ひねもすさん、奥にて4444番げっとのリクエストは「怖い話」・・・。リクエストされたのは去年の夏だったなあ・・・。


呼ぶ声 
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目を、覚まさないで


 重く水気を含んだ風をうなじに感じたとき、アスランが身震いを一つした。
 首筋を軽く叩いてやりながら、ユーリは鈍い色の雲で覆われた空を見上げる。
「どうやら、降るようだな」
 カイルが並んで手綱をひきながら言った。
「あ」
 ぼとりと、生ぬるい雨が、肩の上に落ちる。
「降ってきたみたい」
 言う暇もなく、重い滴があたりを叩き始める。
 馬首を返しながら、来た方角を透かし見た。
「帰った方が・・いい?」
 雷鳴がとどろいた。
「どこかで、やり過ごした方がいいだろう」
 雨音の向こうから、カイルが叫ぶように言った。地面はすでにあふれる水で泥の色をしていた。
 泥水をはね上げながら、馬を並べる。
「どこへ!?」
 声を張り上げないと、届かない。
 カイルが、しぶきに包まれながら、彼方を指す。
「民家が、あるようだ!!」
 稲光が走る。
 黒々と沈む森のそばに澱んだ影が見える。
 稲妻と雷鳴の速さからも、急いだ方が良さそうだった。



 森のそばにうずくまるように、廃屋は雨の中から姿を現す。
 無言で馬を駆り、転がるように飛び降りた。朽ちてぶら下がる木製の扉を、カイルの腕が引きちぎる。
 ばりばりと、さほど遠くない場所で音がする。落ちたらしい。
 アスランが蹄を掻いていなないた。
「よしよし、大丈夫。こっちには落ちないわ」
 宥めるように首筋を叩き、手綱を引く。
 カイルに続いて狭い戸口をくぐらせる。 
 かびた匂いが広がり、ユーリは顔をしかめた。
「あんまり、外とかわらないね」
 闇に紛れるほどに黒く変色した天井からは、大きな滴がひっきりなしに降ってくる。
「どこかにしのげるところはあるだろう」
 カイルが朽ちた長椅子をまたぎ、部屋の向こうの戸口に姿を消す。
 アスランがまたいななく。
 ぐいと首を背け、手綱を握るユーリがよろめく。
「雷が嫌いなの?」
 憤慨するように鼻息をあげるアスランの毛並みを撫でてやる。
「通り雨だよ、きっと」
「ユーリ!」
 カイルの声が呼んだ。
「こっちへおいで、いくらかはマシだ」
 手綱を引こうとして、踏みとどまるアスランにため息をつく。
「じゃあ、ここにいる?あたしは行くからね」
 まとめた手綱を背中に回してやると、長椅子を迂回してカイルの声のする方に向かった。

 ゆがんだ戸口をくぐると、狭い廊下になっている。その右方が、かすかに明るい。
 突き当たりの潜り戸を抜けると、もとは台所だったのか、天井の低い部屋があった。
 煉瓦でしつらえられた炉の中でチラチラと炎が揺れている。
「火があるのね」
 カイルは壊れた椅子の破片を火にくべた。
「おいで、服を乾かそう」
 防火のためなのか、部屋の天井は漆喰で塗り上げられていた。ところどころに走る亀裂からは、水滴がにじみ出していたが緩やかな傾斜にそって壁に流れ落ちる。
 炎が勢いをもちはじめた。
 暖かな光を見て知らずに身震いし、ようやく身体が冷えていることに気づいた。
 照り映えた場所にカイルがマントを広げた。
 その横に身体をすべり込ませると、すぐに貼りついた衣装に指がかけられる。
「風邪をひくぞ」
 笑いを含んだ声に、ユーリは身体をすり寄せる。
「乾くかな?」
 体温で暖められた布が取り去られると、鳥肌が立つのが分かった。
 間髪を置かずに熱い肌が押しあてられる。
 毛羽だった肌が宥められてゆく。
「冷えているな」
「大丈夫・・すぐに暖まるでしょ?」
 期待通り覆いかぶさってくる身体に腕をからめる。
「ああ」
 雷鳴が遠くなる。


