イシュタルの休日 前編
細い葉っぱの間でくすんだ色の大きな実が揺れている。
あたしはさわさわと木々の揺れる丘を見渡した。
果樹園だろうか?
低い木が連なっている。
海が近いとハットウサとは植生も違う。
「ユーリ!」
カイルの呼んでいる声がする。
あたしはアスランを駆ると果樹園が広がる丘から離れてカイルが仏頂面で立っている戦車の横に並んだ。
「なあに、カイル?」
大体予想はつくけど、しらじらしく笑って見せたりして。
「いつまでも走り回ってるんじゃない」
カイルは腕を伸ばしてひょいとあたしを抱き上げた。
しまったリーチが届くところだった。
でもカイル、そんなに戦車から身を乗り出させたら危ないって。
「もうすぐラタキアだ」
「うん?」
あたしはさりげなくカイルにしがみつく。
一種の予防策のつもり。でも、カイルは顔をしかめてあたしの肩を掴んだ。
「輿に乗るんだ」
「ええっ」
すでに打ち合わせが済んでいたのか、戦車が減速すると、そこには派手に飾り立てられた『皇妃専用輿』が待ちかまえていた。
「やだよぉ」
「ユーリ」
カイルは大まじめにあたしの顔をのぞき込んだ。
「どこの世界に馬を乗り回して入城する皇妃がいる?」
「・・・ここ」
カイルはますます険しい顔になった。
眉間に皺を寄せたまま、あたしを抱き上げて輿の中に押し込んだ。
「他人に見られたらどうするんだ?」
「そんなぁ、減るもんじゃなし・・・」
いや、本当に減ると思いこんでいるのかもしれない。
そうでなきゃ、眉間の皺の説明がつかない。
そりゃあさ、皇妃なんてのは滅多に人前に姿を現さないものかもしれないけど。
カイルはばっさり垂れ幕を下ろすと、ハディに何ごとか言いつけている。
見張っておけとかなんとか言ってるんだろうなあ。
なんて我が儘なんだろう?
あたしは積み上げられたクッションにしがみついてむくれる。
輿に乗っていたら本当にあたしが来たのかどうかもラタキア市民には分からないじゃない。
・・・って、ことは?
あたしはにやりとほくそ笑んだ。
顔を見られないってことはつまり、面が割れないってこと?
「おとなしくしているんだぞ、ユーリ」
カイルの声。
「はぁい!」
あたしは力一杯素直に返事した。
で、ここはどこだろう?
あたしは薄暗い部屋の中の固い寝台の上に座り直した。
部屋の中はがらんとしていて普段使われていないようで、それでも掃除はされている。
大きな屋敷の中・・・かな?
とりあえず、頭が痛い。
後頭部をさわると大きなこぶが出来ていた。
どっかにぶつけた?
こぶの痛みに顔をしかめているうちに少しずつ思い出してくる。
とりあえず、カイルの命令どおりに大人しく飾り立てられた輿に乗って入城を果たした。
迎えに出た知事に挨拶をするとあたしは離宮に連れて行かれた。
あたしを後宮の最奥の、寝室の寝台の上におろすと、カイルはこの地方の有力者の謁見があるとかで庁舎に行ってしまった。
歓迎の宴が始まる夕方まで、フリーになる。
ハディ達は宴会の準備だとかで大騒ぎしている。
もちろん、あたしはこっそり抜け出した。
なにしろ面が割れていないんだもん、すれ違う下働きもみんな気がつかない。
城門も楽々クリアー!夕方までには物売りに紛れて戻ってくればいいんだし。
なんて爽快なんだろう!
そう思って、賑やかな一角に向かおうとした。
海辺の街は毎日のように市が立つんだと聞いたことがある。
珍しいものもあるだろうし・・と見まわしていたら突然、荷車が転がってきたのだった。
とっさによけた・・・はずなんだけど。
「あ、気がついた?」
部屋の中に明かりが差し込んで、戸口に誰か立っている。
見れば若い男性で、あたしよりちょっと年上みたい。
「あたま、まだ痛む?」
言われて気がつく。ベッドの上にはあたしの頭に押し当てられていたらしい濡らした布。
「えっと、助けてくれた?」
「道ばたに寝かしておくわけにはいかないでしょ」
彼はそう言うと口をにぱっと開けて笑った。人がよさそうで、なんだか陽気なキックリみたいな感じ。
悪い人ではないようだ。
「俺、トラビス」
立てた親指で自分の胸を叩くと、あたしを見た。
「・・・あ、あたしユーリ。どうもありがとう」
とりあえず、この部屋には窓がないので外の様子が気にかかる。
時刻はどれくらいだろう?
