おやすみのまえに  お題:Cry for the moon.



 ぱたぱたと裸足で走り、寝台によじ登った姿に苦笑する。
「……どうしたの、皇子?寝ないの?」
 いそいそと掛け布団を引き上げながら、ユーリがまったく他意はなく訊ねるのに、少しばかり意地悪を言ってやりたい気分になる。
「そんなに、私に寝台に入ってきて欲しいのか?」
 ちょうどカイルがすべり込める分だけ、掛け布団を持ち上げたユーリは、あっさりとうなずいた。
「うん、だって眠いんだもん。今日はなんだか疲れちゃったし。あ、皇子がまだ眠くないのならいいけど。先に寝ちゃってるから」
 あくびをかみ殺そうともせずにそう言うと、パタンと腕を落とした。
「おやすみなさい」
 布団を鼻先まで引き上げると、まぶたを閉じる。
 少しばかりのイジワルや下心などまったく通用しない素直さに、カイルは降参するしかない。
 おそらく、はたから見ればずいぶんと嬉しそうな顔つきでため息をつくと、寝台に歩み寄る。
 気配を感じて身体をずらせたユーリの横にすべり込む。
「今日は、そんなに疲れたのか?」
 腕枕をしてやりながら訊ねる。ごく自然な動作でユーリが胸元にすり寄ってくる。
「うん、だってザナンザ皇子って……」
「ん?」
 薄闇の中でぽつりぽつりと語り合うのは、いつの間にか入眠儀式になってしまった。
 指先で髪を弄りながら、カイルはユーリの呼吸を数える。呼吸の間隔が長くなり、腕にかかる重さが増す頃には、ユーリは眠りについている。
 無心に眠るのを確かめてから、ようやくカイルは目を閉じるのだった。
 今夜も、いつものようにユーリの言葉が途切れはじめる。
 ゆるやかな寝息を耳にしながら、ユーリの額に口づけようとした時だった。
 不意に、窓の外から耳障りな音が流れ込んできた。
 低く高く引きのばされたその声は、延々と繰り返される。
 舌打ちするのと同時ぐらいに、腕の中のユーリがもぞもぞと動き始めた。
「う……ん…皇子?」
「起きたのか?」
 もう一度抱きしめようとする暇もなく、ユーリは寝台の上に起きあがった。
 悲鳴のように甲高く叫び続ける声に、顔をしかめるのが分かった。
「・・・猫?」
「どうやら、そのようだな」
 カイルもしぶしぶ起きあがる。ぼんやりと窓を眺めているユーリの頭をひとなですると寝台を降りた。
「追い払わせよう。おまえは休んでおいで」
「いじめないでね?」
「追い払わせるだけだよ。ここにいたって恋人は見つからないからな」
 その時、窓の外で『しっ』と言う、鋭い声が響いた。使用人の誰かが気を利かせたのだろう。
 一声、大きく叫ぶと植え込みを揺らしながら猫の声は遠ざかった。
「……行っちゃった?」
「ああ」
 もう一度寝台に横になったカイルに、ユーリがくすくすと笑いながらしがみつく。
「あの子、恋人見つかるかな?」
「どうだろうな」
 まだ笑っている身体を抱き寄せる。暖かい身体が押しつけられる。
「はやく、こんな風に、恋人とくっつけるといいね」
 猫の恋人たちは・・・言いかけてカイルはやめた。かわりに、ユーリの身体にまわした腕に黙って力を込めた。



「おや、兄上?」
 月の明かりに照らされたテラスで、ザナンザが杯をかかげた。夕食後、場所をかえての宴はまだひそやかに続けられていた。
「もうお休みだと思いましたが?」
「一杯もらおう」
 ザナンザには答えずに、カイルは空の杯に手を伸ばす。
「ユーリさまはお休みですか?」
 弦をつま弾く手を止めないまま、イル・バーニが顔をあげる。
 先に休んでいると言って立ちあがったユーリの肩に手を置き、一緒にここを去ったのはカイルだった。
「眠っている」
 そっけなく答えると、カイルはワインをあおった。芳醇なはずの香りは少しもしなかったが、胸中のざわめきはほんのわずかだけなだめられるような気がした。
「置き去りですか?殿下らしくもない」
「まあ、兄上だって飲みたい時はあるさ。ごらん、イル・バーニ。眠ってしまうのには惜しい月夜じゃないか」
 仰いだ中空には、真円の月が輝いていた。
「こんな夜には、恋人を想う歌がふさわしくないかな」
 うなずいたイルが最初の旋律を奏で始めた時、植え込みが揺れ、またしても長々と声が響き渡った。
 聞きようによっては恨めしげなその鳴き声に、ザナンザは肩をすくめた。
「まったく、動物というものは無粋ですね。なにもこのような月の夜に騒音をたてなくてもいいのに」
 立ち上がって植え込みに近づこうとするザナンザに、イル・バーニがしたり顔でうなずいた。
「こんな夜だからこそ、独り寝の寂しさに恨みも言いたくなるのでしょうな」
 イル・バーニの視線を受け止めながら、カイルはもう一杯のワインをあけた。
 猫の声が長く尾をひく。
「恨み言か」
 月の光を受ける手のひらを眺めながら、先ほどまで胸にしがみついていたユーリの白い顔を想った。
 無防備な寝顔に思わず手を伸ばしたいと思ったこと。抱きしめる以上に欲しいと考えずにはいられなかった。
 いっそ月のせいにしてしまおうかとも思った。こんな夜だからこそ。
「……そのとおりだな」
 けれど、結局、信頼しきっているユーリを裏切ることなど、できはしない。
「なにか、おっしゃいましたか?」
 鞘のままの剣を手に、ザナンザが振り返った。つつき出される運命も知らずに、猫はなおも声をあげ続けている。
「いいや……イル、恋歌ではないものを聴かせてくれないか?」
 ワイン壺を引きよせながら、月を見上げる。
 焦がれる想いなど知らぬように、月はさえざえと輝いていた。
  

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