獣たちは荒野で安らぐ お題:3K



 いつもその瞬間は緊張した。視界に豪華な飾りを施した長剣が置かれ、それから身を横たえる寝台がたわむ。すぐにとなりにすべり込んでくる身体。ひとつ大きく息を吐いてから、のばされる腕。
 訊ねずとも、寝台に忍ばされるそれが身を守るための物なのだと分かった。
 こんなに厳重に守られた宮の奥にいても、まだ安心できない?
 開きかけた唇をなんど噛みしめたことだろう。
 けれど、確かめなくとも分かっていた。守るように包み込む腕が、どこにいても安全な場所はないのだと物語っていたのだから。



 ワインのカップを傾けるカイルの横に目をやると使い込まれた剣がある。いつのまにかそれが寝台の中に横たわることはなくなったのだけれど。
「……まだ怒っているのか?」
 いくぶん物憂げにカイルは呟いた。
 いつものように膝に引きよせられることもなく、ユーリはカイルを部屋に迎え入れた時のままの位置にぼんやりと突っ立っていた。どう切り出していいのか考えあぐねていたせいもある。
 昼間の口論のあと、どうにも気まずくて顔を会わすのを避けていた。けれど夜が訪れると、カイルは普段と同じように部屋を訪れ、普段にはなく黙り込んで椅子に腰を下ろした。
 なにか和解の言葉を切り出して欲しかった。いつも折れるのはカイルの方だったから。
 ユーリは灯火を受けて宝石をきらめかせている剣から目が離せなかった。
 貴重な石を嵌め込んで、凝った細工で飾られたそれが見かけ通りの優美な物ではないことは分かっている。一旦、鞘から抜き放たれると、研ぎ澄まされた白刃が閃光とともに血しぶきを吹き上げる。文字通り人を傷つけるための武器。
 この剣はつい最近も抜き放たれたことがある。
 ユーリはそこまで考えると、ため息をついた。
「ごめんなさい」
 いつも余裕ある態度でユーリを許してくれるカイルが謝罪を口にしないのは、自分が間違ったことを言ってはいないという信念があるからなのだろう。
 甘やかな感傷や同情で動けるほど政治は生やさしいものではない。
 そのことはなにより分かっているはずなのに。
「あたしが……言っちゃいけなかったんだよね、一番辛いのはカイルなのに」
 誰よりも人を傷つけるのを恐れる人だからこそ、その決定を下すのには苦悩したことだろうに。
「……いや」
 言葉少ないままのカイルに近づく。俯いた瞳は前髪に隠れて見えない。
 ユーリはつま先立つと、その頭を抱きしめた。
 机の上のカイルの剣に目をやる。
 ほんの十日前、カイルはこの剣を腰に旅立った。
 地方の有力貴族の反乱の制圧。親征軍を率いるほどのことでもないと主張するユーリや元老院の意見を退けての出立だった。
 おそらくは戦後の処理を視野に入れてのことだったのではないか。
 そういったことを決定するのが苦手なユーリを思いやっての。
 本来、それに対応するのは近衛長官であるユーリの仕事のはずだった。
 反乱の首謀者である領主は斬首。代わりに甥をその地位に就け、領主の息子と連座していた他の貴族達の子弟をハットウサに連行してきた。
 厳しすぎる処遇だと感じた。
 元老院の中には一族全員の斬首と、反乱に参加した者全員の更迭を主張する者もいた。
 それを止めたのはカイルだ。
 けれど、ユーリはそれを寛大だとは思えなかったのだ。
 ハットウサに連れてこられた者のなかにはまだ幼い子どももいた。
 だから、会議を終えて引き上げた控えの間でカイルに詰め寄った。
「あたし、酷いことを言った」
 カイルの言ってる理想の治世って、こんなふうに人を脅しつけて従わせるってことなの?
 決して二心を抱かぬように人質を取って。
 ユーリの言葉にカイルの顔色が変わった。
 なによりも争いを好まぬ人なのを一番知っているのは、ユーリのはずだったのに。
「……」
「ごめんなさい」
 いつの間にかユーリは、枕の下に剣を忍ばせるようになった。
 彼が剣を手放せるように。そばで安らげるように。
 もし、なにかがあれば自分が守ろう。
 そう決意してのことだった。
 彼の地位は、はたから見るほど、うらやめるものではない。
 常に命を狙われる危険と、汚い政治の駆け引きと、神経をすり減らすような重圧の日々。
 それをなによりも理解していなければいけないはずのユーリなのに。
「……私は……おまえを失望させたか?」
 ユーリは夢中でかぶりを振った。
 反乱の起こった地方は、昔から豊かで自治色が強い場所だった。帝国に従う形は見せているが、いつまた反乱が起きてもおかしくはない。
 そうするだけの財力と人員を保有している。他国と国境を接するその場所で反乱が起これば、やがて内乱は本格的な戦争へつながるかも知れない。
 悲惨な国家間の戦闘を避けるためには、カイルの取った手段がおそらく最善なのだろう。
「失望なんて、してないよ」
 誰よりも家族を大切にする彼だからこそ、誰かの家族を引き離すことを苦しく思っているはずなのに。
 だから、ユーリが言うべきことは彼を責める言葉ではなかったはずだ。
 彼を許し、安らぎを与えること。他の誰でもない、ユーリだけに課せられた責務。
「だって、カイルはいつも正しいもの」
 抱きしめる腕に力を込める。
 まだ、カイルが剣を手放せなかった頃、自分を守ろうとしていた腕に力を込めていたように。
「あたしが間違ってた。どんな時もカイルを信じないといけないのにね、ごめんなさい」
 背中に腕が回される。カイルの顔が胸元に埋められる。
 ふくらみの間に擦りつけられる頬を感じながら、髪を梳いた。
 たった一人で立つ彼だからこそ、こうしてそばにいる。
 彼を決して孤独にはしないと誓ったのだから。
「……大好きよ、カイル。ずっとそばにいるから」
 目を閉じてささやく。まぶたの裏に、まだ剣の煌めきが残っている。
 美しいけれど、冷酷な輝き。
 ユーリは淡い色の髪を梳きながら、何度も同じ言葉を繰り返し続けた────。

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