まつさん奥座敷にて22000番のキリ番げっとのリクエストは「春ネタ」。花粉のない(多分)春が羨ましい。

祝祭(前編)


 頬に日差しを感じて、ゆっくりと目を開ける。
 眠っていたはずなのに、身体のどこかはぼんやりと重い。
 疲れが完全にはとれていないのだと思いながら、ユーリは枕から顔を上げた。
 すぐ隣で、小さな拳が空をかき回している。
「・・・デイル?」
 最近寝返りを打つようになった息子は、唇を尖らせてなにごとかつぶやいた。
 覗きこむユーリに気がつくと、顔がくしゃくしゃとをゆがむ。
 ほどなくして泣き声が上がった。
「・・・まぶしかったんだ・・ね?」
 寝台の上は窓から溢れた光で白く染められていた。
 片手で身体を起こすと、そっと抱き寄せる。
 どうして、こんなに身体いっぱいを使って泣くのだろう、鈍い頭のどこかで考える。
 黒い瞳を囲むまつげに大きな涙の粒がいくつも光った。
 不意に、ユーリは自分もそろって声を張り上げたい衝動に駆られた。
「ユーリさま、お目覚めですか?」
 それを押しとどめたのは、次の間からハディが訊ねた声だ。
「うん、デイルにおっぱいをあげたいの」
 抱き上げたデイルを揺さぶりながら、かろうじて応える。
 すぐに扉が開くと、湯を張った手桶と着替えを持って女官達が姿を見せた。
 泣き声を意に介さないようにテキパキと動く姿は、すこしだけ落ち着きをもたらした。
 差し出された布で胸を包みながら、ユーリは首を傾けた。
「・・・陛下は?」
「大神殿にお出かけです」
 小さな皇太子をうやうやしく抱き上げながら、ハディが言う。
 ハディの腕の中であやされると、デイルはようやく泣くのをやめた。
 きょときょとと周囲に目を巡らせている。
 母親から引き離されたのを感じたのだろうか。
「もう、新年祭は明日からですもの」
 そういえばそうだったと、ユーリは考える。
 思えば、ここのところ息子の世話にかかりきりで、暦のことなど意識の中になかった。
「そうか、そうだよね」
 はだけた胸にデイルを近づけると、小さな頭が顔を背けた。
「・・・お腹空いてないの?」
 いつもの朝と違う反応に、不安になる。
「夜の間に、お乳を飲まれたのでは?」
 ハディの言葉に、ユーリはおぼろげな記憶をたぐった。
「・・・なかなか泣きやまなかったから・・そのせい?」
 いけないことなのかも、と考えながらも泣き叫ぶデイルにしてやれることは他に思いつかなかったのだ。
「お顔の色がすぐれませんわ。殿下はお預かりしますから、もう少し休まれては?」
 ため息をつきながら、ユーリは自分の頬に触れてみた。
 冷たかった。
「顔色、悪い?」
「ええ」
 ハディが心配するのも仕方がなかった。
 ここのところ、デイルの寝付きが悪い。眠ってもすぐに目を覚まし泣き始める。
 お腹が空いたというのでもなく、おむつが濡れているわけでもない。
 ただおろおろと一晩中抱いてあやすことしかできないのだ。
 細切れの睡眠で、疲れは蓄積する。
「ですから陛下も、今朝方は起こさないようにと・・・」
「陛下が来たの!?」
 思わず声をあげる。
 デイルの夜泣きが始まって一月近くなる。
 添い寝をするために寝所を別にすることを申し出たのはユーリの方だったが、新年祭が近づくと忙しいカイルとはすれ違いが続いていた。 
「早くに覗きに来られました」
「起こしてくれれば良かったのに・・・」
「お疲れのようでしたので」
 祭りが始まれば、最高神官である皇帝は大神殿に泊まり込む事になる。
 今朝を逃せば、数日顔を会わせることができなくなるのは分かっていた。
 せめて一言でも言葉を交わしたかった。
「でも、しばらく会えないのに・・・」
 うらみがましくユーリはつぶやく。
 ハディの腕の中で、またデイルが声をあげた。
 顔が赤くなっている。泣き始める兆候だった。
「どうして、泣くの?」
