Darling



 私なら、思い切り着飾らせておくのに。
 そう、小さな紅玉髄と青金石を連ねた首飾りでその細いうなじを飾って。
 あまり大きな石は似合わないだろう。ごく控えめで、手の込んだ細工がいい。
 少し痩せているから、衣装はゆったりしたものが似合うだろう。
 そう、ちょうど今、身につけているような。
 私の視線は少し不躾だっただろうか。
 彼女はわずかに身じろぎをして、するりと目線をこちらに向けた。
 口上を連ねている重臣を前にしていたから、それはごく秘やかな動作だった。
 けれど、私と視線を合わせるには充分な動き。
 かすかに瞳が見開かれた気がした。
 時間をかけて磨き上げたような黒曜石の深い色を持つ瞳。
 微笑んだ。
 さりげなく上体を傾けると、かたわらの人に肩を寄せる。
 優雅にあがった腕が、その人の肘に軽く触れた。
 手首を飾る細い金細工の腕輪がさらさらと音を立てる。
 すばやくなにかを囁くと、なおも話し続ける重臣に、そっと会釈した。
 一連の見惚れるような優雅な動作。
 そして、彼女はこちらにやって来る。
 まるで羽根が床をすべるように、音も立てずに。
 私を囲んでいた人々が、私の視線に気づいて、振り返る。
 彼女は、慌てて礼をとる高官たちを柔らかな笑顔で制すると、そのまま私の前にふわりと降り立った。
 ・・・ように感じた。
「楽しんでおられますか、殿下?」
 声までもが、透き通って聞こえる。
「ありがとうございます」
 私は、今のいままで手の中で所在なげに弄んでいたカップを目に高さにかかげた。
「このように盛大な宴を催していただいて」
 昼間とは別人のように着飾った彼女を見つめながら。
「ご婚儀に出席した異母兄が、イシュタル様のお美しさは言葉に尽くしがたいと申しておりましたが」
 冗談めかして、全身に視線を走らせる。
 高貴な女性に似つかわしく飾り立てた姿。
 細身の彼女には少し重たそうに感じる豪奢な胸飾りが、まばゆくきらめく。
「私も言葉を失うばかりです」
 艶やかな黒髪や、むき出しになった肩のなめらかさや、ほっそりとした腰つきを、ほとんど驚嘆して眺める。
 昼の光りの下では、あまりの飾らなさに見過ごしてしまった美点が、かがり火に煌々と照らし出される。
 なるほど、美しい。
 確かに女なら、もっと肉付きがよい方が好みだ。髪もゆたかに波打つ金がいい。
 下唇がぽってりと厚くて、情熱的でいながら、出しゃばらない女。
 そんな、都合のよい女。私の身分なら、捜すまでもなくいくらでもいた。
 自分の好みは熟知していた。
 なのに、見惚れてしまうのはどうしてだろうか。
 女ではなく、女神なのだと思う。
 男がいだく、肉欲やそういったものを超越して、ただ美しいと思わせる造形。
 抱いて楽しむよりは、高価な工芸品として、飽きることなく眺めていたいような。
 触れることを憚ってしまう澄んだ美しさ。
「王太子殿下にお会いした時にも思ったのですけど」
 彼女はにっこりと笑った。
 象牙細工の頬にほんのりと赤味がさす。
「殿下がたは、お父上さまに似ずに、お口が上手でいらっしゃる」
「父は武人ですから」
 私は、彼女の細い指先に目を向ける。
 昼間、手綱を握りしめていたものと同じなのだろうか。
 あまりにも小さくて弱々しく見える。
「あら、ミタンニの王子はみな、勇壮な戦士でいらっしゃるとお聞きしましたが」
 私はさりげなく、彼女の手をとった。
 暖かい。
 そういえば、最初に彼女が触れた時にも、その暖かさを意外に思ったのだった。
 確かに、血の通った女なのだ。
「美しい女性をお守りするためなら、私も戦士になりましょう」
 そっと、甲にくちづける。
 薄い皮膚の下で、彼女がかすかに緊張するのが分かった。
 皇帝との間に子まで成しながら、この清らかさはなぜなのだろう。
 彼女の神性はいかなる権力でも汚すことはできないのか。
「心強いですわ」
