永遠が見える


「なんだか緊張する」
 今日聞くのは何度目かの言葉に、カイルはふっと表情をゆるめた。
「緊張するのはこっちだろう?」
「そうだけど、でも・・・」
 いつの間にか指定席になってしまった助手席のシートで、ユーリはうつむいて膝のあたりにあるスカートの裾を引っぱった。
「パパたちにどういう顔して会えばいいのかな、とか」
「それもこっちの台詞だな」
 カイルは柔らかく微笑むと視線をフロントグラスに向ける。
 空は青く晴れ渡り、まっすぐに延びたフリーウェイの両脇を緑の帯がなめらかに流れて行く。
 ハンドルに軽く置かれたままの手が、そうとは分からないほど汗ばんでもいる。
「恋人の両親に『お嬢さんをください』と申し込みに行く男よりも緊張する人間がいたら教えて欲しいね」
「『お嬢さんをください』って言われる方も緊張するのよ?」
 ユーリは若草色のスーツをもう一度引っぱった。カイルの見立てた服を着るようになってから、ときどき自分では選びそうにないものが似合うことを発見する。
 どうして彼はこんなに自分でも知らないことを知っているのだろう。
 出会った時から、不思議に思うことがいっぱいある。
「パパたち、昨日から大騒ぎで・・・ううん、カイルが来るって言った時から」
「まさか追い返そうって息巻いているなんてことはないだろうな?」
「ないよ!」
 ユーリは身を乗り出すと手のひらを重ねた。
「パパは反対なんてしないし、あたしはカイルについていくって決めてるから」
「困ったな」
 カイルはユーリの手を握りかえして眉を寄せる。
「今すぐにでも抱きしめてキスしたいのに、運転中じゃそれもままならない」
「どこかで停める?」
 手の甲に口づけられてユーリは、顔を赤らめた。こんな風にストレートに言葉をくれるのもいつものことだ。
 軽く横にGがかかり、車は側道にすべり込む。歩道脇に静かに車を横づけすると、カイルは腕を伸ばした。
 シートに押しつけられるようにして、ユーリはその身体を受け止めた。
 唇が何度も重なり、鼻腔を彼の香りが満たす。
 カイルのキスは唇だけにとどまらず、頬や耳元、首筋へと降り続ける。
 ブラウスのボタンに長い指がかかり、開かれた場所に口づけられると、ユーリは小さく声をあげた。身じろぎはかかったままのシートベルトに封じられた。
「カイルっ・・・」
 唐突に顔をあげると、カイルはユーリの額に口づけた。
「これ以上はやめておこう。遅刻してご両親の心証を悪くしたくないから」
 速い呼吸を抑えながら胸元をかき寄せたユーリの髪の乱れを直しながら、カイルは囁いた。
「ここで焦らなくても、このさきおまえはわたしのものだ」
 もう一度、手の甲に口づけると真剣な顔で言う。
「一生はなす気なんてないから、覚悟しておけ」
 うっとりとその流れるような優雅な仕草を見ていたユーリはふといつもとは違うことに思いあたる。
「おかしいよ」
 ぽつんともれたユーリの言葉は聞きとがめられる。
「なにが、おかしい?」
 せっかくの口説き文句にそう返されて憮然とした表情だ。
「あ、おかしいのは、カイルの言葉じゃなくって」
 慌てて首を振る。
 どう説明していいのか分からない違和感だ。
「・・・あのね、カイルにあった時、初めてって気がしなかったの」
 そのことについてはふたりの間でなんどか話題に上ったことがあった。
 小さな時間を重ねて行くたびに積もってゆく驚き。
 カイルは静かに琥珀の瞳でユーリを見つめて続きを促した。
「それから、初めて抱きしめられた時も・・・キスした時も・・・あの時も・・・」
「初めて、だったけどな」
「もう!」
 カイルの言葉に頬を染めると、ユーリは軽く拳を握って振ってみせた。
「茶化さないで! あたしはね、カイルとはなにをしても初めてって気がしないの。プロポーズだって・・・ずっと前にこれと同じ事があったような気がするって・・・」
「それを運命と呼ぶんじゃないのか?」
 ゆったりとシートに身体を預けると、カイルはまぶたを閉じた。
「わたしも、おまえとは初めてな気がしない。それどころか、むしろ懐かしい」
「そうなの、懐かしいの」
 ユーリはフロントグラスの上に広がる空に目を向けた。
「だからね、カイルといてもなんの不安も感じたことがなかったの。
 でもね、今日は違う。カイルがパパたちと会うってだけで、不安でたまらなくなる。こんなこと、一度もなかったのに」
 一群れの雲が空の上をすべっていく。
「おかしいよね?」
 膝の上で握りしめた手が、カイルの手で包まれた。いつもよりほんの少し冷たい手のひらだった。
 彼も緊張しているのだと、ユーリは思う。緊張した時、指先が冷たくなるのがカイルのくせ。でも、いつそのことを知ったのだろう。
「じつをいうと、わたしの不安の原因もそれかもしれない」
「不安なの?」
 思わず振り返ったユーリに、カイルが穏やかに微笑んだ。
「ああ、不安だ。 父上から拒絶されたらどうしようとか」
「断るなんて、ないよ・・・」
 カイルはいつだって自信たっぷりだったはずだ。自信たっぷりの余裕と包容力で、ユーリを力強くリードしてくれた。心が揺れるのは彼が惑っているせいなのか。
「ユーリ、わたしたちの運命について考えてみたことはないか?」
 そっとふたりの指と指をからめながら、ささやく。
「わたしたちは、以前にもこうして結ばれた」
 すんなりと言葉が入ってきて、ユーリは頷いた。それは今までにも何度も感じたことだった。
 それはふとした仕草を目にして胸を突かれる瞬間であったり、抱きしめられた時に包まれる彼の香りであったりした。
「今と同じように出会い、恋に落ち、抱き合い愛を交わした・・・結婚の申し込みをしたかもしれない」
「そうね」
 カイルがゆっくりと膝をついてユーリの手を取った瞬間を思い出す。
『わたしの妻になってほしい』
 そう言った彼に、ユーリは抱きついた。こうなるとは思っていた。出会った瞬間から、離れられなくなると分かっていた。
 なにもかもが出会う前から予定されていたのだ。これを運命と呼ぶのだとしたら、これほど幸せなこともないだろう。運命が二人を巡り合わせてくれた。
「けれど、まだやり残していたことがあるのかもしれない、たとえば」
 カイルは一つ息を吐くと、厳粛な声で続けた。
「『お嬢さんをわたしにください。一生、大切にします。必ず幸せにしてみせます』
・・・こう、おまえの両親に誓いたかったのかもしれない。
こんなにも不安になるのは、私がこの言葉を言った『過去』がないからだと思わないか?
だとしたら、私はこの言葉を言うために今生に生まれたのかも知れない。
ユーリ、私はどうしても誓いたいんだ」
「本当に?」
 ユーリの瞳から涙があふれ出す。
 不安はまだ胸の中にあった。けれど、やがては溶けて流れ去るだろう。
 そう遠くない未来に。
 カイルの指がユーリの前髪を梳き上げた。
「行こうか」
 言うとカイルがクラッチを入れる。車が静かに動き始める。
「ねえ、カイル」
 ユーリは涙で曇る視線をまっすぐに空の青に向けながら言葉を口にする。
「あたしもね、誓うよ。カイルのそばにいて、一生あなたを幸せにするって」
 車はほんの少しスピードを上げたようだった。
 答えを待たないまま、ユーリは空を見上げ続けた。

                        おわり

     

(the last time めぐり逢えたら 第六話

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