「泣くのは赤ん坊の仕事ですよ」
 シャラが手慣れた仕草で小さな身体を揺さぶった。
「ユーリさまもあまり無理をなさらずに・・・夜は私どもがお預かりいたしますから」
「だって・・・」
 ユーリは知らずに涙ぐんだ。
 本来なら乳母の手に皇帝の子どもは預けられる。
 それを自分の手で育てたいと言ったのはユーリだった。
 自分の生まれ育った世界では当然のことでも、ここではひどく我が儘を通したと思われているかも知れない。
 今さら泣き言は言えなかった。 
 カイルも父親として出来る限りのことはしてくれている。
 皇帝としての激務の間を縫って頻繁に後宮を訪れ、時にはデイルを湯浴みさせることもあった。
 負担をかけている、と思う。
「さあ、気弱になるのはお疲れだからですよ。暖かいものでも召し上がって・・・横になられては?」
 消化の良い食事がすでに用意されていた。
 寝不足のために冷えきった身体が、温かい食事を欲していた。
 うなずくとハディがスープをよそった。
 椀を手のひらに載せると、素焼きの肌越しにじんわりと暖かさが拡がる。
「う・・・ん」
 デイルに乳を与え初めてからすぐにユーリは周囲が驚くほどの食欲を見せた。
 むしゃぶりつくデイルを見下ろしながら、「あたしが食べたモノはデイルが全部持っていっちゃうのね」と笑ったのはほんの一月前だ。
 それが、思うように食事がとれなくなった。
 夜泣きで疲労しているためか、以前のようには乳が出なくなっている。
 デイルは唐突に泣き出す。
 なぜ泣くのか、ユーリにはさっぱり分からなかった。
 一晩中あやしながら部屋の中を歩き回った。
 寝台で並んで眠るカイルを起こさないように、そっ部屋を抜け出して、暗い廊下をなんども行ったり来たりした。
「あまり無理をしなくていい」
 深夜ようやく寝付いたデイルを抱えて戻ると、起きあがっていたカイルが言った。
「乳母に預けることも考えたらどうだ?」
 それが、母親としての資格がないと言われたような気がして。
「やっぱり、あたしには無理なのかな」 
 湯気を立ちのぼらせているスープの表面がゆがんだ。
「なにをおっしゃいます」
 ハディの言葉に、また赤ん坊の甲高い声が重なった。
「まあ、殿下どうされましたの!」
 シャラの声が困惑する。
 また声を張り上げ始めたデイルに、ユーリの瞳から涙があふれた。
「どうして、泣くのよ!」
「ユーリさま?」
「泣いたって、分からないじゃない!」
 ハディが慌ててユーリの肩に手をかけた。
 膝の上にスープがこぼれるのも構わず、ユーリは泣き声を振り払おうとした。
「分かんないよぉ!」
 激しく頭を振り始めたユーリの手から、スープの椀が奪われた。
 すでに半分ほどが、夜着の上にシミを作っている。
「ユーリさま、落ち着きなさいませ」
 ハディの声に両手で耳をふさぐ。
「いやだあ!!」
 ユーリのあげた悲鳴に近い声に、シャラが慌ててデイルを抱えたまま部屋を出て行こうと立ち上がった。
 赤ん坊の声が遠ざかったのにも気づかず、ユーリは頭を振り続ける。
「ユーリさま!」
 不意に頭が抱え込まれる。ハディの胸に顔を押しつけると、ユーリは嗚咽した。
 その背中が、手のひらで軽く叩かれる。
 なんども、ゆっくりと。
「さあ、ユーリさまはお疲れなんですから、お休みになりましょうね」
 優しい声が囁く。
「ぐっすり眠ったら、すっかり良くなりますからね」
「でも・・」
「眠るんですよ」
 デイルが、と考えたかも知れない。
 けれど、抱え込まれた胸の柔らかさや、抱きしめた腕の暖かさに、大きく息を吐いた。
 デイルを、泣きやませないと。
 けれど、身体が睡眠を求めている。
 ストン、と意識が落ちた。

                 つづく

          

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