当世侍従気質   お題:レトロ



「なんと・・・おっしゃいましたかな?」
 珍しくも、彼は聞き返してしまった。本来なら秩序を重んじる彼のこと、目上の、しかもこの国の最高権力者である皇帝に対して、言葉を返すことなど絶対にありえないはずだった。
 だが、今しがた彼の耳に流れ込んできた言葉の意味がどうにも理解できなかったのだ。
「ユーリ・イシュタルは私の部屋で休むと言ったのだが」
 昨日結婚式を挙げたばかりの新婚ほやほやの皇帝は、彼のそんな態度を不敬だとは取らなかったようだ。むしろ上機嫌でかたわらの新妻を抱き寄せた。
「……つまり、今夜は皇后陛下をお召しになるということですか?」
 そういうことなら理解できる。今のところ、後宮にはなぜか后は正妃である皇后ただひとりだが、今宵そばにだれを侍らせるか皇帝の意向を伝えるのも侍従の重要な仕事であったから。
 しかし、皇帝はあいかわらずにこやかなまま、首を振った。
「召すのではない。ユーリは私の部屋に来るのだ」
 彼は首をかしげた。
 皇后を皇帝の寝所で休ませると仰せだ。しかし、それはお召しとは違う。
 お召しと違うのに、皇后は皇帝の部屋に行く。
 彼はうなった。
「では、かわりに陛下が皇后陛下のお部屋で休まれる……」
 そんなハズはない。だいたい、なんのためにそんな面倒なことをするのだ。
 彼はもう一度、最初に皇帝から言われた言葉を反芻してみた。
『ユーリ・イシュタルの寝所を私のもとに移す』
 私のもと、と言うのは、つまり王宮の皇帝寝所だ。皇帝の寝所に、皇后の寝所を移す?
 では、皇帝の寝所はどこへ移る?
 彼の頭の中にある正しく後宮を機能させるためのマニュアルには、そのような事例は書かれていない。
「ユーリの身の回りのものをまとめてくれ」
 悩んでいる彼を放置したまま、皇帝は女官長に命じている。
「身の回りというと、衣装部屋のものもすべてですか?」
「いや、それは全部でなくていい」
 彼が思考停止しそうなほど考えているのに、女官長はさっさと周囲の者に命じて荷物をまとめはじめている。
 なぜこんなに平然と振る舞えるのだろう。いや、平然と言うよりはむしろ楽しげだ。そういえば、女官長は陛下の皇太子時代以前から仕えているのだった。このような思いつきに慣れているのだろうか。
 そこまで考えて、彼の頭の中に以前の場面がフラッシュバックした。
『侍従長さま、ユーリさまはずっと陛下と同じお部屋をお使いだったのです。今後もそれでいいではありませんか』
 あれは、まだ側室だった皇后陛下が宮から後宮に入られた時だ。
 お部屋をどこにしようかとお訊ねした時に、この女官長が言ったのだ。
 とんでもない!
 皇帝が部屋を誰かと共有されるなど、前例がない!
 なのに、この女官長は女官の分際でそのような突拍子のないことを主張したのだ。
 陛下が突然こんなことを言い出されたのも、この女官長の入知恵かもしれない。
 彼は自分の立場と取るべき態度を思い出した。先々帝の御代より、後宮を管理してきたのは彼だった。彼の座右の銘は『伝統と秩序』である。
「おそれながら、陛下は皇后陛下とお部屋を同じにされる、と?」
「そうだ」
 あっさりと皇帝はうなずいた。
「我が皇妃は懐妊中だから、気をつけるにこしたことはない」
「そのような先例はございません!」
 なぜ気をつけることが部屋を一緒にすることなのか分からないが、表情を硬くして彼は言った。王宮が帝国の中心なら、後宮はさらに王宮の心臓部にあたる。その心臓部が秩序を保てないなど、帝国の乱れにつながるのではないか。
 皇帝は皇帝の寝室に、皇后は皇后の寝室に。これこそが秩序である。
「では、これが先例になる」
 しかし、皇帝も頑なだった。両腕の中にすっぽりと皇后の細い身体を収めたまま、頑是ない子どものように言い張った。
「しかし、陛下!」
 たしか、以前は女官長と言い争いになりかけたところを皇后陛下が取りなして下さったのだった。さすが、女神とも称される方だ。後宮のあるべき姿を心得ておられる。
