天気晴朗なれど
  お題:シンドローム



「イシュタルさまっ!どうぞわたくしの背をお使い下さいっ!!」
 いきなり身を投げだして肘と膝をついた小隊長の姿に、ユーリはアスランの手綱を取ろうとしていた手を止めて凍りついた。
「しょ…小隊長っ!?」
「いいえ、わたくしの背をっ!」
 言うなり別の小隊長も地に丸くなった。
「なんなの、あなたたちっ!?」
 見れば、わらわらと他の上級兵士も駆け寄ってくるところだった。
「やめてよ!」
 思わず叫んだ主人の意を汲んでアスランが歯をむき出し、蹄で地面を掻いた。
「離れて、蹴られるよ?」
 怯んだ小隊長たちの隙をついて、ひらりと馬上に飛び上がる。鞍に身体を落ち着かせると、少々傷ついた顔をして周囲を見渡した。
「……手助けしてもらわなくても乗れるから」
 騎乗してみれば、一段低いところに整列しているはずの下級兵士たちの間にも動揺が走っているのが分かった。
 そしてさらに小走りに近づいてきたハディたちを認めて、深いため息をついた。
「はあぁぁ…」
「まあ!?ユーリさま、踏み台を用意しましたのに」
 三姉妹は仰々しい彫刻で飾られた踏み台と、これもまた凝った刺繍のクッションを運んでいた。



「やっぱり、みんなの前でこけたのってマズかったのよね」
 演習を終えて、王宮に引き上げる回廊で、本日何度目かのため息をつく。
「左様でございますね」
 珍しく演習場までやって来たイル・バーニが重々しくうなずいた。
 おそらくは、久しぶりに閲兵式に臨むユーリの様子を心配して皇帝がよこしたのだろう。
 いや、本当なら皇帝自らが出席したかったのかもしれない。それを執務室に押しとどめて、代役を買ってでたのはこのイル・バーニの方かもしれない。
「やっぱり格好悪かったよね?」
「格好の問題ではありません。皇后にして近衛長官でもあらせられるユーリ・イシュタルさまが居並ぶ兵士の前で転倒するなどと」
「志気にかかわる?」
「皆、ユーリさまを心配しているのですわ。お怪我もなさったし」
 ハディが相変わらず気づかわしげに言う。
「なにしろ足首をひねられて捻挫されて」
「膝を打撲されたんですもの」
「ついでに鼻も擦りむいたよ」
 双子の言葉に、ユーリはまだほんのりと赤味の残る鼻のてっぺんを指でこすった。膝のアザはすでに目をこらさないと分からないぐらいに薄くなっている。
 転んだ原因は小石かなにか、そんなささいなもの。避けようとして足をもつれさせて、さらにマントが絡まってすってんころりん。
 うめきながらユーリが起きあがると、すでにパニックが起こっていた。
 走り寄った三姉妹は流血(ほんのちょっぴり)を認めて悲鳴をあげ、駆け寄ろうとした兵士たちはお互いに押し合いへし合いで団子状になり、止める間もなくユーリは小隊長たちに拉致されすみやかに王宮に運び込まれた。
 青ざめたカイルと、別の意味で蒼白な典医(高齢の彼は、彼を引きずって走る皇帝に逆らえなかった)が扉を蹴破る勢いで飛び込んできて、たちまちのうちに休養を申し渡された。
 演習場に取り残された兵士たちに伝えられたのは──── ユーリ・イシュタル負傷 ────心配にさらに輪をかける情報。
 事実、イシュタルはその後、後宮から一歩も出ることがなく、公式の席にすら姿を見せなかった。
「でもねえ、たいしたことはなかったのよ?」
「あんなに足首が腫れていたではありませんか?」
 思い出したのか、ハディの目が潤む。
 一晩中疼く足首に冷たい布を換えてあててくれたのは彼女だったので、ユーリは黙るしかなかった。
「しかし、陛下のお言いつけどおりに安静にされていたからこそ、こうして早い時期に回復されたのではありませんか?」
「そうなんだけど」
 たかが、右足首の捻挫。そのためにベッドに縛り付けられて二週間も過ごさなくてはならなかったのだ。
 ユーリは恨めしそうにイル・バーニを睨んだ。
 おそらくは、あの軟禁状態には彼の画策もからんでいる。
 ユーリが大人しくしていれば、皇帝も穏やか。さぞや政務もスムーズに片付こう。
「……まあ、怪我のあいだはいいとしても」
 無理矢理言いたいことを飲み込んで、ユーリは続けた。
「もうすっかり治ったって言うのに、みんな心配しすぎ!」
 久しぶりに閲兵式に出たいと言えば、典医の診断とお墨付きを三度ももらわなければならなかった。
 おまけに王宮から練兵場まで、ユーリの歩く予定の場所には敷物が延べられていた。
 ちょっと歩いただけで、緊張しきった小隊長たちが必ずそばに寄ってきた。倒れそうになったら手を伸ばせるようにとの気遣いだろう。
 アスランに乗ろうとすると……。
 ユーリはまた思いだして顔をしかめた。
「あたしは重病人じゃないってば」
 こけた自分に責任はある。けれど、こけただけなのに。
「でも、本当に心配しましたのよ?」
「兵士の中には典医どのからなんとかしてユーリさまのご様子を聞き出そうとする者もいたとか」
「非番の日に薬草を採りに山まで出かけた者もいたそうですよ」
 三姉妹の言葉に、ユーリは肩を落とした。
「でも、こけただけなんだよ」
「ユーリ・イシュタルさまが転倒するということは、それだけ兵士に動揺を与えるということですな。どうやらこの一件は、みんなを心配性という病に罹らせてしまったようです。……ほら」
 イル・バーニはまったく抑揚のない声で、回廊の向こうを示した。
「この国で一番症状の重い方がおいでです。ほとんど瀕死の病人かもしれませんな」
「ユーリっ!!」
 立場的にそれはどうかと思う大声が響き渡る。
 皇帝らしからぬ素早さでカイルはユーリに駆け寄ると、有無を言わさぬ勢いで両手で頬を包んで顔をのぞき込んだ。
「演習などに出て大丈夫だったか? 怪我はしなかったか? どこか痛まないか?」
 矢継ぎ早の質問に答える暇もなく、怪我をしている場所はないかとマントを引き剥がしてむき出しの足を確かめ、両腕を交互に持ち上げて視線を走らせた。
「大丈夫だよ……」
「どうやら無事のようだな」
 ほっと一息をつくと、改めてユーリを抱きしめる。
「あまり心配をかけるな」
「べつに普通にしてただけなんだけど」
 怪我をした日の青ざめた姿を見ているので、なんとはなしに後ろめたくて強い態度に出られないまま、ユーリはつぶやいた。
 カイルの腕の隙間から、イル・バーニに助けを求める。
「ね?危険なコトなんてしてないよね?」
「たしかにそうでございますが、ユーリさま。とりあえず、このご症状に一番効果のある治療方法をおとりくださいませ」
 澄ました顔でイルは答えると、ユーリの願いもむなしく頭を下げた。
「では、陛下」
「うむ、ご苦労だったイル」
 イルと三姉妹を見送ってから、カイルは首をかしげた。
「症状とはなんだ? まだどこか痛むのか?」
 もしやと眉を顰めるのを慌てて首を振りながら、ユーリはカイルの肩に腕をまわして抱きついた。
「ううん、もうすっかりいいの。心配しないでね?」
 とりあえずの治療手段。


────ユーリの怪我は治ったけれど、もうひとつの流行病を治すにはずいぶん時間がかかりそうだった。


                       クリア

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