Velvet Night お題:記憶



 忘れてしまえるようなことは、じつはそんなに重要なことじゃないのだと言う。



 もぞもぞと動く布を見ながら、ナキアはため息をついた。
 息を切らして抱えてきた枕に、彼はしっかりとしがみついている。枕ぐらいここにもあるぞと言うと、この枕はトモダチなのだと答えた。
「枕は頭をのせるものだぞ?」
 金色の毛糸玉が毛布の下からひょっこりと頭を出す。
「ねえ、はやく!」
 半分だけ覗いた青い瞳が、きらきらと輝いている。片腕を執心ひとかたならぬ枕から離すと、ひらひらと手招きして見せた。
「身分の高い男はそう焦らぬものだぞ?」
「────?どういう意味?」
「いや、なんでもない」
 子ども相手に、通用する冗談でもない。ナキアは苦笑すると、寝台に近寄った。
 考えてみれば、誰かと同衾するのは久しぶりだ。しかも相手が若い男性だというのは、じつは初めてだ。若いと言ってもほどがあるが。
 しかし、相対的に若い彼は、じつはある基準をクリアしてここにいる。
 曰く、『オネショをしなくなったら泊まりに来てもいいぞ』。
 彼の両親は保障した。絶対値は上がっているはずだ。
 毛布をめくりあげたナキアを見上げて、彼は嬉しそうに足をばたつかせてみせた。
「もう少し、あちらに寄れ」
 邪険な口調で枕ごと押しやる。彼はころんと転がって、はしゃいだ笑い声をあげた。
 注意されても叱られても、少しも懲りた風はないのだけれど、言われたことにはそれなりに従う素直さは、彼の美点なのかもしれない。
 頭に浮かんだ『身内びいき』の文字を振り払うと、ナキアは寝台にのぼった。
 隣で枕と一体化した彼女の身内は、相変わらずころころと転がりながら、上目づかいに顔を見上げた。
「ねえ、おばあちゃん」
 事実がどうであれ、一般的に老女を示す言葉をナキアは好まない。脇に転がる子どもの頭にぽかりと拳をぶつけるとしかめっ面を作ってみせる。
「こんど言ったら追い出すからな」
「ごめんなさい、でもね」
 叱られたことを気に病まずあっさりと忘れる単純さは、もしかしたらかなり問題のある欠点かもしれない。
 子どもは大事なトモダチであるはずの枕をかしかしと噛んでいる。
「お歌をきかせてね」
「歌だと?」
 眉をひそめる。いや、もしかして歌は添い寝の定番なのだろうか。
「うんとね、父さまに歌っていたみたいな」
「それはいわゆる子守歌か?」
 言いながら天井を睨みつける。隣りに熱源があるのには慣れていない。
 子どもというのはどうしてこんなに体温が高いのだろう。みょうに暑苦しい。
 おまけに、ごそごそ動いてちっとも静かにしていない。寝ようという努力をしていないのだ。
 歌でも歌えば静かになるかと思って、ナキアは記憶にあるはずの子守歌を引っ張り出そうとした。
「・・・・・・」
「おばあちゃん?」
 こんどは子どもは枕を台にして顔をのぞき込んできた。その顔を手の甲ではたくと、ナキアは、むうと口元をゆがめた。
「─────覚えていないぞ?」
 覚えていないのではなく、もしかしたら息子に子守歌を聞かせたことがないのだろうか?そんなはずはない。────そうかもしれない。自信が無くなってきた。
「じゃあ、おば……ナキアさまが子どもの頃に聞いた歌は?」
 またしてもナキアは口元をゆがめた。昔すぎて、の言い訳はなんとなく悔しい。
「いや、覚えているはずだ」
 ちょっと思い出せないだけで。
「ふうん?」
 子どもは枕に顔を埋める。そこはさっき噛みついていた場所ではなかろうか?よだれがついているはずだ。気持ち悪くないのだろうか。
 まあ、子どもだからな、と納得しているナキアの前で、彼は思いっきり大きなあくびをして見せた。
「忘れちゃったんだね、いいよべつに」
 べつにいいなら言い出すな。そう言いたかったのに、ナキアは天井を向いたまま、胸の上で指を組み合わせて顔をしかめた。
 忘れてしまえるようなことは、じつはそんなに重要じゃないこと。
 たかが、子どもの頃に聞いた子守歌だ。
 けれど、自分にも確かにあった子ども時代に、ぽっかりと抜けた部分があるのが悔しい。
 こうやって、誰かの横で身体をのばしながら、夢の入り口で聴いた曲。
 あれは……あの歌はたしか。
 言葉はどんなだったか。旋律はどんなふうだったか。
 子守歌だから、おやすみとか、眠れとか。
「おやすみ」
 声に出して言ってみる。すうと寝息が答えた。
 横を向けば、枕にしがみつく金の頭。
「……問題提議だけしておいて、自分は眠るんだな……」
 まったく子どもは無責任だ。こちらは頭が痛むほど思い出そうと努力しているのに。
 たしかにさほど重要ではないことだけれど。
 のぞき込んだ子どもの顔は、半分口を開いて鼻の上に皺をよせていた。
 ばかづら。いや、結構かわいい。馬鹿な子ほど可愛いと言うし。馬鹿だからかわいいのか?
 自然に笑いがこみ上げる。
 かわいいのは、それだけで長所だ。だから、問題ない。
 よだれのついたほっぺたに張りつく髪をよけてやりながら、ナキアは締まりのないにたにた笑いを浮かべた。そんな顔をしている自覚はじつはないのだけれど。
「おやすみ、良い夢を」
 言ってから、おやまあ、と目を見開く。たしかそうだった。
 あの歌は、そう歌っていた。
 おやすみ、愛しい子よ、良い夢を見て。
「なんだ、覚えているじゃないか」
 誰にともなく、胸を張ってみせる。
 せっかく思い出した歌を聴かせる相手は眠ってしまったけれど。
 まあ、明日に聴かせればいいか。


 忘れてしまえるようなことは、じつはそんなに重要なことじゃないのだと言う。
 覚えていなくても、きっと同じような場面で自然にそれがわき出してくるのなら。

 ナキアは満足してまぶたを閉じた。

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