 一枚布越しに背中に感じるささくれだった床板が軋んだ。
 汗ばんだカイルの髪に指をからめながら、ユーリは浅い呼吸を繰り返す。
 人気のない廃屋の中、あがる吐息がこだまするように感じる。
 湾曲した壁一杯に、からみあう影が踊っていた。
 熱に潤んだ瞳が、それを不思議な生き物のように捉える。
 入ってきたはずの戸口の向こうは闇に沈んでいる。
 天井裏を伝うのだろう、水音がひっきりなしに続いていた。
 壁の影は、深い水の底で揺れる藻のように思える。
 ゆらゆらと揺れているのはユーリの視界だろうか。
 堪えきれずにくぐもった悲鳴が漏れた。
 歯をたてられた肌が、押さえようのない熱を帯びてうずいている。
 もう一度あげかけた悲鳴を飲み込み、脚を強くからめる。
「どうした?」
 かすれた声で、顔をあげずにカイルが訊ねた。
 肌に突きささる熱さ。
 答えることも出来ず、かぶりを振って続きをうながす。
 腰を引き寄せられ眉を寄せる。
 貫く熱に流される瞬間、汗ばんだ背中にしがみつき、親しんだ匂いに包まれる。
 雨音が床を叩いている。
 不規則に繰り返される音が足音のようだと、唇を噛みしめながら思う。
 甘いしびれが腰を浸しはじめると、ユーリの指は自然にカイルの肩に爪を立てた。
 内側からの熱が堰を切ったように言葉を滴らせ始める。
 小刻みな声が、闇の中に吸い込まれる。
 影と残像が幾重にも重なってユーリの視界を満たした。
 とぎれとぎれの声と息遣いが耳元でこだまする。
「・・あ・・・あっ・・・」
 しがみつく身体で愛しい者の名を口にしようとユーリは唇を震わせた。
 喉に湿った空気が流れ込んだ刹那。
(声をあげてはいけない)   
唐突な考えが頭の中で閃いた。
 意味も分からずに、もう一度唇を噛みしめようとして、 ひときわ激しいカイルの動きに叩きつけられるように意識が途切れた。



 雨音は相変わらず続いていた。
 呼吸を整えながら、身体をすり寄せる。
 カイルの腕がしっかりとユーリの身体を抱き込む。
「どうした?」
 さっきよりはかすれた声。
「・・ううん、なんでもない」
 言いながらも、先ほどの不可解な言葉を思い出してみる。
(どうして)
 噛みしめた唇がひりひりと痛んだ。
 人気のない廃屋で自らを戒めた理由が思い当たらない。
 カイルの指がそっと傷口をたどる。
 困惑するユーリを柔らかな瞳がのぞき込む
「・・・ここでは恥ずかしいのか?」
 答える間もなく、唇が重ねられる。
 それを受け入れながら、半ば開いた瞳が何かを捉えた。

 暗い廊下の空間にほの白く。

(ああ、そうか)
 熱に再び溶け始めた思考の中で納得する。
(目を覚ましてしまったんだ)

(声をあげてしまったから)






「イシュタルさまには、本当にお気の毒でございますな」
 市長が、何度目かの言葉を口にした。
 カイルは苦笑し、カップを傾ける。
 ごくごく私的な旅行とはいえ、地元の高官、貴族達の拝謁の願いをむげに退けるわけにはいかない。
 久しぶりの皇帝夫妻の滞在とあって、離宮にはひっきりなしの訪問者があった。
 到着してすぐに、カイルはユーリを誘って遠乗りに出かけた。
 離宮からというよりは、日常の雑事から逃れたかったのかも知れない。
 今朝方目覚めたときにユーリが熱っぽさを訴えなければ、本日も同じように逃げ出していたはずだろう。
「遠乗りに出られて、雨にあわれたのがお身体に触ったようです」
 したり顔で市長が裕福な商人に説明していた。
 侍従から告げられた理由を、親しいからこそ知ったとばかりに振る舞いたいのだ。
 生ける女神の尊顔を拝そうとしていた商人はあからさまに落胆した。
「お目に掛かれるのを楽しみにしておりましたのに」
「あれも、残念がるだろう」
 今朝見たときには、うつらうつらとまだ夢の中にいるようだったが。
 カイルはふと口をつぐみ、ユーリの顔を思い浮かべる。
 自分がついていながら風邪をひかせてしまったのを苦く思う。
 結局、雨足は弱まることもなく、あのあと二人は一夜を廃屋の中で過ごしたのだった。
 行動力があるとはいえユーリの身体は、カイルと同じ行動をとって耐えられるほどには頑強にはできていなかった。
「陛下?」
 市長が、黙り込んだ皇帝をいぶかしんで声をかけるのに、片手を上げて制する。
 ここでこびへつらいの言葉を聞くよりも、愛しい者のそばにいたい。
「皇帝陛下、退出されます」
 キックリがすばやく呼ばわった。
 平伏する一同が並ぶ広間を見渡すと、カイルは玉座から立ち上がった。
 後宮へ。
 なによりもユーリのそばにいたい。
 はやる気持ちを抑えると、威厳をもって歩をはこぶ。



