Same Injury
by Lapisさん
「視察は子が無事に生まれてからにする」
結婚の儀、そして懐妊が発覚し、数ヶ月の月日が流れたある日。
帝国内のある要衝への視察が元老議会で提案された。
皇帝が溺愛する身分のない女神が正妃の地位に就く、前代未聞の出来事への驚きから、ヒッタイトのみならず周辺国家からの反応も大きかった。
かつてない喜びに沸きあがる国民の横で、良からぬことを企む者も辺境では多発していた。
辺境の視察、そして警備兵への鼓舞を目的としての皇帝訪問は大きな意味を持つ。
そのことを考慮して元老議会が提案したのだった。
しかし即座に皇帝の却下の声が響き渡った。
「もう安定期に入ってるし・・・大丈夫だよ!」
寝所に入った途端、ユーリは呆れたように言った。
カイルは憮然とした表情でいる。
ヒッタイトには皇子が少ない。
ハレブを治めるロイス・テリピヌ、カルケミシュを治めるジュダ・ハスパスルピ、そして皇帝であるカイル・ムルシリ。
広大なヒッタイト領を3人の皇族皇子だけで統治することは困難であり、各都市部にはその他の皇族や高官などが配置されていた。
提案された視察都市は首都ハットゥサから近いとは言えない距離にあった。
何かあってもすぐに帰っては来れない場所だ。
あの別れ際の不安が蘇る。
わざと乱暴にマントを剥ぎ、投げつけた。
バサリ、と音がたつ。
二度と離さないと誓い、それでもやむなく手離した。
安全な場所へ・・・
そう望んでやむなく手離したのだった。
ざわめきの収まらない胸。
冷たくなる指先。
ユーリは少し困ったように言う。
「皇帝がそんなわがまま言ったらダメでしょ?」
マントを手に取るとふんわりと畳んだ。
椅子に腰掛け、押し黙るカイルをユーリは見つめる。
沈黙が室内を支配する。
ユーリはマントを胸元に抱き込むと苦しそうに言った。
「カイル、あの時とは違うんだよ」
「!」
カイルがハッと顔を上げた。
目の前には涙を堪えるような表情。
マントを包む指が震えている。
一度、深呼吸--------
「ここは・・・ハットゥサなんだよ? カイルが生まれ育って、あたし達が出逢った・・・
皆、側にいてくれる。もう・・・あんなこと、絶対ないから」
同じ想い。
共に心に抱える辛く哀しい想い。
カイルの頬に手を当て、ユーリは言った。
「知ってるよ。カイルがどれだけ心を痛めてるか。どれだけあたしを愛してくれてるか知ってる分、どれだけカイルが後悔してるか、あたし知ってるんだよ?」
最後はほとんど泣き声だった。
うつむくと涙がこぼれ落ちる。
ユーリが次第に嗚咽を漏らし始めると、カイルは立ち上がり、逞しい腕が包み込むように抱きしめた。
「ユーリ」
その胸にすがりつき、頭を埋める。
マントが床に滑り落ちる。
涙は、止まらなかった。
それでも小さな掌で涙を拭き取ると、ユーリはゆっくりと顔を上げた。
視線を合わせる。
「カイルのせいなんかじゃないんだから」
哀しそうにかすかに微笑む。
「・・・・・」
カイルの手に触れ、膨らんだお腹に自分の手とその手をあてた。
「この子は絶対守ってみせる」
濡れた黒い瞳が厳しさを放つ。
二度と、あんな想いはしたくない。
させたくない。
涙に反した強い瞳。
「あたしは大丈夫だよ」
ね?そう言ってカイルを見上げた。
カイルはそんなユーリを見つめるとふっとため息をついた。
「わかった。視察には行く。ただ、これだけは覚えておいて欲しい」
頬に残る、涙の筋を長い指が辿る。
「お前のせいでも、決してないんだ」
苦しそうな表情。
琥珀の瞳が苦渋の色を滲ませると、もう一対の瞳が大きく見開かれた。
そしてすぐに潤みだす。
カイルは黒髪に顔をうずめた。
「私だって・・・お前がどれだけ悔やんでいるか・・・どれだけ辛いを思いをしたか・・・・・・わかっているつもりだ」
胸に顔をうずめ、ユーリはそれを黙って聞いてきた。
カイルは言葉を詰まらせ、一言、一言注意深く話した。
顔が見えないからこそ伝わってくるものがある。
言葉は黒髪からゆっくりと溶けていった。
暖かく、切ない想いのつまったそれはユーリの体の隅々に染み渡る。
もう一度強く抱きしめると視線を絡ませた。
「お前のせいじゃない。絶対に、だ。」
カイルはキッパリと言い切ると、額に優しくキスをした。
子を失ったことはもちろん、それ以上にユーリの心に一生残るであろう傷をつけてしまったことを後悔している。
自らが招いた事態を何よりもカイル自身が後悔していた。
カイルは床に膝をつく。
ユーリを少し見上げるようにして何度も口付けた。
優しく、かすめるように。
名残惜しそうに唇を離した。
「辛いのなら・・・泣きたいのなら、一人で泣いたりしないで欲しい。
お前が泣くのはいつでも私の腕の中だけだ。それだけは・・・約束して欲しい。」
今なら、抱きしめてやれる。
この腕に抱きしめて慰めてやることが出来る。
そんな想いが伝わったのか、答えるようにほほえんだ目尻から今までとは違う涙が流れた。
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