。
 疑問が顔に出たのだろう、ユーリは小声で早口で説明する。
「あのね、アルザワの女王陛下からアレキサンドラ姫に婚礼の荷物が届いたことは知ってるでしょ?
だから、あたし準備のお手伝いに行ったの。あたしは姫のお姉さんがわりみたいなもんだし。そしたらね、あったのよ」
「イエスノー枕がですか?」
 頭痛を感じてこめかみを押さえながら訊ねる。
 アルザワ女王は気遣いの人だから、当然新しく家庭を持つ娘のために心を砕いたのだろう。
 国から婚礼を出せないために、せめても持参物だけはとその婚儀の品は質量共に目を見張るものだった。
 しかし、イエスノー枕・・・。
「あたしね、最初は姫に『これはなんですか?』って訊かれて分からなかったの。そうしたら、あっちの侍女の人たちが」
「使用方法をお教えしたってわけですね」
 そんなもの、教えてもらわなくてもよかったのに。
 ハディはため息をついた。
「うん・・・あたしはよそ者だから、身の回りのことは全部カイルが用意してくれたんだけど、枕はなかったから。ああいうのって、本当は女の人の方が準備するものなんだよね?」
 もじもじとユーリは言う。
「まあ、普通はそうかもしれませんが、皇帝家では事情が違いますから。
妃には本来、イエスもノーもありませんでしょう?どちらの姫をお召しになるか、皇帝陛下がお決めになるんですから」
 しかし、現在この後宮にいるのは正妃であるユーリ・イシュタルたった一人。
 しかも尋常ではない寵愛っぷりの皇帝は毎夜いそいそと正妃の間を訪れ、そこで朝を迎える。
 イエスはともかく、ノーなんて、あの皇帝にとっては冗談でも言って欲しくないことだろう。
 ふと、ハディの頭を疑念がかすめる。
「ユーリさま」
 さすがに個人の家庭事情に踏み込むことに咳払いをする。
「その・・・陛下のご寵をお受けしたくない夜もございますの?」
「そりゃ・・・疲れてるときもあるし」
 ユーリはさらに真っ赤になって顔を伏せた。
「でもね、それはちゃんとイヤって言えば、その・・・無理にはないから」
「さ、左様でございますか、それはよろしゅうございました」
 ハディもまた、顔を赤くして自分のつま先辺りをながめた。
 互いに赤い顔でうつむきあっている主従を見かける者がいたら、どう思うだろう。
 人が頻繁に行き交う回廊ではなく、主に使用人が使う側道とはいえ、いつだれがやって来るか分かったものではない。
「だけど」
 ハディが、口を開こうとした時、ユーリがぽつんと言った。
「そう言う時のカイルって、すごく淋しそうなの。あたし、悪いなぁって・・・。
少しだけ疲れてる時は、このぐらいだったらイヤって言わないでおこう、とか思ったりするのよね」
「まあ・・・」
 ハディは、目の前の小柄な皇妃が気の毒になった。
 まだ第三皇子の身分だった頃の皇帝の『お盛んさ』は、遠く故郷のアリンナまで流れてきていたものだ。
 尾ひれはついているだろうが、ハットウサに住む年頃の貴族の娘はみんな皇子のお手つきだとまで噂されていた。
 それが、小さな側室を迎えたとたんにピタリと夜歩きが止んだのだ。
 おかわいそうに、たったお一人でお相手をするのはさぞや骨が折れましょう。
 ハディは秘かに拳を握りしめた。
「だからね、部屋に入ってきた時に、枕でイエスノーが分かったら、カイルもあんまりがっかりしないんじゃないかと・・・」
「分かりましたわ」
 ハディはがっしりとユーリの手を掴んだ。
 枕があったところで、皇帝の落胆ぶりは変わらないと思うが、ユーリの安息を得るためである。
「今夜の陛下のお渡りに間に合うようにお作りしますわ!」
 いや、そんなに急がなくても、とユーリが口の中でぼそぼそと言った気もしたが、使命感に燃えるハディにはささいなことだった。



