冷静と情熱のあいだ


 朝を告げる小鳥たちの声が聞こえる。私は小さく伸びをして、目蓋を持ち上げる。
 シーツの白がまぶしい。
 腕の中で丸まっているぬくもりに、そっと唇を寄せる。
「おはよう、ユーリ。朝だよ」
 ささやくと、張りのある頬を指でつつく。
「さあ起きて……お寝坊さんだな」
 ユーリは一つ身震いをして、そのまま私の胸にすり寄ってくる。
 鼻先を掠める黒髪からは、ふんわりと良い香りがする。
「・・・ヤダ、もうちょっと」
 吐息が胸を濡らす。私は苦笑する。
「いつまでも寝所に籠もっていると、みんなに笑われてしまうぞ?」
 肩に手をかけると、ますます私にしがみついてくる。
「……だって……」
 小さな声だが、ほとんど密着しているために、次の言葉を私は明瞭に聞き取れた。
「離れたくないんだもん」
 今さらだが、私の胸も身体も熱くなった。
 一つ深呼吸をすると、頬を染めているユーリの瞳をのぞき込む。
「そんなことを言って・・・どうなるか分かっているのか?」
 黒いどこまでも澄んだ瞳が、そっと睫毛の下に隠れた。
「……分かってるよ……」
 もう、我慢できない。私はシーツをはねのけると、ユーリの上に覆いかぶさった。
 朝の冷気が肌を刺す。
 なに、かまうもんか、すぐに暑くなるさ。
 私が荒々しくユーリの身体をかき抱くと・・・腕は空をかいた。



……やはり。
「ほらっ、カイル! いつまで寝てるのっ!」
 朝っぱらから元気すぎる声が、呼びかけてくる。
 私は上掛けを剥がされた寝台の上で縮こまりながら目を開いた。
 すっかり身支度の整ったユーリが腰に手を当てて私を見下ろしている。
「さ、起きた、起きた!今日も一日、張り切っていこう!」
 のろのろと寝台の上で起きあがる。
 夢だったのか。妙に調子が良いとは思ったよ。
 まだどこかぼうっとした頭のまま、恨めしげに、ユーリを眺める。
 ずいぶんときっちり着込んでいるな。もう少し……その、余韻とかいうものを楽しもうとか思わないのか、おまえは?
 私の嘆きなど知らぬげに、ユーリはと言えばちょこまかと動き回って、昨日私が脱ぎ散らかした衣装を拾い集めている。
「はい、さっさと着て!」
 胸元に衣装を押しつけると、少しだけ眉を顰めた。
「カイル、寝る時はなにか着た方がいいよ?もう冬なんだし」
「……おまえの身体が暖かいから大丈夫だ」
 文句を言うので、コトが終わったのち、ユーリにだけは夜着を着せるようにはしているが。
 ユーリは頬を染めるでもなく、ふふんと鼻先で笑って見せた。
「そんなこと言って、鼻声になってるよ? 風邪引いたら、子ども達にうつらないように隔離しちゃうからね?」
「分かった……着るようにする」
 私はぼそぼそと応えると、衣装を身につけはじめた。
 知らずにため息が漏れる。
 ユーリに不満がある訳ではないが、一度くらいはああいう風にねだって欲しいものだ。
「どうしたの、カイル?」
 気がつけば至近距離にユーリの顔があった。
 こつんと額をぶつけてくる。
「ため息なんかついちゃって……具合、悪い?」
 そのままチラリと視線を落とした。
「……元気そうだけど」
「おまえのせいだ」
 言うなりユーリを抱きしめようとした腕は、やはり虚しく空振りをした。
 すばやく飛びのいたユーリは、軽やかに着地すると、にっこりとなんとも魅力的な表情で言った。
「はやく支度してね? 朝ごはんに遅れたら子ども達にしめしがつかないから」
 ほとんど弾むような足取りで出て行くユーリを見送って、私はがっくりと頭を垂れた。
 結婚して数年。
 朝のトキメキと恥じらいはどこに行ったのだろう?



