女神:前編


                                by仁俊さん

     第一章“デイル”

 カデシュの戦いは痛み分けに終わった。
 ヒッタイト帝国を中心とした連合軍はエジプト軍を完全に包囲し窮地に追い込んだはずだったが、ほんのわずかな隙をついて放たれた矢が勝利の瞬間を目撃しようとして自らの戦車を前進させていた皇帝デイル・ムワタリの胸に突き刺さり、連合軍は一瞬にして混乱の極致に陥ってしまったのだった。
 矢を放ったのはエジプトのファラオ、ラムセス2世。
 “オリエント随一の弓の名手”という噂に違わぬ、恐るべき腕前であった。
 チャンスとばかりに猛烈な反撃に出ようとするエジプト軍に対して連合軍は崩壊寸前であったが、ガル・メシェディ兼連合軍総司令官の皇弟シン・ハットゥシリがなんとか軍をまとめ、兄のデイルをカデシュの要塞に引き上げさせることに成功した。

「「陛下、お気を確かに!」」
 キックリとシャラの間に生まれた双子の皇帝側近はデイルの枕元に侍り、みずからの主君に対して必死に呼びかけていた。
 ラムセスの放った矢は肋骨にまで達していたが、距離が遠かったために致命傷には至らなかったようだ。
「騒ぐな、お前達が同時に叫ぶと傷に響く・・・それより戦況は?」
「エジプト勢は軍をまとめて後退しました。今のところ攻め込んでくる様子はございません」
「皇弟殿下のお働きによって、お味方の被害は最小限に食い止められました。戦いの序盤に包囲作戦が功を奏していたこともあって、死者・負傷者ともに敵兵の半数程度でございます」
 下問に対し、今度は言葉を分けて返答する側近2人。
 皇帝は思わず苦笑した。
「そうか・・・シンは、よくやってくれる」
「敗戦の罪を犯した司令官をお褒めになるのですか!?」
 デイルの言葉が勘に障ったのか、側に詰めていた皇太子ウルヒ=テシュプは声を荒げた。
 皇太子時代からの側室、トゥーイが生んだ子だ。

 女神とも称えられた皇后ユーリ・イシュタル亡き後、バビロニアから皇帝カイル・ムルシリの后となるべく王女ダヌヘパが乗り込んできた。
 しかし最愛の妻を失った皇帝の悲しみはあまりにも深く、正式な婚儀も整わぬうちに彼は衰弱死してしまった。
 皇帝、皇妃ともに不在という前代未聞の事態を迎えた帝国第3の決定機関である元老院は皇太子デイルの皇帝即位とともにダヌヘパの皇妃即位を承認せざるをえなかった。
 帝国内の混乱に乗じて隣国アッシリアが不穏な動きを見せたばかりでなく、エジプトのセティ1世が大軍を率いて攻め寄せてくるという情報を得たためである。
 エジプトとの交戦中アッシリアに背後を突かれる不安を払拭するためにはバビロニアとの関係強化が不可欠であり、他に選択の余地は無かった。
 この戦いでセティ1世はカディシュを一時制圧したもののヒッタイトの対応が思ったよりも早く、また母国エジプトから遠く離れての長期対陣は不利と判断したのか即座に撤退を開始したため、デイルの軍と直接刃を交えることはなかった。
 こうしてとりあえずエジプトからの脅威は去ったが、隣国アッシリアをどう扱うかが問題だった。
 結局、皇帝デイルにとって唯一の皇子であるウルヒ=テシュプを皇太子とし、その正室にアッシリアの王女を迎えることによって関係改善を図ることになったのだが、皇帝の寵姫とはいえユーリ・イシュタルという強力な後ろ盾の無くなったトゥーイはただの平民出身の側室に過ぎず、その息子が皇太子になることに関してはかなり異論があったらしい。
 ムワタリ1世(デイル)の正室となったダヌヘパに子が生まれなかったのは皇帝デイルがトゥーイ以外の女性に触れようとしなかったためであるとの説が有力だが、潔癖な彼としては父の后となるはずだった女性を抱くことに対して抵抗があったのかも知れない。
 このように複雑な経緯を経て皇太子になったウルヒ=テシュプとしては、実力でガル・メシェディとなったシンとは次代の皇位継承を巡ってライバル関係にあるだけに、内心は複雑なものがあるようだ。

「言葉を慎め、ウルヒ=テシュプ。我々は敗れてはおらんし、シンが失策を犯したわけでもない」
「しかし、父上・・・」
「お前がシンの立てた作戦を無視してエジプト軍の別働隊を野放しにしなければ、ラムセスが私を射る隙などなかったはずだ。違うか?」
 厳格な父親であるデイルに睨まれたウルヒ=テシュプは言葉に詰まり、うつむいたまま皇帝の居室を退去した。

 このときの傷が原因で数年後、ヒッタイト皇帝デイル・ムワタリは没したことになっている。
 皇帝危篤の知らせを受けた面々は次々に宮殿に駆けつけたのだが、容態急変のため臨終の場面に立ち会ったのは皇太子ただ一人であった。
 都の北方にいるカシュガ族の反乱を鎮定中だった皇弟シン・ハットゥシリは帰還を許されず、その後新たに皇帝の座についたウルヒ=テシュプ(ムルシリ3世)によってガル・メシェディの地位をも追われることとなった。

 ムルシリ3世の治世は約7年と云われているが、その間にアッシリアは強盛となり、ヒッタイトの属国であったミタンニ王国を滅ぼして領土を拡大した。
 皇妃の出身国であるアッシリア以外に後ろ盾のない若き皇帝を責めるのは酷かもしれないが、妻の言いなりになって国を傾けた暗君と言っても、あながち間違いではないかもしれない。
 母トゥーイを迫害し早世させた張本人であるタワナアンナ・ダヌヘパをムルシリ3世は皇帝即位と同時に幽閉したのだが、彼女はその後もしぶとく生き続けた。
 結果的にムルシリ3世の方が先に皇帝の座を追われてしまった為か、彼の妻の名は歴史に残っていない。

 後編へ続く


       
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