 そっと手を引きながら、彼女は言った。
 けれど控えめな口調とは逆に彼女の顔を彩っていたのは予想外の表情だった。
「でも、守ってもらうより、守りたいと思っています」
 きらりと輝く瞳には、あきらかに挑戦の色がある。
 顎をあげた彼女が急に大きく見えた。
 唐突に鋭利な刃物が姿を現したような肌寒さを感じて、私は虚を突かれる。
「殿下は剣技に優れているとお聞きしましたわ。一度、お手合わせ願えますか?」
「・・・ええ、喜んで」
 気取られまいと、私も背筋を伸ばす。
 気さくに笑う彼女とも違う、油断のならないしたたかさを持つ武人の素顔。
 これも、彼女の持つ一面か。
 一人の人間がこうも意外な側面を次々と見せるとは。
「ほう、それは見物だな」
 突然の声に、慌てて振り返る。
 いつのまにかこの国の最高権力者がそばにいる。
 先ほど言葉を交わしていたはずの重臣は姿を消していた。
 私たちのまわりにいたはずの高官たちが、その輪を遠ざけていた。
「盛り上がっていたようだな」
 伸ばされた腕が、ほっそりとした肩を抱き込んだ。
 皇帝は笑顔のまま、腕の中の寵姫の頬を撫でた。
 琥珀の瞳にひたと見つめられて、息を飲む。
 笑ってなどいない。
 私は、不興を買ったのだ。
 彼のものである彼女に触れたために。
「怪我などしないでくれよ」
 皇帝は囁くと、彼女の手首を掴んで引きよせ、人差し指に軽く歯をたてた。
 私が口づけた方の手だった。
 必要以上に女神に触れてしまった肌。
 そのまま、皇帝の唇は手首まで移動した。
 思わず、喉が鳴った。なめらかな肌の感触がまざまざと唇によみがえったのだ。
 肉欲とは、無縁だと?
 皇帝が彼女を組み敷くさまは、容易に思い浮かべることが出来た。
 この細い身体にこのように触れ、このように味わいながら貪るのだ。
 そして、それに彼女はどのようにこたえるのだろう。
 少女のように恥じらって?
 挑むような跳ねっ返りの瞳で?
「しないよ」
 彼女が拗ねた口調で身をよじる。
 見上げる瞳が潤んでいる。
 少女でもなく、女神でもない、明らかな肉体を持った女の顔で。
「ちょっと、手合わせするだけじゃない」
 言葉は甘い。
 かわされる睦言を想像させるほどに。
 あまりにも危険な夢想だ。
 皇帝の腕がどうにか触れたのだろうか。
 その時、胸飾りがわずかに持ち上がった。
 優雅な鎖骨のくぼみから、ほんのりと曲線を描く胸元までがあらわになる。
 私の目は、一瞬覗いたそこに、明らかな朱点を見取った。
 肌に刻みつけられた所有の証。
「おまえのちょっとは、油断がならない」
 軽口で言うと、皇帝は彼女を解放した。
 私に向かって、肩をすくめてみせる。
「殿下もご迷惑でしょうな」
「いえ・・・」
 私は背筋を流れる汗を感じる。
 恫喝は終わった。
 二度と、彼のものに手は出させないと、そう脅しつけられて。
「そうだ、殿下に」
 明るい声で彼女が言う。
「ご紹介しましょうね」
 息を整えながら顔を上げた私の視界に、やはり着飾った娘たちが入る。
 いずれも美しい、若い姫たち。
 この国を訪れる前から、予想のついたお膳立て。
 なのに、落胆を感じるのはなぜか。
「皇家につらなる者たちですが殿下とはお年も近いから、話が合いましょう」
 よどみなく彼女は言う。
 そう遠くないはずの姫たちの姿は霞んで見える。
 私は彼女の言葉を音楽のように聞く。
 意味などより、声音が心地よい。
 他人のものだとは分かっているのだけれど。



 私なら、思い切り着飾らせておく。
 幾重にも贅を尽くした宝石で飾り立てて。
 時に、その声に耳を傾け、その美しさを眺める。
 それだけではなく。




 私は、この国の最高権力者を羨ましく思った。


                 おわり  

    

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