おやじ−男のお腹



 眠っている時には……たしか、天使と言うのだったな。
 ユーリが、眠った幼いデイルを見て口にした言葉だ。
 ほんの少し口を開き加減に、無心に眠るその姿。ふっくらとした頬は薔薇色で、柔らかな産毛が光っている。
『起きている時はやんちゃで目が回るようだけど』
 眠っている時は天使みたい。
 そう言って、はだけた掛布を引き上げた。
 私は天使をまだ見たことはないが、その時それがどのようなものか理解できた。
 軽く握った小さな手や、ふわふわと舞う癖毛に包まれた顔。
 この、限りなく愛おしい生き物。
 起こさないようにと、抱きしめたい衝動を抑えつけながら、眠る我が子にキスをした。
 しかし、天使のようなのは、デイルだけじゃないぞ?
 私は、なかば毛布に埋もれているユーリを見下ろす。
 今日は急を要する政務がなかったので、一日子どもたちの相手をすることにしたのだったな。
 執務室にユーリの姿がないのは淋しかったが、普段一緒に遊ぶことの少ない子どもたちのはしゃぐ声は聞こえてきた。
 私は寝台に腰掛けると、おそらく身を投げだしたとたんに眠ってしまったユーリを膝に抱き上げた。
「布団ぐらいかぶった方がいいぞ?」
 次から次へと「かあさま」にして欲しいことを思いつく子どもたちの相手はタイヘンだっただろう。
 くたりと投げだした腕を持ち上げる。
「ご苦労だったな」
 聞こえないだろうねぎらいを口にする。
 ユーリはすっかり夢の中だ。こうして眠っていると、あの日デイルを見て微笑んだ言葉を思い出す。
「おまえも、天使のようだぞ?」
 柔らかい頬や、うす紅色に色づいた唇。
 象牙色の肌や、漆黒の髪。
 デイルと同じものだけど、デイルとは違う。
 そうだ、顎のラインはデイルよりは細い。
 大人と子どもの違いだろうが、肩や腕はほっそりとしている。
 それになにより。
 私は咳払い一つすると、襟元をそっと引っぱってみた。
 ─── デイルには胸はないし。
 いまひとつよく見えないな。
 私は、ユーリの腰ひもに手をかけた。
 別にスケベ心からではない。単純に、デイルと違うことを確かめようとしてだ。
 前であわせてあるだけの夜着はするりとはだけた。
 ユーリのなだらかなふくらみが露わになる。
 呼吸に合わせて緩やかに上下するそれを目にすると、私の胸は締め付けられそうになる。
 最初に出会った時から考えると、随分成長した。
 毎晩丹精込めていたものな。
 私はほのかに赤味のさすふくらみの上に手のひらを置いた。
 この手に合うぐらいに、と言ったのだったな。
 まあ、サイズ的にはまだ多少の余地はあるが、感覚的にはぴったりだ。
 手のひらに吸い付くような、フィット具合ではないか。
 うむ、形も柔らかさも、肌触りも最高だ。
「う……ん……」
 いつのまにか手を動かすことに熱中してしまったのだろう。ユーリが悩ましげなため息をついた。
 私は慌てて手を引いた。
 寝込みを襲う卑劣な趣味はない。いや、過去に一度だけ襲ってしまいそうになったことはあるが。
 その時の、ユーリの必死の抵抗を思い出して、少し切なくなった。
 なにも、あんなに力一杯嫌がらなくてもいいのに。
 いや、あれは昔のことだ。あの頃の私は、悩み事が多くてどうかしていたのだ。
 今は、ユーリの意に反することなどしたくはないし、本人の意思を無視してまで───── 起きてくれないかな。
 私はユーリの耳元に口を寄せると、そっと声をかける。
「ユーリ、本当に眠っているのか?」
 ─── 返事なし。
 どうやら、本当に眠っているらしい。
 疲れているのだろう、やはり。このまま眠らせておいてやるか。
 私は落胆しながら、ユーリの身体を横たえる。
 ユーリはと言えば、夜着の前を全開にしてなんとも色っぽい格好だ。
 いや、脱がせたのは私なんだが。
 これは目の毒過ぎる。はやくちゃんと着せねば。
 落とした腰ひもを拾おうとして、平らな腹部と、そこに続く部分に目を奪われる。
 すんなりと投げだされた脚。
 ちょっとぐらい……いいじゃないか。いや、別になにをしようというワケではないんだ、ただ、ちょっとだけどうなのかな、と、いや、どういうものかはよく知っているが、つまり、まあ、なんだな、いつも見慣れているけど、今日のところはどうなのかと、そこのところが問題で────── なにを言い訳をしているんだ、私は!?
 眠る妻の裸体を前に、ぐだぐだごたくを並べるなど男らしくない。
 私は頭を一つ振ると、男らしく、しかし起こさぬように静かに、ユーリの膝に手をかけた。
 ぱっと見て、ぱっと着せて、寝る!
 そうだ、今日はそれで決まりだ!
 多少、鼻息が荒かったかも知れない。いや、それとも視線を感じたのか。
 突然、ユーリが身体をよじって言った。
「やだ・・・カイル・・・」
「な、な、なんだぁっ、目を覚ましたのかっ」
 私の声は裏返っていたと思う。
 卑怯な男とか、スケベな男とか、ヘンタイ男だとか思われたのかもしれない。
 しかし、私の動揺を意に介した風もなく、ユーリはまぶたを閉じたまま、何ごとかつぶやくだけだった。寝ぼけていたのか。
 し、心臓が止まるかと思ったぞ!
 私は安堵のため息をつくと、左右に広げつつあったユーリの脚をまたしてもじりじりと開いた。
 よっしゃあぁっ!!
 暗がりになっているので、もっとよく見ようと太腿の下に手を入れる。
「……やめてよ……恥ずかしい」
 眠っているはずのユーリが静かにきっぱりと告げる。
「カイルは皇帝なのに、こんなことをするなんて見損なったよ」