 ものの道理をわきまえた方だからこそ、皇帝はこの方を正妃に望まれたのだろう。
 幸い皇帝に意見できる者は皇后一人。彼は助けを求めて、皇帝の腕の中のうら若い女性に目をやった。
 しかし、皇后は目一杯身体を乗り出して、荷造りをはじめた女官に指示を出すのに忙しかった。
 あまつさえ、皇帝の腕にもたれて甘ったるい声で訊ねた。
「ねえ、机は持っていかないよ。場所を取るし。陛下のを使っていいでしょう?」
 引っ越す気、まんまんだった。侍従長は唇を噛んだ。
 こんなことでいいのか?こんな無法を見過ごすのか?
「陛下、しかしこの先ご側室をお迎えになることを考えましても」
「それはない」
 またしても皇帝はあっさりと言った。
「私の妃はユーリひとりだ」
 そして、青ざめた彼を無視して、腕の中の愛妃の頬に口づけた。
「分かっているだろう?」
「分かってるよ。あたしも、カイルひとりだから」
 とろけそうな声で皇后が答える。
 あたりまえです!皇帝の后が皇帝以外を相手にするなどと!
 しかし、彼はかろうじて踏みとどまった。なぜなら、彼は厳格な秩序を重んじていたから。皇帝および皇妃は至高の方々なのだ。
「しかし、先例が……」
 彼にできたのは、同じ言葉を繰り返すことだけだった。
 ほとんど侮蔑の視線を投げながら、女官長がつぶやく。
「先例ばかりにこだわるなんて……頭が古いわ」
 小さな声だが、しっかり聞こえた。年は取ったが耳はまだ遠くなってはいない。
「古い、ですと?」
 彼はむっとした。そんな彼に皇帝が視線を投げかけると、ちらりと笑った。
「そうだ、なにしろ父上の時代から仕えてくれているからな」
 彼を震えが襲った。
 先々帝の時代から仕えていること。つまり、それは彼がもう古い時代の人間になったと言っているのだろうか?新しい時代が始まった今、古い人間は用なしだと。
 頭の固い老人にはもう居て欲しくないと。
 そう考えると脱力感が押し寄せてくる。
 今日の日まで身を粉にしてお仕えしてきたのはなんのためだったのか。
 思えば、陛下の母君がお輿入れになったときも、皇太后さまが後宮に入られた時も、先々帝が崩御された時も、先帝が即位された時も、つねに彼は後宮にあった。政治の表舞台に立つことはなく、ただひたすらに、後宮に暮らす方々が過ごしやすいようにと心を砕き、敷地内の清浄を保ち、女官達を監督し、朝から晩まで過ごしてきたのだ。
 おじいちゃんももう年なんだし、そろそろ楽になったら?
 先日会った娘の言葉を思い出す。
 みんなが私を年寄り扱いする……。
 彼ががっくりと肩を落とした時。邪気のない明るい声が言った。
「わあ、じゃあカイルのお母さんのこととか聞かせてもらえるね!あ、もしかしたら、カイルの小さい時のことも?」
 ぱちんと手を合わせて、皇后が顔を輝かせていた。
「侍従長、いろいろ教えてね?あたし、なんにも知らないから」
 不覚にも、目頭が熱くなった。こんなにも素直に話しかけられては。
「わたくしでよろしければ……」
 ふと思い出した。現皇帝の母君が二番目の正妃として後宮に参られた時、彼を呼んでこう言われたのだ。
『陛下のお話を聞かせて下さいね。わたくしはなにも存知あげていないから』
 ヒンティさまは立派な方だった。伝統を大切にして、典礼をおろそかにしなかった。
 そして、この新しい皇后陛下も同じようなことを仰る。
 彼の胸に決意の炎が燃え上がった。
 まだまだ、引退するわけにはいかない。
 そう、彼には仕事が残されている。
 この年若い皇后に、伝統と秩序のなんたるかを教え込むまでは!
 彼は新たな使命に燃えながら、目の前でいちゃついている皇帝夫妻を眺めるのだった。



                                                             苦しいクリア

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