「ところで、イル」
 私が口を開くと、イル・バーニは片方の眉を上げて、制した。
 そのまま、室内の書記官を振り返り、下がるようにと命じた。
 いかにも、じっくり話を聞きますよ体勢のそれは、じつは皇帝の権威の失墜を防ぐための措置なんだそうな。以前、何かの折りにそう言っていた。
 腹立たしかったが、しかし、イルはいつもなにがしかの解決策をアドバイスしてくれるので私は相談を持ちかけることをやめられない。
 今日もそうだ。
「なんでしょう」
 室内が二人だけになってから初めてイルは口を開いた。
 相変わらずの無表情だ。呆れているのか、腹を立てているのかすら分からない。
 私は組み合わせた指に視線を落として訊ねた。
「男と女というものは、結婚して子どもが出来てしまえば恋人同士ではいられないものなのか?」
「そうですね、親としての責任を果たす必要がありますから。自覚の問題ですね」
 イルは、真面目に重々しくうなずいた。
 いや、そんなにあっさりと肯定されても。
「そうではなく、二人きりの時ぐらいは、本来の男と女に戻りたいのだ」
 そう、甘えたりすねたりするような。時々は子どものことを忘れて、我が儘を言うのもいい。朝だって、さっさと腕から抜け出したりせずに。
 イルは突然背を向け、壁際に歩いていった。積み上げてある籠の中から一つのタブレットを取り上げ、ゆっくりを目を通した。
「おかしいですね。陛下は昨夜、ユーリさまと寝所を共にされて、数回にわたり夫婦の契りを結ばれたと報告にはありますが?」
「なにっ!?」
 私は飛び上がった。なぜ、そんなことを知っているのだ!?報告ってなんだ!?
 イルは無表情に粘土板を持ち上げると、私に示して見せた。
「後宮侍従長よりの報告です。皇帝陛下がどなたにいつ寵をお与えになったのか記録するのも重要な仕事ですから」
 言われてみれば・・・側室が山のようにいる後宮ではいつ誰が懐妊するのか、はたして、それが皇帝の子であるのか、記録しておくのは大切なことだろう。
 しかし、現在の後宮には妃はユーリ一人なんだぞ? そこまでする必要がどこにある?
 だいたい、部屋を訪れたとかどうとかのレベルでなく、数回とは。盗み聞きしていたのか!?
「法典にも定められた職務です」
 私の憮然とした顔を眺めつつ、イルは平然と言ってのけた。
「しかし、夫婦生活に不自由はないようにお見受けしますが? なにがご不満です」
「不満などない。私がユーリに不満を持つことなどないが、しかし……もう少し、甘えてくれても悪くないだろうと思うのだ」
 そうだ、ユーリは淡泊すぎる。
 離れたくないとか、いつまでもそばにいて欲しいとか、もう少しだけ抱いてとか言ってくれたら・・・大喜びで応えるのに。
 今朝のあっさりとしすぎる態度を思い出してまた暗くなった。
「朝だって、すぐに寝台から出て行くし」
「結構ですな。ユーリさまが皇帝を溺れさせて朝議をないがしろにさせる姦婦ではないということです。まこと素晴らしいタワナアンナですな」
 一瞬、姦婦姿(?)のユーリが脳裏をよぎって、私はつばを飲み込んだ。そんなユーリ見てみたいじゃないか?
「仕事をないがしろにしたいわけじゃない。ただ、もう少し、私のことを考えてくれてもいいのではないかと。私はユーリのことでは冷静さを欠くと自分でも分かっている。しかし、ユーリはどうなんだろう?
私はユーリに甘えて欲しいし、朝だって二人の時間をゆっくり楽しみたい」
 イルは無言で無表情なまま私の顔をじっと見つめた。
 なにを色ボケしているとでも思っているのだろう。
 私は、背筋を伸ばして、その顔を見つめ返す。いい年した男二人が見つめ合っているのは、はたから見たら不気味だろう。
 目をそらしたら負けのような気がして、私は目線に力を込めた。先に逸らしたのはむこうだった。
「分かりました」
 イルが言った。
「わたしにお任せ下さい」
 本当に任せていいのか?相手は手強いユーリだぞ?
 不安だったが、ほかに思いつく手もない。私は、いつものごとくイルに頼るしかなかった。