「とおさま、どうしたの?」
 横にいたデイルが心配そうにのぞき込む。
 私はどうやら上の空だったらしい。
 先ほどから末っ子のシンに食事をさせていたユーリが、ちらりと視線を上げた。
 私は無理に笑顔を浮かべる。
「いや、なんでもないよ、なんの話だったかな?」
 昨日一日一緒にいたせいか、ピアとマリエはいつもよりもユーリべったりだ。
 朝も明けやらぬうちに、寝室に飛び込んできた二人は、今日も遊んで欲しいとねだってユーリを困らせた。
 おかげで、今朝はユーリとまだ口をきいていない。
 昨日のことなど無かったように、子どもたちの前では平然と振る舞っているのがよけいに怖い。
「あのね、昨日はかあさまといっぱいお話しできたから」
 ユーリそっくりのデイルがきらきらと瞳を輝かせている。
 私はほんの少しだけ、心が癒されるのを感じた。
「次はとおさまにいろんなお話聞きたいな」
「ああ、そうだな」
「とおさまと言えば」
 私がうなずいた時、信じられないことにユーリが話しかけてきた。
「昨日、カイルのとんでもない夢みたわ」
 昨日だって!?私は背筋を汗が伝うのを感じた。
 夢って、なんだ?いや、ユーリはアレを夢だと思っているのか?
 私の強張る顔に気づかずに、ユーリは天井あたりを見上げながら、続けた。微妙に顔がゆがんでいる。
 嫌悪感からなのか!?
「カイルったらね、外国公使の歓迎の宴会で急にヘソ踊りを始めたのよ」
「かあさま、ヘソ踊りってなぁに?」
 マリエの無邪気な声。
「おへその回りに顔を描いてね、それでその顔が動くように踊るの。かあさまは、とおさまに恥ずかしいからやめてって言うんだけどね」
 ユーリは、思い出したのか、こらえていた笑いを吐き出した。
「まったく、皇帝があんなことするなんて、ねぇ?」
 ──────おかしな夢を勝手に見るな。
 しかし、夕べは、ユーリはしっかりと眠っていたのだな?
 私は安堵に崩れそうになった。
 その私の身体を、デイルが小さな手で一所懸命ゆすった。
「ねえ、とおさま、ヘソ踊り見せて。ヘソ踊り見たい!!」
 ああ、ヘソ踊りでもなんでも見せてやるぞ!
 ユーリの信頼はまだ揺るぎないのだ。

 しかし、ヘソ踊りとはどういうものなのだ??



                      おわり

      

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