「もう少しゆっくりしていったら?もう遅いし」
トラビスの言葉に凍り付く。
「遅いですって!?」
冗談、今夜は歓迎の宴があるのよっ!
ええっと、知事とか長官とかその他もろもろが来るはずのっ!
それよりもなによりも、離宮の門は日没とともに閉まってしまう!
「ああ、女の子が一人で歩くには・・・おい、ユーリ!」
ベッドから飛び降りたあたしがよろめくと、慌てて受け止めてくれる。
頭が痛んだ。
「頭打ってるんだから、しばらく寝ていなくちゃ」
あたしはたんこぶのせいだけじゃない眩暈を感じながらベッドに腰掛けた。
「・・・頭打ったって・・・はねられたの、あたし?」
今ごろ離宮はどんな騒ぎになっているだろう。
なにしろ、皇妃失踪よ?
「いや、荷車はうまいことよけたんだけど、飛びのいた先が階段で踏み外したんだな」
トラビスはうんうん頷きながら喋っている。
そうか、よけるところまでは上手くいったのね。
「だいたい坂道に荷車を止めるのは危ないから禁止にしないと・・・ってそれはそうとしてユーリの家族は?」
「え?」
トラビスは椅子を引き寄せるとあたしの前に腰を下ろした。
明るい茶色の瞳が心配と興味とがないまぜになった光をたたえてあたしをのぞき込む。
「家族、心配してるでしょ?」
「そりゃ多分・・・」
カイルなんて蒼白になっているんじゃないだろうか。ハディ達はきっと平謝りよね。
トラビスはじいっとあたしの顔を見つめた。
うす茶色の瞳にどきまぎする。
なんていうのか・・・そんな素朴な目で見られたら。
「珍しい肌の色だよね・・・」
「そ、そう?」
なんか、やばいかな。いくら面は割れていないとはいえ・・・。
あたしの髪や瞳や肌の色なんてのは世の中に知られている訳で。
「あんたさ、もしかしてイシュタル・・・」
「ええええっ!?」
あたしが叫んだので、目をぱちくりさせる。
「・・・を見に来たのかなって」
あ?イシュタルを見に来た?
「ほら、離宮に皇帝陛下が行幸されてるから。多いんだよ、最近あちこちの村から」
「そ、そう、そうよっ!あた・・イシュタルさまを見ようかなぁ、なんて!」
やばいやばい。そうか、近隣の村からも人が来てるのね。
トラビスはちょっとだけ叱りつける口調になった。
「で、家族に内緒で抜け出してきたんだね?だめだよ、心配かけちゃ」
そう、内緒なんだよね。でももしかして家出少女と間違われているんじゃないかな?
