PRIDE     お題:ふたり



「こちらの急湍に誘い込めばなんとか・・・」
 地図を指し示したミタンニ王に、カイルは頭を振った。
「いや、エジプト軍は一度ウガリットまで侵攻している。あの男のことだ、付近の地理についても調査を怠っているとは考えにくい」
「地の利は我らにあり……ではない、ということですか。条件的にはあちらも同じだと」
 ロイス・テリピヌ皇子がうっすらと眉を寄せた。
「むしろ、複数の将を王の旗下に自在に動かせる敵の方が有利だと……いや、失礼を」
 作戦会議に顔を並べているのは、陣営を同じくするとは言え、招集によって馳せ参じてきた藩属国の代表ばかりだ。
「たしかに、殿下のおっしゃるとおりだ。日ごろから大規模な演習を重ねているエジプト軍に較べれば、こちらは足並みが揃っているとはいいがたい」
 ミタンニ王は、隣りに立つアルザワの将軍に目をやった。藩属国のうちでミタンニ軍とアルザワ軍だけが、ヒッタイト軍と同じ戦場に立ったことがあるだけだった。しかもそれは敵としてだ。
「ご命令下されば、アルザワは手足となって動きますぞ」
 かつてヒッタイトの旗の下に膝を折ったことのある将軍が唸るような声で言った。彼の声が割れているのは、長年戦場で埃っぽい空気を吸い込んできたからなのだろう。
「こう言ってはなんですが、戦上手の陛下のお手並み、同じ陣営で拝見できるのを楽しみにしておりました」
「それはかたじけない」
 言いながらカイルは再び地図に視線を戻した。
「おそらくは、あの男なら陣をこの地点に置くだろう」
 指先が、緩やかに湾曲した河の岸を叩いた。



「……やっぱり、似てるからかな?」
 ユーリがぽつんとつぶやいたのは、作戦会議の開かれていた小部屋から私室に戻る途中だった。
 まだ布陣を思いめぐらせていたのだろう、うつむき加減だったカイルが聞き逃さずに顔をあげた。
「似ているとは、なんのことだ?」
 足を止めたカイルの腕に、しがみつくように自分の腕をからめると、ユーリは曖昧に笑った。
「言ったら怒るかもしれない」
「怒らないさ……多少機嫌は悪くなるかもしれないが」
 もう、と笑うとユーリはつま先だってカイルの瞳をのぞき込んだ。
「ねえ、カイルはさっき同じ言葉を繰り返していたの、覚えてる?」
「私が?……そんなはずは……」
「繰り返したのよ、『あの男』って」
 カイルの鼻先を指でつつくと、急に真面目な顔になった。
「それって、ラムセスのことだよね?エジプト軍の総指揮官はホレムヘブ王なのに」
 近衛長官として作戦会議に出席しながら、ユーリは一歩さがった席で黙って男達の交わす言葉を聞いていた。歴戦の将たちより経験があるとは思えなかったし、これまでに得てきた勝利もみんな周囲の者と幸運に助けられたと考えていたからだ。
 かわりに、一言も聞き漏らすまいと耳を傾け、いくつもの取りうる作戦を心に留めた。 一旦戦場に出てしまえば、すべてが作戦どおりに運ぶ訳ではない。臨機応変に最善の策を探るのがもっとも勝利に近い道なのだと、ここ数年のうちに学んでいた。
「たしかに総指揮官はエジプト王だが、もっとも手強い敵はラムセスだ」
 カイルは予告したとおりに顔をしかめながらユーリの手首をおさえた。
 エジプトでどうしていたのか訊ねるくせに、いざ話し始めると不機嫌になるのを知っていたユーリは、その手をやんわりとはずした。
「ラムセスも同じ事を言っていたよ。この国で一番恐ろしいのはカイルだって」
「随分と親密に話していたのだな」
「エジプトでじゃないよ、ラムセスがハットウサにいた時」
 これ以上カイルの機嫌が悪くならないように、胸元にもたれかかると、息を吐いた。
「……ヘンだけどね、その時のラムセスは嬉しそうだった。ちょうどさっきのカイルみたいに」
「私が嬉しそうだと?」
 顔を埋めてしまったユーリの身体に腕をまわしながら、カイルは眉をひそめた。
 大規模な戦闘を前に嬉しそうだとは不謹慎だった。
「これから戦をしようというのに、嬉しいと思うはずがないだろう」
「ワクワクしていると言ったほうがいいかな? カイルはラムセスならどうするのか、いつも考えてる」
 作戦会議の間中、カイルが気にしていたのはラムセスならどう軍を動かすか、だった。
 一番警戒すべき相手だというのはユーリにも分かっている。
 けれど、カイルにはそれだけでない心の動きがある。
 好敵手。互いが己に匹敵する力を持つと認め合う存在。
 相手の思考を推測して行動の先を読む。どうしたら相手の裏をかけるのか。
 なん人もの命が失われるに違いない戦場だけれど、ふたりの間にはなにか共通の意識が存在するような気がする。
「それはね、きっとカイルとラムセスが似てるからだよ」
「似てなどいない。私はあの男ほど野心家ではないぞ」
 憤慨したようにカイルは言う。けれどユーリを肩をなぞる指がわずかに止まった後、ふたたび動き出したのが、本当は腹など立てていないのだと示している。
 こういったじゃれ合いは張りつめた戦場の中で唯一カイルがくつろげる時間でもある。
「そりゃ、ラムセスは野心家だけど」
 彼の野心はすべて一つの夢のためにある。誰もが安心して暮らせる平和な国を作ること。
 カイルの語るのと同じ夢。
 ただ、彼の場合は夢を実現するためにはカイルより踏まなくてはならない手順が多いだけだ。
「……敵国じゃなければ、仲良くなれたかもしれないのに」
 ほとんど呟くような言葉は、カイルの唇に飲み込まれた。
「たとえ似ていようと、今は戦時だ。私には国を勝利に導く義務がある」
 息継ぎの合間に、カイルが囁いた。
 抱き上げられながら、カイルの首に腕をまわす。
「大丈夫、あたしたちは勝てるよ」
 その重い責務を少しでも軽くしたいから、ユーリはそばにいる。まるで言霊であるかのように勝利を予言する。
 ふと、遠く敵陣で地図を睨み付けているラムセスを思い浮かべた。彼もまた、カイルならどう動くかと考えているはずだ。
 腕を組み、仁王立ちになって。夢が現実になることに少しの疑いも抱いていない不遜な顔。彼が彼自身の手で支えようと思い描く民の数は多い。だが、彼ならそれらを双肩に担ぎ上げて軽々と立ち上がるだろう。
 だって、彼は。
 ユーリはカイルの顔を見つめた。
 性格は違う。言葉遣いも、女性の扱い方も違う。けれど、ふたりに共通するもの。
「そうか」
「?」
 カイルの額に指を走らせて、ユーリは微笑んだ。



 カイルとラムセスに共通するもの───それはきっと、王としての資質。
 

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