べりぃさんの奥にて6500番げっとのリクエストは「雨」ネタ。奇しくも、本日は雨が降っております・・。


二人


 ほんのわずか、風の中に水の気配を感じた気がして、ユーリはその瞳を空に投げた。
 磨き抜かれた金属のように光る空には、雲のかけらもない。
 太陽は残酷にその熱を地上に叩きつける。
 すっぽりと被った布を通しても、圧力に近い熱線を感じる。
 汗は肌を潤すこともなく、いたずらに水分を天に差し出すだけだった。
 ひび割れた唇を噛む。
 陽炎に切り取られた大神殿の中庭の中央、しつらえられた祭壇で祈りを捧げているのはこの国の皇帝。
 雨をもたらさぬ最高神テシュプに、赤々と焚かれた炎の前、犠牲の羊をかかげている。
 祈りの言葉が、途切れもなく唱えられる。
 もう、何日が過ぎたのだろう。
秋の訪れを告げる雨は降らない。太陽は真夏日のまま、地上から水分を奪い続けた。
 池が干上がり、河底がひび割れ始める。
 ハットウサの命綱である泉の水位が下がり始めた。
 皇帝はすぐさま遠い山中に水を求める兵を派遣した。素焼きの壺に詰められ、細々と運び込まれる水だけが、この都の人々の命をつなぐ。
 神事を。
 呪詛ともとれる声が街を満たし、人々は大神殿に押し掛けた。
 最高神官である皇帝が、ようやく入場したのが3日前。水の手配と、確保に奔走した結果だった。
「・・・あ・・」
 豪奢な衣装に身を包む皇帝の姿が傾いだ気がして、ユーリは声をあげた。
 ざらついた声が、他者のもののように喉にからみつく。
 カイルは、眠っていない。
 ひっきりなしの陳情と、困窮の声に追われた政務の後の神事だった。
 唇をしめらせる程度の水しか口にしていないのを知っているのは、わずかな側近だけだ。
 だめだ、倒れる。
 常にそばにあるものだけが見て取れる、身の不調を感じ取る。
 神事は、皇帝だけが執り行える事になっている。
 高位の神官も、ただ離れた場所から唱和することだけが許される。
 力無く泣き声を上げる羊が、炎から逃れようと身をよじる。
「・・・!!」
 踏み出したことに、意識はない。ただ、カイルの手元が揺らいだことしか見えない。
 生け贄が、落ちてしまう。
「ユーリさま?」
 低く呼んだのは、ハディか?
 聖別された場所に踏み込んだ皇妃の姿に、はっと息を飲む気配が伝わる。
 まっすぐに、それが当然の事でもあるかのように、皇妃は頭を上げて皇帝に歩み寄る。 皇帝が異変に気づき、詠唱がふと途切れる。
 その後を、皇妃の声が続ける。
 細い声はしなやかで、風のように居並ぶ人々の間をすり抜けて行く。
「・・ユーリ?」
 腕が差し出され、はずみでばさりとかぶりものが落ちた。すんなりのびた二の腕の白さに目をすがめる暇もなく、その腕はもがく羊にそえられる。
「いいの・・」
 手のひらに感じたのは、確かに生き物の鼓動だった。
 それでも、ユーリはカイルを見つめゆっくりとうなずく。
 両の手が、同時に犠牲を投げ上げる。
 生きながら焼かれる無垢な悲鳴が上がる中、カイルの手がユーリの肩を強く抱き寄せる。
 雨を、どうか降らせてください。
 きつく閉じたまぶたには、もがく残像がいつまでも残る。
 この国に、雨を。
 祈りすぎてこめかみが疼き始める。

 カイルのために、雨を。

 炎が、弱まる。胸の悪くなるような悪臭の中、かすかに涼風を感じた気がする。
 さっと感じた翳りに、まぶたを開く。
 仰いだ空に、一片の雲がちぎられるようにして走るのが見えた。
「・・・雲が・・」
 空に目を向けた皇帝夫妻につられるように、人々も顔をあげる。
 驚嘆の声が上がる。
 広がる空を半ば覆うように、暗色の雲が流れている。




 雨は、夕刻に降り始めた。
 生ぬるい大粒の水滴に打たれながら、ユーリはカイルに抱きしめられた。


 椅子に崩れるようにして、カイルは眠っている。
 足音を忍ばせて、そばに立つ。
 窓の外にはひっきりなしの雨音が続いている。
 埃にまみれたままのやつれた顔を愛しげに見守っていたユーリは、やがてその額にそっと湿らせた布をあてがった。
「う・・ん・・」
 かすかなうめき声の後、カイルが目を覚ました。焦点のあわないまま、その瞳はユーリを映し出す。
「・・・ごめん・・起こした?」
 ユーリの声は潜められている。
「でも、冷やさないと」
 額を、頬を拭いながらカイルに言う。
「ずっと太陽の下にいたんだもんね」
 冷たい布の感覚に、カイルは再びまぶたを閉じた。
「・・・ユーリ、昼間は・・済まなかった」
「なに?」
 端正な顔がかすかにゆがめられている。
「・・・羊を・・おまえに手を下させるつもりはなかった・・」
 炎の中に悲鳴を上げながら落下していった羊の姿が、再びよみがえる。
 ユーリはかすかに身震いする。
 手のひらに、もがいた暖かさが残っている。それを振り払うかのように、水盤に布を浸す。
 水音が上がる。
 冷たい布を、ふたたび火照った肌にあてがいながら、言う。
「・・・雨が降ればいいと思ったから・・」
「おまえのお陰だ」
 腰に腕がまわされる。ひきよせられて、そのまま頭を抱きしめる。
「あたしには、なんの力もないよ」
 焼けて荒れた髪の中に顔を埋める。汗の匂いがした。
「そばに、いてくれた」
 耳の奥で悲鳴が尾を引いている。
 熱と、太陽と、目の眩むような光の中で、肩を抱いたカイルの指が白くなっていた事が思い出される。
「・・・ずっと、いるよ」
 罪のない命を、生き延びるために犠牲にしたこと。
 それでも、血を吐くような思いで願ったこと。
「大丈夫、いつだって二人でいるから」
 怖くはないのだと言い聞かせよう。
 
 窓の外では雨足が強くなった


              おわり               

      

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