あたしは立派な大人なんだけど。
「ううん、置き手紙はしてきたから・・・」
ハディにあてて。ちょっとだけ出てきます、すぐ帰りますって。
問題は門限破りしちゃったことなんだけど。
トラビスは大きなため息をついた。
「仕方がないなあ。まあ、気持ちも分かるけど。
町に溢れている連中にだって仕事を放りだして来てるヤツもいるだろうし」
「・・・そんなに多いの?イシュタル見学」
「すごいよ、いつもの3倍は人が来てるね」
そうか、そんなに・・・。
じゃあ、カイルがあたしを輿に無理矢理乗せたのはパニックを避けるためだったのかな。
あたしは少しだけ反省した。
そんなあたしに気がつかないでトラビスはまた口をぱっかり開けると笑った。
この大口を開けて笑うのは彼の癖のようだ。
「まあ、一般の参賀は明後日だから、それまで待つんだね」
・・・待つも何も・・・あたしがイシュタルだからねえ。
とりあえず、それまでには帰らなきゃ。いや、できることなら今夜中にも。
「なあユーリ。ラタキアは初めて?俺、案内してやってもいいけど」
のんびり観光している訳には・・・カイルだって心配するだろうし。
あたしはむむむと考え込んだ。
でも夜中の城門は閉鎖される。忍び込む隙なんてないはずだ。
勝手知ったる王宮とは違ってここの離宮の抜け道なんて知らない。
門番に知り合いもいないし。
城壁を乗り越えるわけにもいかないし。
「とりあえず、今夜はお休みよ」
トラビスの言葉にうなずく。宴会サボりついでに外泊だわ。
あたしは腹をくくった。
英気を養ってカイルの落とす雷に対抗せねば。どうせ宴会は終わってる。
「ごめんね、トラビス」
「いいって」
トラビスはまた大口を開けて笑った。
起きてみて驚いたのは気さくな青年トラビスは、実は大金持ちの坊ちゃんだったってこと。
そこは港を見下ろす坂の上に立つ大きな店で、ひっきりなしに荷車が出入りして、大きな声で会話が交わされている。
あたしがあてがわれていたのは倉庫の上にある臨時の客室だったってわけだ。
普段家族が使っている食堂に連れて行かれる途中、あたしは物珍しい商家の賑やかな入り口を眺めていた。
「どうやら、イシュタル様はお加減が悪いらしいぞ」
でっぷり太った人の良さそうな店の主人が言った。
用意された朝食を口に運びながら、あたしはあやうくむせそうになった。
「お加減が悪いって、どういう風に?」
トラビスがのんびりとパンをかじる。
「夜の宴を欠席されたそうだ。旅でお疲れなのかも知れない」
トラビスの祖父だという主人は、山盛りのザクロをあたしの方に押しやった。
子どもの頭ほどもあるザクロだ。
「どうしたね、ユーリ、もっと遠慮せずに食べなさい」
「ありがとうございます」
言いながらも、続きが知りたい。
そんなあたしの気持ちを知ってか知らずか、トラビスが言う。
「ここの店は、知事閣下御用達なんだよ。もちろん、離宮にも出入りしている」
「離宮に?」
・・・それって、もしかして、上手く入り込むチャンスでは?
そうよ、商品と一緒に潜り込めば・・・
「普段は離宮は無人だけどね、いまは皇帝陛下が御滞在だ。おまけにイシュタル様も。そこで、だ」
トラビスはにっぱり笑いながら指を立てた。
「なんとか上手く渡りをつけてイシュタル様にお会いする」
なんか変な感じよね。当のイシュタルはここにいるんだけど。
あたしはザクロを手に取った。ルビーみたいな大粒の実が光っている。
「旨い、ユーリ?」
トラビスがのぞき込む。
「あ、うん」
美味しかった。
「それはウチの農園で出来たんだ」
「東方から苗を仕入れてね、ようやく今年出荷できるようになったんだよ」
トラビスのお祖父ちゃんが突き出たお腹を撫でながらうなずく。
「そこまで大きいのはウチの農園でしか採れないからなあ」
「これをイシュタル様に献上しようかと思うんだよね」
トラビスもザクロを持ち上げてにこにこする。
「イシュタル様にも御贔屓にして頂くと、商売繁盛まちがいなし」
「・・・どういうこと?」
知事殿下御用達ならこれ以上の箔付けはいらない気がするんだけど。
「イシュタルグッズって知ってる?」
トラビスの真面目な顔にあたしは頭を振った。
「それを身につけると病気にならない、羊が子を産む、農作物が豊作、商売が繁盛というありがたいお守りだ」
「はぁ?」
なにそれ?あたしの知らない間に、なにが世間で出回ってるの?