 頬が上気しているのは微熱があるからだろうか。
 半ば開いた唇を指先でなぞりながら、カイルは知らずに微笑んだ。
 日がな一日眺めていても飽きることのない寝顔のそばで、日が傾くまでの時を過ごしている。
「・・ん・・・」
 ちいさな吐息と共に、ユーリが身じろいだ。
 撫でつけていた黒髪から頬へと手を滑らせて、目蓋が震えるのを見つめる。
「・・・カイル?」
 黒い瞳が、ゆらりとカイルの顔を映しだした。
「・・・どうだ、具合は?」
 手の中の玉を慈しむように、頬を寄せる。
「寝てたの、あたし?」
「よく眠っていた」
 言いながら小卓の上から水差しを取り上げる。
 こぽこぽと水の注がれる音を聞きながら、ユーリは再びまぶたを閉じた。
「水をお飲み。汗をかいているのだから」
 頬にカップをあてると、肩の下に腕を差し込んだ。
 力の抜けた上体を持ち上げると、唇にカップをあてがう。
 ユーリが口を開くより先に、カイルはカップを取り上げ水を含んだ。
 親指で半開きの唇をなぞると、そっと重ね合わせる。
 こくん、とユーリの喉が鳴った。
 ちろりとユーリの舌が揺れる。
 カイルの手のひらが汗ばんだ胸元にすべり込む。
 いつもより少し温度の高いふくらみをやんわりと包み込む。
「・・・つっ!」
 苦痛ではないなにかがユーリの眉を寄せた。
 朱の掃かれた顔を見下ろすと、カイルは露わにした肌に唇を這わせる。
 舌先で柔らかな肌を掠めるたびに、ユーリの身体は跳ね上がった。
 敷布をきつく握りしめる指を横目に、華奢な身体をなぞってゆく。
 頭上で何度も息を飲むのが分かる。
 戯れの探索から顔を上げると、前髪を掻き上げながらカイルは囁いた。
「どうした?」
 噛みしめられた口元を指でなぞる。
「どうして声を出さない?」
 いつもなら身体を開くと同時に濡れた声が名を呼ぶはずだった。
「・・・だって」
 走り始めた体をもてあましながらユーリが身をよじった。
「あの子が・・・」
「あの子?」
 唐突にユーリはまぶたを開いた。
 不思議そうに頭を振った。
「ううん、違うの」
「何が違うのだ?」
「なんでそう思ったんだろう?」
 言葉の断片はとりとめが無さすぎる。
 カイルはため息をつくと、ユーリの横に身体を並べた。
 前髪を掻き上げながらもう一度囁く。
「分からないよ、ユーリ。ちゃんと説明してごらん」
 思考が奪われるほどの高熱ではなかったはずだ。
 黒い瞳は潤んだまま、天蓋を見上げている。
「起こしちゃいけないから・・・って思ったの」
 続きをうながすように、カイルはうなずく。
「でも、誰をだろう・・・」
 ユーリの声は沈んで行こうとするかのように低くなった。
 天蓋に映るなにかを追うかのように視線が揺れる。
「ユーリ?」
 不安になって覆いかぶさりユーリの視線を遮った。
「いったいどうした?」
 黒い瞳に、脅えが走った。
 両の手で口をふさいだユーリは、震える声で言った。
「どうしよう・・目を覚ましてしまった・・・」
        

                    

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