 その日、いつもどおりユーリのもとを訪れた皇帝は、いつもと違う寝所の様子に首をかしげた。
 戸口まで出迎えに来なかったユーリは、すでに寝台の上にぺったりと座っていた。
 その膝に大きな枕を抱えて。
「どうした?」
 さりげなく羽織っていたマントを脱ぎながら訊ねる。
 用意されていたワインに口をつけて、しばらく会話を交わしてというのが、毎夜のパターンである。
 時々は面倒くさいと思うが、愛を語らうのに手抜きをすることは、主義に反する。
 しかし、今夜はユーリがすでに寝台で待っていてくれているのだから、多少の省略は問題ないだろう。
「あのね、これ!」
 ぎしりと片膝を寝台に乗り上げたカイルの前に、枕が突き出された。
 大きな枕には、はっきりと「イエス」と縫い取りがある。
 ユーリはそれをくるりと裏返して、「ノー」の面も見せる。
「なんだ、これは?」
「イエスノー枕だよっ!」
 勢い込んで、ユーリは説明する。
 アルザワ女王の贈ってきたものについて、ハディに頼んで作ってもらったことについて。
「これからはね、毎晩これで知らせようと思うの」
 うきうきと、自分の考えた「いいこと」を報告するユーリはたまらなく愛らしい。
 カイルは健気さで胸がいっぱいになった。こういう幼さも魅力なのだ。話の内容はかなり大人だが。
 どうにも自覚のなさそうなユーリをからかいたくなる。
「知らせるというのは、つまり・・・私に抱かれても良いかどうか、か?」
 言われてたちまちユーリの頬が赤くなる。
「・・・うん、そう・・・かも」
 それなりに経験も豊富なはずなのに、この純情さはどうしてだろう。
 「経験」のほぼすべてに関与しているカイルは考える。
 いや、そこがまたたまらないのだけど。
「それで、おまえは」
 そっと肩に手をかける。
「今夜はイエスとノーと、どちらを向けてくるつもりなんだ?」
 ユーリはもじもじと枕のはしをひっぱっていたが、やがてカイルの目の前に、一つの面を掲げて見せた。
 消え入りそうな小声でつぶやく。
「・・・イエス」
「そうか」
 カイルはにやりと笑うと、ふたりの間の邪魔な枕を取りあげて端に投げ、うつむいたままの肩を抱き寄せた。
 わざと恥ずかしがる言葉を言わせて悦に入るあたり、オヤジである。


「そういえば」
 ユーリの胸元に埋めていた顔をあげて、カイルが思いついたように言った。
「なに、カイル?」
 自分の上でごそごそと動き始めたカイルに、ユーリは閉じていた目蓋をあげた。
「ん? いいことを思いついたんだ」
 いつのまにか、あの枕を引きよせてカイルが得意そうに言う。
「いいことって・・・きゃっ?」
 言いかけたユーリの腰がひょいと持ち上げられると、その下にくだんの枕が押し込まれる。
 腰を突き出す体勢になったユーリを見下ろして、カイルは満足そうにうなずいた。
「ほらな、高さがちょうど良い。おまえも楽だろう?」
「楽って?」
 最後まで言わせずに、ユーリの両膝を肩に掛けるとそのまま覆いかぶさった。
「や・・・っ」
 折りたたまれる体勢に、シーツに投げだした腕を突っ張らせたユーリは、いつもよりも安定している身体に気づいた。枕が不安定な下半身の支えになっている。
「・・・ホントだ」
「な?」
 するりとユーリの膝を撫でたカイルは、すばやく身体を進めた。
「こういう使い道はどうだ?」
 もちろん、ユーリは返事どころではなかった。



 翌朝、食事を準備していたハディは急にカイルに声をかけられた。
「あの、枕だがな」
 余計なことを、と、叱責を覚悟したハディは平伏する。
 しかし、カイルは上機嫌な声で告げた。
「なかなか便利なものだな」
 意味ありげに、かたわらのユーリの腰をするりと撫でる。
 ユーリは真っ赤になってカイルを睨む。
「ありがとうございます」
 ふにおちないながら、ハディは深く頭を下げる。
 まあ、二人が仲良くしているのなら特に問題はないのだろう。
 そう納得して、さがろうとした時、また思いついたようにカイルは言った。
「そうだ、予備にもうひとつふたつ作ってもらおうか?
そのほうが、おまえも楽だろう?」
 最後の言葉は腕の中の愛妃に。
「なに言ってるのよっ」
 赤くなったユーリが、カイルの頬をぱちんと叩いた。
 ひとつあれば充分に用向きは果たせるのに、と、ハディは首をひねるしかなかった。



        おわり  

           

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送