「まあ、特定のどんなもの、とは決まってないんだけど」
トラビスは人の良さそうな、その実は商人らしいのかも知れない他人を安心させる笑顔のままで何度も頷いた。
「要は、イシュタル様に関係しそうなものだとどんなものでも飛ぶように売れるってわけ。
例えばイシュタル様の瞳の色と同じ黒曜石で作った首飾りとか、イシュタル様が愛用しているらしい香油とか」
「しかし、ウチの店はそんな不確かな商売はしないからね」
トラビスのお祖父ちゃんは、孫譲りというよりは孫に譲ったのだろう、やっぱり人の良さそうな顔でザクロを取り上げた。
「このザクロをイシュタル様に気に入っていただく。そうしてイシュタル様お気に入りの品として大々的に売り出す」
「もちろん、栄養価もたっぷりで買ってソンなしだ!味だってお墨付きだよ!」
微妙に線対称にポーズをとった二人を見ながら、秘かにため息を漏らす。
・・・あのね、こんなところで売り出しを始められても。
もっともあたしはイシュタルだからあながち無駄な売り込みだとも言えないのだけど。
「で、これを離宮に献上するのね?」
「そう!」
二人はうなずくと同時に朝食のパンを掴んだ。似たもの親子・・・じゃなくてジジ孫だ。
「イシュタル様はお加減がよろしくないようだし、お見舞いだと申し上げればよいかと思ってね」
「うん、それは良い考えだね、お祖父ちゃん。具合の悪い時には新鮮な果物が一番だよ」
お祖父ちゃんはパンをほおばりながらあたしの方にまたしても別の皿を押しやった。
あたしが酷くお腹を空かしているのだと思っているのだろうか?
そういえば、初めてあった時に細っこいとか言ってたなぁ。
「さあ、ユーリ。どんどん食べなさい」
「ありがとうございます・・・それで離宮にはいつ?」
なんとか一緒にくっついて入り込まなくては。
いつまでもぐずぐずしていると今度はカイルが離宮を飛び出すことになる。
「そうだねえ、午前中は布の仕入れのことで打ち合わせがあるから・・・午後からかな?」
「午後ですか?」
「なにしろイシュタル様に特別に献上するんだからね、主人である私が行かないと」
お祖父ちゃんはまたしても頷くと、今度はスープの皿を差し出した。
あたしはそれを受け取りながら、上目遣いにそっと訊ねる。
「あたしも一緒に行ってもいいですか?」
「ユーリが?」
「ユーリはイシュタル様に会うためにこの街に来たんだよ」
トラビスが助け船を出してくれる。
彼は家出少女をさっさと満足させて一刻も早く家に帰そうとしているのだ。
「俺も一緒に行くし、ユーリも連れて行っていいだろう?」
「行ったところで、イシュタル様に一介の商人が会えるとは思えないがね」
それもそうね。カイルは極力あたしを人に会わせないようにするし。
だいたい、今、離宮にはあたしがいない。
「イシュタル様は気さくな方だとお聞きするけど。とりあえず、行ってみたいな」
「ユーリはともかく、トラビスは私と一緒には行かない方がいいだろうね」
お祖父ちゃんは頭を振った。
売り込みにかけては絶妙のコンビだと思うのに、別行動なの?
「じゃあ、ユーリだけ?」
トラビスは心底、残念そうな声を出した。
「そうそう、お前は知事閣下のところへ行きなさい。なにごとも勉強だよ」
それからお祖父ちゃんはいいことを思いついたというように指をぱちんと鳴らした。
「ユーリはラタキアはよく知らないのだろう?私のいない午前中はトラビスに街を案内して貰うといい」
その言葉に、一刻も早く離宮に戻らねばというあたしの気持ちはふっとんでしまった。
だって、いまさら午前が午後になったとしてもそんなに違いはないし、案内付きで街を歩けるなんて、ねえ?
ほんのちょっとだけ、ぶっ倒れそうなカイルの蒼白の顔が頭の隅を掠めたけど、カイルだって政務やなんかがあるのだ。
そうそうあたしのことだけにかかわずらってもいられないだろう。
うん、そうだよね。午後に離宮に戻るっていうのでいいんじゃないかな?
「ユーリはそれでいい?」
「もちろん!」
あたしは勢いよく頷くと、スープを口に含んだ。
「おいし〜いっ!」
「そうだろう、ウチで扱ってる牛乳もバターも質がいいからねえ!」
お祖父ちゃんはますます得意げにお腹を突きだすのだった。
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