 翌朝。
「カイル、起きて」
 優しい声が呼びかける。
 耳元を吐息がくすぐる。
「ねぇ、朝よ?カイル」
 頬に柔らかいものがあたる。・・・これはもしかして?
 薄目を開けると、私の顔の両脇に腕を突くようにして、ユーリが覆いかぶさっていた。
「遅くなっちゃうよ?」
 言いながら、私の頬に唇で触れる。
 朝の光の中、白い頬が光りを弾いている。
 ・・・嗚呼、ユーリ!!
 私はユーリを抱きしめようと、腕を伸ばした……つもりだったが、掛布ごと押さえつけられていたために、もぞもぞと動いただけだった。
「ユーリ、少しどいてくれないか?」
 でないと、おまえを抱きしめられない。
「分かったわ。ちゃんと、起きるって約束してくれるなら」
 ほとんど吐息のかかる距離でユーリが微笑んだ。黒い瞳が濡れたような艶を放っている。
「もちろん、起きるとも」
 私はうなずく。今日のユーリは妙にしっとりとしている。
 イルはなにを言ったのだろう。どんな魔法を使ったんだ?
 ユーリが脇へよけると、私はようやく起きあがった。寝台の上に腰を下ろしたユーリと視線が合う。
 ユーリは柔らかに微笑むと、そっと、畳んだ服を差し出した。
「はい」
 昨日脱ぎ散らかしていたものだ。きちんと畳んで重ねてある。
 いつもの勢いとまったく違う。なんというか……いたわりを感じる。
 心遣いの奥には、私への愛が溢れているような気がする。
「ねえ、カイル?こんなこと、言うのなんだけど」
 ユーリは珍しく口ごもりながら訊ねた。
「今朝の・・・調子は……その、どうかな?」
 調子だと!?私はいつでも絶好調だ!!
「最高だ!!」
 思わず、ユーリに手を伸ばし、やはり空振りをした。
「良かったぁ!」
 じつに良いタイミングで寝台から飛び降りたユーリは、両手を合わせてはしゃいだ。
「イルがね、朝寝ている時に急に起こすのは心臓に悪いって言ってたし、今朝はやさしくしてみたの。最近のカイルって、朝からへんだったし」
 急に真顔になって、頭をぺこりと下げる。
「あたし、いっつも乱暴だったよね?ごめんね、辛かったんでしょう?言ってくれればいいのに」
 私は、勢いのあまり寝台にのめりながら、あいかわらず元気なままのユーリを眺めた。
 一つだけ分かることは、イルがなにか私にとって不名誉なコトを吹き込んだってことだ。
 おそらく、陛下は最近ユーリさまの起こされようを辛くお思いです、とかなんとか。
 もう陛下もお若くないのですから、朝は思いやりをもたれますように、とかなんとか。
 ・・・なんの解決にもなってない。
「どうしたの、カイル?」
 黙り込む私に、ユーリは訝しそうな顔をした。
「やっぱり、どっか具合悪い?」
「ユーリ」
 私は決心した。ここは一つ正攻法で行くしかない。そうだ、変なプライドはかなぐり捨てよう。
「頼みがあるんだが……今から……その……しないか?」
 ユーリはまん丸に目を見開き、それから、意外なことにまなじりを吊り上げた。
「だめよ、カイル!朝はね、まだ身体が完全に目覚めてないから心臓に悪いのっ!」
「じゃあ、昼なら良いのか?」
「馬鹿なこと言ってないで、早く起きてよね!」
 つんと頭をそらして、いつものように足音高く出て行くユーリを見送ると、私はやけになって、布団に再度潜り込んだ。
 こうなったら、ふて寝してやる。



 その後、私は仏頂面のイル・バーニに揺すぶり起こされ、きちんと起きないと一緒には寝ないというユーリからの警告を突きつけられたのだった。あんまりだ……
 

     

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