LOVE−抱きしめたい−
いつも、おまえを見ている。
それこそ、肌のすべてが目であるように。
常にその存在を感じていないと生きている実感がない。
息を殺しているのがわかる。足音を忍ばせて。
私は、わざとそれに気づかないふりをする。
今、こらえきれずに笑っているのかも知れない。あの、黒い瞳を輝かせて。
一歩、一歩とおまえが近づいてくる。
そっと周囲の者に目配せをしながら。
思わず背筋を伸ばすキックリにも気づかないふりをする。
もうすぐ、手が届く。おまえの身体を包む柔らな香りが、ふわりとまつわる。
「カイル!」
弾んだ声と、後ろから回された腕。
「・・・どうした!?」
私は驚いた表情を作る。突然に抱きつかれて、慌てる顔。
「へへっ、びっくりした?」
頬をすり寄せて見上げる顔に、ため息をつく。
「ああ、驚いたよ」
おまえがそれを望むなら。
「カイルって全然気がつかないんだよね」
嬉しそうな声。
そんなハズがないだろう?
おまえがそばにいて、私がそれに気づかないはずがない。
けれど、私はユーリに腕をまわして抱きしめる。
おまえが驚かせたいと望むから、私は驚いてみせる。
この笑顔をこうして手に入れるためなら、それくらいはたやすいことだ。
「いったい、どうしてこう悪戯ばっかり思いつくんだ?」
腕に力を込める。けれど、加減しなければ折れてしまいそうに細い身体。
「悪戯じゃないよぅ」
腕の中のユーリはくすくすと笑う。
「あのね、お話があるの」
私の胸に頭を擦りつけて肩を震わせていたが、急に真面目な顔で言う。
「明日の閲兵式のことなんだけどね」
幼い顔に不似合いな言葉。
甘えるだけの女ではない。
「戦車隊の配列を変えたいの」
語尾を丁寧に発音する唇を眺めながら、私はうなずいて促す。
「重戦車を外側に、軽戦車を内側に・・・その方が」
「ミタンニ王子には興味深いか? 軽戦車戦を得意とする国だからな」
時々、ユーリが私の腕の中にあるのは奇跡なのではないかと思う。
この、男の腕の中にすっぽりと収まってしまう小さな身体が、どこまでの底知れぬ機知にとみ、行動力を持つのか。
抱いた身体の小ささに忘れてしまうこともあるのだけれど。
「じゃあ、いい?」
「構わない、おまえが指揮官だ」
国を治めるのに不可欠な女。
私はこの国を統べる権力の半分をユーリに持たせた。
その重みがユーリを縛る枷になればいいと、秘かに願って。
「じゃ、そうするね。模擬戦も軽戦車だしさ」
なのに、軽々とユーリは立ち上がってみせる。
だれもその身体を捉えることなど出来ないのだと、私の渇望など知らぬげに。
「カッシュが張り切っていたな」
「もしかしたら、王子も出たいって言うかも」
ユーリは確信犯の笑顔でうなずく。
「なんだか、あの王子さまって負けず嫌いっぽくない?」
「昨日会ったばかりで分かるのか?」
ユーリがミタンニ王子と一緒にいたのは、ほんの一時。
けれど、女神が人を惹きつけるのに足りる時間だった。
並んだ騎馬から降りたち膝を曲げたあの青年の瞳の中に、憧れの色を見たのは私だ。
「う〜ん、なんとなく?」
私はいつもおまえを見ているから、おまえに向けられる視線の意味を読みとってしまうのだと、そんなことは口にはしないけれど。
「そうだな、王子さまには怪我のないように戦車隊に申しつけておかなければ」
もう一度、ユーリに回した腕に力を込める。
自分でも呆れるほどに、嫉妬深い。
閲兵式の後でユーリに口づけるのは、厳格な儀式などではなく、見せつけるためだ。
いつもユーリのまわりに注がれる、兵士達の羨望のまなざしを断ちきるためだ。
「王子だって、マッティワザ王の息子だもん、心配することないよ」
「しかし、万が一ってこともある」
好きな女の前では誰だって張り切るだろうから。
なにか言いたそうなユーリの唇を塞ぐ。
もう、他の男の話題は聞きたくない。
私には分かる。
あの青年はやがてユーリに恋をする。
国賓を饗応するのが皇妃の役目であることに、私は落胆する。
言葉を交わすさまなど見たくはないのに。
「そうだ」
私は、醜い。
「マッティワザ王からの書簡にあった」
「なあに?」
今さら、私の妻である女を誰が奪おうというのだろう。
けれど、私は他の男を遠ざけたいのだ。
この、愛しい女を独り占めにしたいのだ。
「王子にはまだ正妃はいないそうだ。できればヒッタイト皇家の姫を、と」
「それって、政略結婚?」
眉をひそめた頬に口づける。
誰の目にも触れないように閉じこめておくことがかなわないのなら、せめて。
「そうかもしれないが、それはただのきっかけだ。政略結婚でも仲の良い夫婦はいくらでもいるだろう?」
「そうだけど」
私はユーリの手を握る。
あの、若い王子には酷なことだ。
「今宵の宴で、皇家の姫を何人か紹介してやってくれないか? 気の合う姫がいるかも知れない。王子に選択権はあるのだよ」
そう、私の皇妃に憧れを抱くことすら許されない王子に与えられる権利だ。
「無理に、とか、ないよね?」
「ない」
しばらく上目づかいに私の顔をうかがっていたユーリがふと笑った。
「分かった」
ついとつま先立つと、自分から唇を重ねてくる。それだけで胸が高鳴る。
「いいひと、見つかるといいね」
「ああ、そうだな」
もう一度抱きしめながら、私は息をつく。
想いのすべてをぶつけたら、壊してしまう。たわめてしまう。
かぎりない醜態を演じてしまう。
だから、いつも踏みとどまろうとする。
私のユーリ。
生きていくのに不可欠な女。
私は、私の命のすべてをユーリの手に握らせた。
離れていることなど考えられない。
「じゃあ」
ユーリはするりと私の腕から抜け出る。
「あたし、準備してくる。お仕事の邪魔して、ごめんね」
腕の中にユーリの形の空虚さを抱いて、私は離れていく姿を見送る。
待ってくれ、と。
思わず口に出してしまいそうになる。
こらえて、背を向ける。味気のない書類の山にふたたび専念しようとする。
私の背中は、全身全霊の力で遠ざかってゆくユーリを追う。
いつも、おまえを見ている。
それこそ、肌のすべてが目であるように。
常にその存在を感じていないと生きている意味などない。
おわり
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