fragile
思いつめた目をしている ─── そう思った。
照りつける太陽の下、影さえ焼き尽くそうとするこの国の男たちにはない目つき。
回廊で息を潜めてたたずむ彼に気づいた時、違うのだと分かった。
彼は、忠実な随従としてではなく、なにか異なった想いから守ろうとしているのだと。
それは最奥の部屋に、兄が抱え込むようにして運び込んだ小柄な女性に対しての恋慕なのだと。
「ルサファをどう思う?」
急いで通り過ぎようとした兄に声をかける。
遠征先からようやく戻ってきたラムセスは、一人の女性を伴っていた。
あの日、すっぽりとラムセスの腕の中に収まっていた彼女には、まだ会ってはいない。
兄自らが侍女を選び出し、屋敷の中に医師を常駐させることを命じた。
身体を壊しているのだと聞いた。
女遊びはしても、屋敷にそれを連れ込んだことなどない兄だった。
興味深々に、客用の寝室のまわりを家の女達は探り歩いた。
あの、遠目にも青ざめた頬を持ち、力のない身体を凭せかけていた女性が何者なのか知りたくて。
頻繁に部屋を訪れる兄に見とがめられて追い払われるまで。
「どう思うって、どういう意味だ?」
不機嫌そうに返す兄の腕には、果物の盛られた籠がある。
さげられた食事にはまったく手がつけられていないと聞く。
彼女の口に少しでも入るものを、と、兄が四方に手をやっているのは知っている。
兄らしくもない。
いつもの兄なら、ではなにも食べるなと、女が音を上げるまで放置するか、無理にでも口をこじ開けて流し込むだろう。
そこまで、想われる女性とはどんなひとなのだろう。
兄にとっても、そして彼にとっても。
「わたしの相手に、ふさわしい?」
兄が部屋に入るたびに、同席を許されない彼は扉のこちらで息を潜める。
部屋の中で不穏な動きがあればすぐさま飛び込もうとでもするように。
……思いつめた目をしている。
「やめておけ─── あいつには惚れた女がいる」
ふうん、とネフェルトは笑ってみせた。
そんなことなど、彼を見ていれば分かることだった。
いや、彼が扉の向こうで寝台に横たわっているはずの女性に焦がれているからこそ興味を持ったのだ。
「それって、好きな人を諦める理由になるのかしら……兄さまにとっては?」
まるで壊れ物を扱うような、兄の態度。いつだって自信たっぷりだった兄が、部屋を出た後、ふと漏らすため息。
もどかしげな舌打ち。
手に入れたくて手に入らない、そんな焦燥が見て取れる。
ラムセスは、わずかに口元をゆがめた。
「……ならねぇな」
けれど、いつかは手に入れてみせる。すがめた眼光がそう語った。
挑むような目の輝きは、おそらくは自分の瞳にもあるはずなのだ。
「だから、ね?」
静まりかえる奥の扉に視線を投げる。
あの扉の向こうで眠る彼女は知っているのだろうか。
彼の、暗いまでに押しこめられた想いを。
あんなに思いつめて。彼は、おそらくは決して手に入ることはないと理解しているのだ。
どうして、諦められるの?
諦めてもなお、彼女のそばにいるのはなぜ?
どうして、そんなに暗い瞳をしているの?
彼はおそらく─── 焦がれる相手のために命を投げだすこともできるのだ。
「あんな人、初めてなのよ」
あんな愛し方を選べる人は。
今まで出会った誰とも違う。だからこそ彼に愛されてみたい。
「まったく」
ラムセスがため息をつく。
呆れたような、それでいて妹に対する愛情が見え隠れするため息。
「どうして、ややこしい男を選ぼうとするんだ?」
どうして兄妹が揃って、難しい相手を選ぶのだろう。
「いい男を選ぼうと思ったら、ややこしかっただけよ」
肩をそびやかしたネフェルトに、ラムセスは頬をゆるめた。
ここ数日のあいだ、眉間に刻まれていたしわが消える。
不意に真顔になる。
「ユーリは、ようやく泣くようになった」
ネフェルトは虚を突かれる。
兄の言い出した意味が理解できない。ただ、『ユーリ』と言うのが彼女の名前だと知る。
「声はあげないが、涙は流すようになった。もうしばらくしたら、怒ったり腹を立てたりするようになるかも知れない」
兄の視線が扉の向こうを透かし見る。
強い口調とは反対の柔らかい目つきだった。
こんな風に、女の話をする兄は初めてだった。
「そして、やがては笑うようになるだろう。おれが、必ず笑顔を取り戻してみせる」
だから、とネフェルトを振り返る。
「……ルサファは、まかせよう」
同じ女を愛した者だから。彼にも救われる機会を与えよう。
言外に、そう語る。
「まかされたわ」
うなずいたネフェルトの背を、力強い手のひらが叩いた。
「ときどきユーリの話し相手にもなってくれ」
ネフェルトは眉を上げた。
その言葉が、兄の何よりの信頼を表しているのだと知る。
大切なひとを、守る一端を任されたのだと。
ラムセスの背が遠ざかる。あの扉の前で立ち止まる。
扉の向こうの大切な人を、思いやるように、一瞬足を止めて、一呼吸おく。
そして、いつもの自信に満ちた態度で扉を押し開く。
ネフェルトの視線は、入れ替わりに廊下に現れる彼の姿をとらえる。
守るように、頭を垂れて扉の外にたたずむ姿。
そっと、唇を噛む。
『ユーリ』を知れば、彼にも近づけるのだろうか。
あの、思いつめた彼の瞳の奥をのぞき込めるのだろうか。
もっと彼を知りたい。もっと、彼に近づきたい。
あの暗い瞳が、やがて自分の姿を映し出してくれるまで。
おわり
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